121 還る者たち
ジャンジャンバリバリを撃退したクーララカは、再びゴミ溜めに倒れ伏す。
最後の力を残りカスまでぜんぶ使い果たし、もはや彼女は食いちぎったタキシードの生地を吐き出すこともできなかった。
しかしその顔は、ほんのかすかではあるが、笑っていた。
――もはや私は、これまで……。
でも、最後の最後に、やっと、やっと守ることができた……。
ひとりの、少女を……。
私の人生は、一度死んだようなものだった。
二度目の人生も、これで終わる……。
思えば、一度目に死んだ時も、こんな有様だったな……。
ピクピクと震える瞼の裏に、彼女がこの島に来て、数え切れないほど視た走馬灯が走る。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
それは、かつて彼女がいた、プジェトの国。
それは、いま彼女がいるのと同じようなゴミ溜め。
聖女従騎となった彼女は、仕えているセンティラスが勇者に乱暴されていることに耐えかね、勇者に斬りかかってしまう。
しかし彼女が袈裟斬りに伏したのは、勇者を庇って飛び出してきたセンティラスであった。
小さな身体を分かつように、赤い裂け目の入ったセンティラス。
彼女はクーララカに向かって、こう言った。
「 あ り が と う 」 と……。
錯乱状態に陥ったクーララカは寝室を飛び出す。
時間も場所も、それどころか自分が何者であるかもわからなくなるほどに、彷徨い続けた。
そして……とある街の隅で、とうとう力尽きてしまう。
食事も睡眠も取らず、精神はボロボロ。
集団を相手に喧嘩をし、身体はズタズタ。
ホームレスですら捨ててしまうようなボロ雑巾となって、ゴミ溜めに転がっていた。
道端で溶け残った汚れた雪のように、惨めにその生涯を終えようとしていた。
しかしふと、
……ぱたぱたぱたぱたぱたぱた……。
と、いかにもちょこまかした小走りだと分かる、足音が近づいてきて……。
クーララカの前で立ち止まり、覗き込むような仕草をしたあと……。
「あっ! クーちゃんなのです! 天使さんたち、待つのです! クーちゃんを連れていってはダメなのです!」
じゃっかん舌足らずな声がしたかと思うと、
……パァァァァ……!
クーララカの身体が、あたたかくて柔らかな光に包まれた。
今まさに天使に連れ去られていこうとした魂が繋ぎ止められ、健やかに回復する。
「う……」
クーララカがうっすらと瞼を開けると、そこには……。
薄暗い裏路地にあってもなお、太陽のような光をさんさんと放つ、幼い少女でがいた。
「危なかったのです! もうちょっとで、天使さんたちと一緒にいくところだったのです!」
少女がそう言って笑うと、彼女から発する光はさらに強くなる。
それは目を背けたくなるような不快なものではなく、心安らぐ不思議な光明であった。
しかしその慈愛の輝きですら、いまのクーララカには届かない。
「貴様は、何者だ……?」
クーララカは礼も言わず、ゆっくりと身体を起こす。
そして抜き身の刃のような視線を、目の前の幼子に向けた。
すると、
「リグちゃんなのです!」
と、まばゆいほどの笑顔で笑い返してくる。
彼女は幼稚園に入りたてのように幼く、背はあぐらをかいて座っているクーララカよりも低い。
それなのに大聖女のドレスを身につけているので、裾をズルズルと引きずっていた。
「クーちゃん、おなかすいてるです? これを食べるといいのです!」
『リグちゃん』と名乗った幼女は、背負っていた犬のぬいぐるみリュックから紙包みのサンドイッチを取り出し、差し出してきた。
どうやら『クーちゃん』というのは、クーララカのことを言っているようだ。
「私は施しなど受けぬ、あっちへ行け」
「ちゃんと食べなきゃダメなのです! でないと、センちゃんが泣いてしまうのです!」
『センちゃん』という単語を耳にした途端、クーララカは反射的に彼女の胸ぐらを掴んでいた。
てっきり泣き出すかと思ったが、リグちゃんは母親のような微笑みを崩さない。
それだけで、クーララカは察した。
「その大聖女のドレス……貴様は、センティラス様のご盟友だな。そしてその肝の据わりよう……センティラス様と同じく、『還って』いるのだな」
リグちゃんは、「はいです!」と元気に返事をする。
……『大聖女』と呼ばれる者の人生は、大きくふたつに分かれるといわれている。
ひとつは普通の人間と同じく、年老いて死ぬ。
もうひとつは30歳を境に、年齢を逆戻りして若返っていく。
そして赤子まで戻った後は、魂となって跡継ぎの聖女とひとつになり、後世により強い力を与えるのだ。
前者は、この世界でも大いなる権力を有し、教科書にも載るほどの大聖女たちに多く見られる。
しかしこの例の場合は、どれをとっても不思議なことに、誰もが醜い老婆になるという。
それは、世の中の穢れを吸い取っているからだといわれている。
後者は、この世界においてはそれほど権力のない大聖女たちに多く見られる。
教科書に載ることはないが、多くの民に愛された者が、この道を辿るという。
クーララカが前述しているように、その若返りのことを『還る』という。
リグちゃんは、クーララカに胸ぐらを掴まれ持ち上げられたまま、両脚をぷらぷらさせながら言った。
「リグちゃんとセンちゃんは、とってもなかよしなのです! センちゃんがそろそろ『還る』頃だとききましたので、さいごに遊ぼうとおもって、センちゃんのところにいったのです!」
「そこで、センティラス様から私のことを聞いたのだな? そして、すでに還られてしまったセンティラス様のかわりに私を罰しようと、こうして探していたのだな?」
「ちがうのです! でも、探してたのはそうなのです! でもでも、罰するためではないのです! センちゃんは、最後までずっとクーちゃんのことを心配していたのです!」
「そんなわけがあるか。私は勇者に斬りかかったことでセンティラス様の名を地に落とし、あまつさえセンティラス様まで斬ってしまったのだぞ」
「そんなわけあるです! だってセンちゃんは、クーちゃんに『ありがとう』って言ってたです!」
その一言に、クーララカの髪が逆立った。
「なぜだ……!? なぜなのだ!? なぜセンティラス様は斬られてもなお、私に『ありがとう』などと言ったのだ!?」
「リグちゃんとセンちゃんは、ずっと約束してたことがあったのです!」
「な……何をだ?」
「ふたりでがんばって、『好きなものを好きだ』って、胸を張って言える世の中にするです、って約束してたです!」
「……何だと?」
「身分とか生まれとか関係なく、誰もが勇者になれて、誰もが聖女になれて、なんにでもなれるのです! したいことができるのです! 『好きなものは好き』『ダメなものはダメ』って、誰もが自由に言えるのです! そんな世の中にするです、って、リグちゃんはセンちゃんと約束してたです!」
クーララカの手で揺れながら、リグちゃんは続ける。
「もちろんすぐには無理ですから、せめて自分の子供たちにでも、好きなことをさせてあげるです、って! そしたらその子たちがいつかきっと、少しずつでも世の中を変えてくれるはずです、って、そう思ったです!」
「貴様っ……! 話をそらすなっ! その約束と、センティラス様が斬られて礼をおっしゃったことに、何の関係があるっ!?」
するとリグちゃんから笑顔が消え、豆鉄砲を食らった小鳩のような顔になった。
「ですっ!? これだけ言っても、まだわからないですか!? クーちゃんって、センちゃんが言ってたとおりの子なのです!」
「なんだと!? それは、どういう意味だっ!?」
「そんなことよりです! クーちゃん、センちゃんがどうして斬られてお礼を言ったのか、知りたいですか?」
「ああ! だからさっきからそう言ってるだろう!」
「じゃあ、リグちゃんと一緒に来るです!」
「なに……?」
「クーちゃん、行くところがないです? なら、リグちゃんのお家に来るです! そしたらどうしてセンちゃんがお礼を言ったのか、わかるはずです!」
「貴様は理由を知っているのだろう!? ならもったいつけず、今すぐ教えろ!」
「ダメなのです! だって還っていくセンちゃんと約束したです! クーちゃんが自分で気付くまでは、教えないでね、って言われているです!」
「センティラス様が、そのようなことを……!?」
「はいです! だからセンちゃん、リグちゃんのお家に来て、一緒に暮らすです!」
ぴょんと子ウサギのように跳ね、クーララカの手から離れるリグちゃん。
サンドイッチをクーララカに手渡したあと、再びリュックに手を突っ込んだ。
井戸の底のように暗いリュックの中から、にゅーっと長い剣が出てくる。
大きさからいって、とても中に入るものではないのだが、魔法により空間拡張を施したリュックなのだろう。
「はいです、クーちゃん! これ、センちゃんからもらった大切なものです? だったらもう二度と、手放したりしちゃダメなのです!」
再び太陽のような笑顔に戻った幼女が差し出していたのは……。
今となってはセンティラスとの唯一の思い出の品となってしまった、チャルカンブレードであった。