122 母と娘
――それから私は、リグラス様とともにハールバリー小国へと向かい……。
ホーリードール家のメイドになったんだ。
私は最初、メイドになるのは拒んだのだが、ホーリードール家にはすでに多くの騎士たちがいたのと、私自身、チャルカンブレードを抜ける身体ではなくなっていたからだ。
しかしリグラス様の元に仕えても、結局……。
センティラス様がなぜ私に礼を言ったのかは、わからずじまいだった。
しかし……。
その疑問もようやく解消するだろう。
私もようやく、センティラス様のお側に行けるのだから……。
ああ、あれほど私を苛んでいたものが、すべて消えていく。
疲れも、空腹も、痛みも、苦しみも……。
悩みも、後悔も、なにもかも、すべて……。
薄れ行く意識の中で、クーララカが最後に耳にしていたのは……。
「おねえちゃん、大丈夫ですか!? しっかりするのです! 天使さんたち、お姉ちゃんを連れて行ってはダメなのです!」
じゃっかん舌足らずな声がしたかと思うと、
……パァァァァ……!
クーララカの身体が、あたたかくて柔らかな光に包まれた。
今まさに天使に連れ去られていこうとした魂が繋ぎ止められ、健やかに回復する。
「う……」
クーララカがうっすらと瞼を開けると、そこには……。
薄暗い裏路地にあってもなお、太陽のような光をさんさんと放つ、幼い少女がいた。
先ほど、クーララカと一緒にジャンジャンバリバリに噛みついていた、ワイルドテイルの少女であった。
「危なかったのです! もうちょっとで、天使さんたちと一緒にいくところだったのです!」
少女がそう言って笑うと、彼女から発する光はさらに強くなる。
それは目を背けたくなるような不快なものではなく、心安らぐ不思議な光明であった。
その慈愛の輝きを、クーララカはいつかどこかで見たような気がする。
しかしそれも見間違いであったかのように、少女の身体からはすぐに消え去った。
「お、お前が助けてくれたのか……? い、いったい、何をやったんだ……?」
クーララカが身体を起こすと、少女は空になった小さな小瓶を差し出してくる。
ガラスではなく水晶瓶に入ったそれに、驚きの顔が映り込んだ。
「え、エリクサーではないか……!」
エリクサーというのはポーションの一種なのだが、薬品などの調合に加えて魔法練成が施されているもの。
ようはポーションの上位版であり、その効果や即効性は、聖女や治癒術師の治癒にも匹敵する。
ただ、それだけ価格もべらぼうに高い。
そのへんの冒険者どころか、一流の冒険者でも滅多に持ち合わせることのない貴重品とされている。
ちなみにではあるが、エリクサーを持ったまま死ぬことを『抱え死に』と呼ばれ、馬鹿にされる死因のひとつとなっている。
「どうしてエリクサーなど持っているのだ? まさか盗んだものなのか?」
クーララカが厳しく問うと、少女は慌てて首を振った。
「違うのです! ははさまにいただいたのです!」
「母様だと? なぜ母親が、そのようなものを?」
「わうは、いまよりちっちゃい頃、聖女さまになるのが夢だったのです。でもワイルドテイルは聖女さまにはなれないって言われたです。ずっと落ち込んでたら、わうが生まれた日にははさまが、このふくろに入ったエリクサーをくれたのです」
少女は言いながら、身体にまとわせていた大きなしっぽをもぞもぞやって、小さな布袋を取り出す。
「このなかに入っているおくすりを使えば、だれかがケガをしたとき、助けることができるのです、って……。わうも聖女さまみたいに、困った人を助けられるのです、って、ははさまがおっしゃったのです」
少女がしみじみと視線を落とすそれは、かつては可愛らしい刺繍などがされていたようだが、今は見る影もなくボロボロ。
そしてそれは、彼女の置かれていた過酷な境遇と、母親はこの世にはもういないことを同時に表していた。
クーララカは息を吞む。
「で……ではそれは、母親の形見のようなものではないか! そんな大切なものを、なぜ私のような、会ったばかりの者に……!? しかも、こんなホームレス以下の境遇にある、私などに……!?」
すると少女は、さも意外そうな顔をした。
「だっておねえちゃんは一度、わうを助けようとしてくれたです! それに聖女さまというのは、困った人を助けるものなのです! ははさまがおっしゃっていたです! 聖女さまは、みぶんとかおかねとか関係なく、こまってる人をみーんな助けるです! って! わうもそんな聖女さまになりたかったのです!」
ぱっ! と花咲くような微笑み。
クーララカの心に、ちいさな火が灯った。
そして、心の底から理不尽に思う。
――こんな素晴らしい考えを持っている子が、なぜ、聖女になれない?
世の中には金と権力を持つ者以外には見向きもしない、エセ聖女が大勢いるというのに……!
ワイルドテイルだから、聖女にはなれない…………?
誰だ、そんな馬鹿げたことを決めたやつは!?
誰がそんな、身分や生まれで生き方を制限される、世の中にしたんだ!?
そう自問自答して、彼女は稲妻に打たれたように目を見開いた。
ある人物の言葉が、激しくフラッシュバックする。
「リグちゃんとセンちゃんは、ずっと約束してたことがあったのです!」
「ふたりでがんばって、『好きなものを好きだ』って、胸を張って言える世の中にするです、って約束してたです!」
そして、ようやく……。
彼女は答えを得た。
――センティラス様は、私が聖女従騎になるのを、お止めにはならなかった。
私が聖女従騎になってしまえば、聖女にとっては禁忌とされる、みなし子を保護していたことが、世間に知られてしまうと言うのに……。
私が聖女従騎として名を轟かせることを、決して、お止めにはならなかった。
それを下衆な勇者に嗅ぎつけられ、ひどい仕打ちをされていたにも関わらず……。
ずっとひとりで、堪えられていたんだ……。
それもこれも、なにもかも……。
好きなものを好きだと胸を張って言え、なりたいものになれる、世の中にするためだったんだ……!
「身分とか生まれとか関係なく、誰もが勇者になれて、誰もが聖女になれて、なんにでもなれるのです! したいことができるのです! 『好きなものは好き』『ダメなものはダメ』って、誰もが自由に言えるのです! そんな世の中にするです、って、リグちゃんはセンちゃんと約束してたです!」
私がセンティラス様のお役に立ちたいという気持ちを、センティラス様は叶えてくださった……!
それもこれも、なにもかも……。
私のため、だったんだ……!
「もちろんすぐには無理ですから、せめて自分の子供たちにでも、好きなことをさせてあげるです、って! そしたらその子たちがいつかきっと、少しずつでも世の中を変えてくれるはずです、って、そう思ったです!」
だから、だからこそ、センティラス様は……!
あの時、勇者をかばったんだ……!
いいや、正しくは……!
私をかばってくださったのだ……!
私が勇者を傷付けたとわかれば、私は死刑を免れない……!
そうならないためにも、センティラス様は……!
うつむき、拳を握りしめるクーララカ。
彼女の中に、さらなる人物の言葉が蘇る。
……人間どうしが殺し合う理由には、いろいろなものがあります。
でもどんな理由であれ、相手を斬ったことで、斬った側はそのぶんだけ強くならなくてはならない。
相手の命を奪ったことで、自分の抱く理想に近づいたと、思わなくてはならないのです。
そしてここからが、人間と動物の違いです。
斬られる側は、斬られることによって、自分の抱いていた理想をさらに現実に近づけたと、喜ばなくてはならない。
残された者たちを奮い立たせ、彼らの心をより強くするための、血や肉や骨になれたのだと、喜ばなくてはならない。
これが『斬られる者の覚悟』というものです。
――そうか、そういうことだったのか……。
センティラス様は、大聖女でありながら……。
斬られる者の覚悟が、できていたのだ……!
あの夜、寝室で、私に斬られても……。
もう、悔いはないと……!
この私を強くし、そして、自身の理想を現実に近づけることができると、そう信じておられたのだ……!
だから、だからあの時……!
私に斬られてもなお、感謝をしてくださったのだ……!
彼女のなかで、長きにわたって凍りついていたものが、ついに溶け出した。
それは腹の底から、胸の内から、熱い血潮となってこみあげてくる。
そして彼女の前には、ある人物が立っていた。
「わうっ、おねえちゃん! これ、おねえちゃんの大切なものです? だったらもう二度と、手放したりしちゃダメなのです!」
チャルカンブレードを差し出しているのは、まぎれもなくワイルドテイルの少女なのだが……。
そのすぐ、隣には……。
「せ……センティラス、様っ……!?」
目が合うと、うっすらと光を放つ少女は、困ったように笑った。
『もう、あなたったら……やっと気付いてくれたのね。私はずっと、この剣の中にいたというのに』
『ま、まさか……! センティラス様が、チャルカンブレードに還られていただなんて……!』
『ええ、そうよ。だって私には、聖女の跡取りもいないでしょう? だからあなたの剣に還ろうと思って』
『なぜ、なぜなのですかっ!? 跡取りを持たなかった大聖女は、普通、神像などに還られるはずなのに……!? よりにもよって、なぜ私の者のような剣にっ……!?』
すると少女は、さも意外そうな顔をした。
『だって……私はあなたの母親だもの。娘をそばで見守っていたいと思うのは、当たり前でしょう?』
その言葉に、せり上がってきていた熱いものが、ついに流れ出す。
すべてのわだかまりを、押し流すように。
「か……母さんっ! 母さんっ! 母さんっ!! うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」
全てを嗚咽にして吐き出し、涙で押し流すように、クーララカはいつまでもいつまでも泣き続ける。
ワイルドテイルの少女は、センティラスごとまとめて抱きしめられてしまったというのに……。
慈しむように、いつまでもいつまでも頭を撫でてくれた。
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