78 1周年記念番外編 花の嵐4
4月。
春の訪れに、庭じゅうの花が開花する。
少年にとってはいちばんイタズラのし甲斐のある時期なので、身体が疼くが、ぐっとこらえる。
そして肝心の『フラムフラワー』のある花壇だけは、まだ冬の最中であるかのように、なんの息吹きも感じさせなかった。
ある雨の日。
ふと屋敷の中から窓の外を眺めていたハナアラシ少年は、庭に小さな人影が蠢いているのに気付く。
パインパックが、じょうろをもってヨタヨタと花壇に向かっていたのだ。
少年は「フン! あのバカっ!」と吐き捨てて屋敷から飛び出していく。
「傘もささねぇで、なにやってんだよ、パインパック!」
「おみじゅあげゆー!」
「雨が降ってるんだから、水はあげなくてもいいんだよっ!」
「めがでないから、おじゅあげゆー!」
「『フラムフラワー』は発芽が遅い花なんだよっ! 芽も出ないうちから水をやりすぎると根腐れを起こすんだよ! そんなこともわかんねぇのかよっ、このバカっ!」
少年は言い終えた途端、ハッと息を呑んで驚いた。
自分がパインパックくらい幼かった頃、母親から言われた台詞をそっくりそのまま口にしていることに。
「わあああん! はなたんがおこったー! わあああん! うわぁぁぁぁぁぁーーーーーんっ!!」
火が付いたように泣き出すパインパックに、ハナアラシは慌てる。
こんな時、プリムラとマザーはどうしていただろうと考えた。
少年は、姉たちのしていたことを思い出しつつしゃがみこみ、目線を合わせる。
そして本当の妹に接するように、やさしくパインパックの頭を撫でた。
「わ……悪い。ごめんな、パインパック。別に怒ってるわけじゃないんだ。えっと……ほら、空を見てごらん。水が降ってきてるだろう? これは空がパインパックのかわりに、水をあげてくれてるんだよ」
途端、ひくっ、と泣き止む妹。
「おそらが、おみじゅを……?」
「ああ、そうだ。パインパックが花に水をあげたいように、空も水をあげたいんだよ。でもパインパックも空もいっぺんに水をあげたら、花がおぼれちゃうだろ?」
「お、おぼれるの、いやー!」
「だろう? だからどっちかが水をあげるのを我慢しなくちゃ。パインパックはお姉ちゃんだろ?」
「ぱ……ぱいたんが、おねえたん……?」
「そうさ。空は赤ちゃんだから、我慢できないんだよ。お姉ちゃんだったら、雨の日の水やりをゆずるくらいできるよな?」
「うんっ! ぱいたん、ゆじゅるー!」
さっきまでの泣き顔はどこへやら、ひと足はやく天気が回復したような、さんさんとした笑顔を浮かべるパインパック。
そして実はこの時、少年は九死に一生を得ていた。
なぜならば、三女にとって『風神と雷神』ともいえる、二匹が……。
彼女の泣き声があがろうものなら、たとえ地球の裏側からでも駆けつけるような、絶対守護神たちが……。
かたや神風のような速さで、かたや迅雷のように一瞬にして、少年の背後に近づき……。
かたや後ろ脚の蹄振り上げ……。
かたや少年を趾で連れ去ろうと、ホバリングしていたのだ。
しかし時限爆弾のようだった幼女の悲しみは、寸前で解除されたおかげで、風神雷神の一撃は炸裂せずにすんだ。
フクロウと馬は、少し残念そうにしながらその場から去っていった。
5月。
ついに発芽。
『フラムフラワー』はとても育成が難しい花で有名だが、芽が出るまで実に半年近くかかったことになる。
ホーリードール家の庭のど真ん中、いちばん日当たりのいい花壇には……。
小さな緑の若芽が、ぽつんぽつんとあった。
それは地味で、美しさも力強さもない光景。
しかしながら三姉妹は、屋敷をあげての大騒ぎ。
いつもは楚々としていることで有名なホーリードール家の聖女たちがハイテンションになるのは珍しいこと。
ついには勇者からお祝いの花輪が届き、新聞が取材に来るほどになってしまった。
しかし贅を尽くした勇者からの贈り物も、聖女としての名をあげられる新聞の一面に対しても、彼女たちは迷惑顔。
この世界において、『真の聖女』とも呼べる彼女たちを、夢中にさせていたのは……。
富や名誉などでは、決してなかった。
ただ慎ましく土から這いだした、小さな生命。
吹けば飛ぶような、踏めば消えてしまうような、儚い生命……。
そして彼女たちから少し離れたところで、静かに佇む……ただのオッサンであった。
6月。
発芽してからはみるみるうちに成長。
芽の先端を摘んで、脇芽を増やしていく。
そして、虫も付きはじめる。
この時はパインパックが大活躍。
いつも庭で虫を捕まえて遊んでいるので、手で掴んではポイポイ放り捨てていた。
それとは真逆に、何事も真面目に取り組む次女がお呼び腰に。
「あっ……あの……すみません、わたし、虫さんは苦手でして……」
彼女は虫を見ているだけで、その虫さんが身体じゅうを這い回っているかのように、プルプル震えていた。
「フン! しょうがねぇなぁ、プリムラ、ならお前の分も俺がやってやるよ」
「すみません、ハナアラシさん。ご迷惑をおかけして……」
「いいってことよ」
そして少年は、心の中だけで続ける。
――あと少しで、この虫以上の恐怖をお前に与えてやれるんだからな……!
このくらいのこと、お安い御用だぜ……!
7月。
暑い日々がやって来る。
しかし『フラムフラワー』は暑さに強い植物なので、世話の手間はここで一段落する。
庭師の仕事も減り、夏休みのようにノンビリしていたハナアラシ少年。
日傘をさしたマザーが、パインパックを抱っこして、花壇の前でなにやらやっていることに気付いた。
――フン! 今は世話することなんてほとんどねぇってのに、アイツら、いったい何をやってるんだ?
あ、わかったぞ。新聞には興味ねぇフリをしてたが……。
ああやって世話するフリだけして、パパラッチにいいところを撮らせようとしてんだろう。
まったく……やっぱり聖女ってのは、どいつもこいつも変わらねぇなぁ。
富と名誉に貪欲で、白ブタみてぇだぜ……!
心の中で馬鹿にしつつ、彼女たちに近づいてみると、
「お花さん、一生懸命咲いて偉いでちゅねぇ~! いい子いい子でちゅよぉ~!」
「おはなたん、いいこー!」
「お花さんとハナちゃんが来てくれてから、この屋敷がますます明るくなったみたいで、ママとっても嬉しいわぁ」
「はなたんも、いいこー!」
キャッキャと楽しそうにしているふたりの間に、ハナアラシは割り込んでいった。
「……なにやってんだ?」
「あら、ハナちゃん。パインちゃんといっしょに、お花さんにお話ししてるのよ」
「……花と話す?」
「ええ。お花さんはこうやって話しかけてあげると、すくすく育つのよ」
「人間じゃあるまいし、そんなことあるかよ」
「お花さんも生きているから、褒められてるのがわかるとママは思うの」
「フン! そうかいそうかい。このクソ暑さのせいで、さらにイカれちまったってことか」
ケッ、と今度は口に出して馬鹿にするハナアラシ。
来て損したとばかりに姉妹に背を向け、屋敷に戻ろうとする。
その背後から、
「うふふ、お花さん。生まれてきてくれて、ありがとうね」
やさしい母親の声がした。
ハッ!? と少年は振り向く。
しかしそこにあるのは、変わらない現実。
実の親からいらない子だと罵られた、つらい現実であった。
……ギリッ!
少年は決意を新たにするように、握り拳を固める。
――フンッ!!
見てやがれ、このニセ聖女……!
テメェがそうやっていられるのも、今のうちだけ……!
この俺を利用して、さらなる名誉を貪ろうったって、そうはいかねぇ……!
この花が満開になったとき、テメェのそのすました聖女面も、最後……!
何もかもこの俺が、メチャクチャにして……!
化けの皮が剥がれたテメェの本性を、パパラッチどもにくれてやらぁ……!
そうすれば、俺は一気に有名人……!
花を荒らして人々を絶望に陥れる、『ハナアラシ』として、世間に名を轟かせるんだ……!!