89 1周年記念番外編 花の嵐15
次の日。
ハナアラシは隣街に来ていた。
布をかぶせて、中身をわからなくした大きな籠を肩で担ぎ、街の入り口のゲートをくぐる。
そのまま大通りを進むつもりだったのだが、多くの人だかりができていたので、足を止めざるを得なかった。
人々は引きつった顔で、空を見上げている。
少年は、人波であれれている大通りを目で追いながら、その先にある丘に目をやると……。
「……なっ!? なんてことを!?」
とっさに血相を変えて、駆け出していた。
かき分ける人混みから、悲痛なる声が漏れる。
「み……見て! 『虹の丘』のてっぺんのところ……!」
「あれは、『魔導装置』じゃないか!」
「なんで、なんで『魔導装置』で花を踏み潰しているの!?」
「あんなに綺麗に咲いた花を、メチャクチャにするだなんて……!」
大通りを抜けた少年は、改めて丘を見やる。
すると、そこには……。
葉を食い荒らす虫のように、丘を縦横無尽に駆け巡る、いくつもの魔導装置が……!
魔導装置はブルドーザーのような形状をしており、横暴なまでに力強いキャタピラで花を踏み潰し、暴虐なまでの排土板で、花を掘り返しまくる……!
鮮やかなじゅうたんを汚すように、土色に変えていた……!
その頂上では、嬌声とも狂声ともつかぬ雄叫びをあげる、ひとりの女が……!
「きゃははははははは! 悪いのはアテクシじゃない! 悪いのはぜんぶハナアラシ! ハナアラシの育て方が悪かったから、こんなどうしようもない花ばかりになった! だからぜんぶメチャクチャにして、アテクシがいちから育てなおすの! そうすれば、次こそはきっと『幻の花』が咲く! ダーリンも喜んでくれる! アテクシも大聖女になれる! きゃーっはっはっはっはっ!」
反り返った刃のように、身体をよじらせて哄笑するハナグルイ。
その様は、気が触れたとしか思えないほどであった。
しわがれた顔をねじって歪める様は、鬼婆としか言いようがなかった。
彼女がいるだけで、美しい花畑も、三途のほとりのようであった……!
ハナアラシは丘を駆け上がり、彼女に迫る。
「やめるんだ、母さんっ!」
母さんと呼ばれたその人物は、息子の姿を認めるなり、般若のような形相に強ばった。
凶刃のようにギラギラと輝く瞳で、斬りつけんばかりに我が子を睨みつけると、
「来たな、悪魔ぁ……! またアテクシの邪魔をしようと、やって来たなぁ……!?」
「違う! 俺は止めに来たんだ!」
「それを邪魔しに来たっていうんだよ! アテクシがせっかく掴んだチャンスを、お前は、何度も何度もメチャクチャにしてぇ……!」
「どうして……どうしてなんだ、母さん! 母さんは俺が小さい頃、花を荒らしたら、すごく怒っていたじゃないか! その気持ちが、やっと俺にもわかってきたのに……!」
「はぁーっ? 知らねぇよ、そんなの! アテクシが怒ったのは、花が大切だったからじゃねぇ! テメーにムカついたからだ! そしてテメーの育てた花にもムカついたから、こうしてやったんだ! アテクシの邪魔をするものは、ぜんぶこうしてやるんだよぉ!」
足元にあった小さな花を、ガッと踏みにじる。
「そ……そんな……!」
「ガキの頃のテメーは、アテクシの邪魔ばっかしてたから、捨てちまったけど……。ようやくアテクシの役に立つようになったかと思って、また拾ってやったんだけどねぇ!」
茫然自失のハナアラシに、花を踏み荒らしながらずかずかと近づいていくハナグルイ。
クマだらけの涙袋と、濁った瞳孔、そして鼻の穴をめいっぱい広げる。
さらにシワの刻まれた頬をつまんで、ビロンと伸ばし……。
干からびたルージュの唇から、枯れ木のような舌をだらんと垂らしながら、怪鳥のような奇声をあげた。
「ハナアラシちゅわぁぁぁぁぁぁーーーーんっ!! 生まれてきてくれて、ありがちょぉぉぉぉぉぉぉーーーっ!! ママンをステキな花でいっぱいにしてくれて、ありがちょぉぉぉぉぉぉーーーーーーーんっ!! ……なぁーんて言うと思ったか、バァーーーーーーーーーーーッカ!!」
ベッ! と唾を吐きかけられるも、ハナアラシは雨に打たれるように立ち尽くしたまま。
「ようやく役に立つようになったかと思ったら、まさかガキの頃以上に邪魔されるなんてねぇ! テメーにお情けなんてかけなきゃよかった! いいや、生まなきゃよかった! テメーはアテクシの人生で最大の失敗作だよっ! 肥溜めにブチ込んでも足りないくらいのね! わかったらもう二度と、アテクシの目の前に現れるんじゃないよっ! きゃっはっはっはっはっはっはっはっはっ!!」
少年は、ゆっくりと顔をあげた。
そして、あの時のことを思い出すように、言葉を紡ぐ。
「……俺は、この国を出ていくよ。みなし子になった時に、お世話になったルルディの村に戻ろうと思って。その村を花でいっぱいにして、恩返しをしようと思ってるんだ。だから今日は、母さんにお別れを言いに来たんだ」
言いながら、肩に掛けていたバスケットをかつての母親に向ける。
……ふぁさっ……。
と布が取り払われると、そこには……。
「お……黄金の、フラムフラワぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?!?」
「俺がホーリードール家の庭で、いちばん最初に育てた花だよ。マザーに頼んで貰ってきたんだ。これを、母さんに……」
……どんっ!
言い終わるより早く、少年は突き飛ばされ、鉢植えを奪われてしまった。
「きゃはははははははははははは! やったやった! やったぁぁぁぁぁぁ!! これがあれば、これがあればっ!! これを根分けして育てれば、絶対絶対、黄金のフラムフラワーが咲くに違いないっ!! ダーリンの愛を取り戻せて、アテクシは大聖女になれるっ!! きゃはははははははははははははは! きゃーっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!!」
黄金に輝く花を我が子のように持ち上げ、高い高いして大喜びの鬼婆。
少年は尻もちをついたまま、その踊り狂う様を眺めていた。
「……やっぱり最後まで、僕を見てくれないんだね……。母さんは僕を生んで後悔しているけど……僕は生まれてきて、よかったと思ってるよ。だって、だって……」
彼の声は、涙で震えていた。
「マザーが毎日のように、僕に言ってくれるんだよ。『生まれてきてくれて、ありがとう』って……」
しかしそれすらも狂笑にかき消されて、彼女の耳には届いていない。
「さようなら、母さん……。僕のいない世界で、幸せになってね……」
少年のなかで、永遠のように繋ぎ止められていた、母親という存在。
長かった親離れが、ようやく終わりを告げた。