56 野良犬レディの反撃3
シャンパンアケマクリの身体とともに、ステージに投げ出されたモノ……。
それはズボンのポケットに入るほど小さく、そして薄っぺらいものであった。
しかし、与えたインパクトは、メガトン級……!
見世物になっていたキングコングが、檻を破って飛び出したかのような衝撃をあたりにぶちまけていたのだ……!
それは、今現在のグレイスカイ島において、もっとも禁忌とされるモノ……!
リゾートを阿鼻叫喚地獄に陥れ、殺人鬼のいる孤島へと変えてしまった……!
野良犬のマスクっ……!!
ちなみにこのマスクは言うまでもなく、『スラムドッグマート』のイメージキャラクターである、ゴルドくんになりきれるという被り物である。
『スラムドッグマート』が展開している地域では、年末年始のパーティシーズンなどによく売れる。
決して怖ろしいものではなく、被るとどんなコワモテでもひょうきんになれるという、人気商品なのだが……。
いま、この島において彼の笑顔は、なによりも不気味なシロモノだったのだ。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーっ!?!?」
「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアーーーーーーーーーッ!?!?」
殺人鬼の正体見たりと、観客席は収拾のしようがないほど悲鳴が飛び交っていた。
もはや言い逃れできない絶望的な状況であったが、シャンパンアケマクリは訴える。
『こっ……これは誤解しゃんっ! あ、あの女にハメられたのしゃんっ! あ、あの女は以前もこのマスクを被っていたことがあるしゃんっ! だからあの女が、俺をハメるためにマスクをポケットに入れたのしゃんっ……!』
しかしそれは、下着ドロの弁明にも等しかった。
彼の言葉はもはや、観客たちにとっては、
『こっ……これは誤解しゃんっ! あ、あの女にハメられたのしゃんっ! へ、部屋の中を覗いたら持ち主がブサイクな女だとわかったから、下着は盗まなかったのしゃん! だからあの女が、俺をハメるために下着をポケットに入れたのしゃん……!』
そんな、見苦しい悪あがきにしか響いていない。
背後に仁王立ちになった被害者の女性が、さらに追い討ちをかける。
「見苦しいぞ、シャンパンアケマクリっ! 異教徒ではないワイルドテイルの私を捕らえ、『狭間ルーレット』にかけた時点で……どっちが悪なのかは、もはや明白であろう!」
クーララカはワイルドテイルではない。
シャンパンアケマクリから付けられた、犬耳と犬のしっぽをしているだけだ。
しかしここでワイルドテイルでないことを明かすと、反撃のキッカケを与えてしまうと思い、それは流す。
クーララカは度重なる水責めによって、手配書の似顔絵とだいぶ様相が変わっていたのも幸いしていた。
そして、ここからが勝負の分かれ目でもある。
シャンパンアケマクリは奇襲をマトモに受けて、正常な思考ができない状態。
論理的な反論をするだけの余裕を取り戻す前に、次のステップへと進む必要があった。
クーララカはまるで敗残兵を追う司令官のような余裕で、這いつくばるシャンパンアケマクリを指さす。
「さあっ! この男がいま巷を騒がせている、野良犬マスクの一味だということがわかっただろう! あやつを捕らえるのだっ!」
彼女の手下となったかのようなカジノスタッフたちが、一斉に襲いかかった。
シャンパンアケマクリは最後の抵抗を試みる。
『やめるしゃん!? やめるしゃんっ!? そんなことをしたら、どうなるかわかってるのかしゃんっ!? 俺は本当は勇……!』
彼はそう叫びかけて、消沈。
――こ、ここで俺が、ジャンジャンバリバリであることをバラしたら、助かるかもしれないしゃん……!
で、でも……!
ば、バレてしまうしゃんっ!
真の姿が……!
その葛藤はなにやら格好良かったが、ようはヅラであることが知れるのを怖れているだけである。
往生際の悪い、死刑囚のような彼の叫びをバックに、クーララカは舞台袖にいるカジノオーナーにささやきかけていた。
「罪のないワイルドテイルを『狭間ルーレット』に掛けたことがバレたら、このカジノもタダではすまぬだろうなぁ……! そこで、だ……!」
こしょこしょと耳打ちした内容は、間近で聞いても我が耳を疑うような内容……!
でも、願ってもない内容……!
オーナーは恰幅のいいコワモテ紳士であったが、今や彼女のアシスタントに成り下がったかのように、こくこく頷いていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
『……レディース・アーン・ジェントルマン! 今宵はもっとも楽しく、刺激的……! そして忘れられぬ夜になることを、この私が約束しよう!』
……バンッ!
と照らされたスポットライトには、タキシードでキメた、スーパーレディのような女性。
彼女は背が高く、肩幅も広いので、男性用のタキシードでも難なく着こなしていた。
そして先ほどとは見違えるほどの美しさになって、まるで宝塚のトップ・オブ・トップ。
そのキリリとした褐色の美貌は、異性ばかりか同性までも魅了。
見るものすべてに、ほぅ……と感嘆の溜息をつかせていた。
『私は夢だったのだ! カジノの進行役というものを、一度やってみたいと! そして今夜、このカジノのオーナーのご厚意により、その夢が実現したっ!』
他人の夢などどでもいいセレブたちであったが、彼女の演説にはすでに引き込まれ、ワッ! と祝福の拍手喝采を送る。
『そしてきっとこの男も、こうなることを夢見ていたに違いないっ!』
彼女が白手袋で示すと、スポットが移動。
……バンッ!
と照らし出されたのは、
「ど……どうして……!? どうしてしゃんっ……!?」
まだ事態が飲み込めていないような『球』が……!
『この男は心の中で、皆のことをあざ笑っていたに違いない! 罪なき者を裁いて喜んでいる、馬鹿者たちだと……! 本来の憎むべき存在はすぐ隣にいるというのに、気付かない愚かなる者たちだと……!』
「そっ……そんなこと思ってないしゃんっ! デタラメしゃんっ!」
『そしてこうも思っていたに違いない! もし自分が「球」になれば、この者たちからもっともっと……! それこそ根こそぎチップをもぎ取ってやれるだろうと……!』
観客席からのブーイングに乗るように、新生MCは高らかに宣言する。
『では、受けて立ってやろうではないか! 我ら正義はその圧倒的な力をもって、この邪悪なる「球」を叩き潰してやろうではないか! 我らが力を合わせれば、怖いものなど何もないっ! 財力に勝るものなどこの世には存在しないということを、この身も心も薄汚れた「球」に、教え込んでやるのだっ!!』
「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」
観客たちは総スタンディング・オベーション。
いや、ジャンピング・オベーション……!
シャンパンアケマクリとはまた違ったやり方で、彼らの心をわし掴みにしていたのだ……!