53 解き放たれた野良犬
グレイスカイ島いちばんのカジノは、連日盛況であった。
観客席は満席で、急遽増設されたのだが、それでも予約でいっぱい。
カジノのオーナーは思いきって立ち見席を作った。
普段は立ち見など絶対にお断りのセレブたちであったが、このルーレットに参加できるのであればと利用。
これもひとえに、とあるワイルドテイルが泣き叫ぶ様を、ひと目見てやりたいという一心からである。
『八十裂き事件』で島は孤島化したうえに、『犬神事件』で海はいつ死体が浮かぶわからない状況。
人々のストレスは自然と内なる施設に向けられる。
『笑う邪教徒』と呼ばれた彼女は、この島では野良犬マスクに次ぐ有名人になりつつあった。
噂が噂を呼び、カジノには観光客が殺到。
そして今日ついに、観客席からすべての席が取り払われ、立ち見オンリーとなった。
それでも、満員御礼……!
まるで超人気アーティストがやって来たかのように、セレブたちがひしめきあう……!
観客数は史上最大規模。
今夜、莫大な金が動くのは明白であった。
おそらくルーレットは、前人未踏の3桁台に突入する。
そう……! 100億¥の賭け……!
ゲームを仕切るシャンパンアケマクリにとっても、一世一代の大勝負……!
今夜のゲームを盛り上げることができれば、アフロを買う金が貯まる……!
さらにシャンパンアケマクリにとっての、初めての晴れ舞台でもあったのだ……!
夜の海に星空が映り込んでいるかのような、きらびやかな観客席に向かって、彼は颯爽と叫ぶ。
『……レディース・アーン・ジェントルマン! まさに淑女と紳士と呼ぶにふわさしい……! いやいや、女王と皇帝と呼ぶにふわさしい、高貴な方々ばかりに見つめられるなんて、最高しゃぁーーーんっ!!』
いつもの名調子。
しかし彼はすでに驕っていた。
今夜の王は、お前らのような成金などではなく、この俺であると……!
『今宵も美男美女揃いしゃんっ! いま、このカジノの外を歩けば、ブサイクばっかり目についちゃうじゃぁーーーーーんっ! ああっと、そこにおすわすは、ルナリリス様!? このルーレットは女神様をも夢中にさせちゃうしゃぁーーーーーーんっ!!』
舌の調べはいつものように絶好調。
もはや彼が、ジャンジャンバリバリに復帰するのを邪魔する要素は何もないかに思われた。
ついに始まる狂宴。
ファーストベットは、いきなり1億¥の10回転であった。
シャンパンアケマクリはルーレットを回すべく、水車に近づく。
そして、そっと『球』に耳打ちする。
『今日は、ファイナル・ゲーム……! だからお前を使い倒してやるしゃん。いつもは正気を保てるくらいには手加減してやったしゃん。でも今日は最初から全力でいくしゃん。せいぜい、いい声で鳴くがいいしゃん……!』
轡をさせられている『球』は無言。
キッ! と睨み返してくる。
それは、いつものやりとり。
ふたりにとっての、いつもの光景であった。
しかし今日は少しばかり様子が違う。
『球』の眼に不思議と、力強さのようなものを感じた。
まるで捕えられてもなお、援軍が来ると信じている武将のように。
でもシャンパンアケマクリは、それも最後の強がりなのだろうと気にしない。
まるでライン工のように、慣れた手つきでレバーを動かし、ルーレットを回転させる。
流れ作業のように、『球』を水の中に沈めた。
もはや『球』のほうも慣れているのか、叫びもせずに水のなかに消えていく。
シャンパンアケマクリは、ファーストフード店のアルバイトがポテトの揚がり具合を確認するように、水槽を覗き込んでから引き上げる。
……ざばあっ……!
「ごはぁぁぁぁぁっ……!」
『球』が吐き出した水に、ピンポン球が混ざっていた。
『ああーーーーーーーーーーーーっとぉ!? 最初の1回転目からチャンスボールとは、ウルトラッキーしゃぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーんっ!! ♪何が出たしゃん? ♪何が出たしゃん?』
節をつけて唄いながら、ルンルンと浮かんだピンポン球を拾い上げ、そのまま読み上げる。
『えーっと、球の轡がゲームの間じゅう、外され……るうぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっーーーーーっ!?』
シャンパンアケマクリの語尾が、驚きに急上昇。
目はピンポン球みたいに剥かれた。
『なっ……ななっ、なんでこんなのが、入っ……!?』
思わず口に出してしまい、慌ててつぐむ。
驚愕ごと飲み込むように、ゴクリと喉を鳴らした。
――い、いつの間にこんなボールが……!?
こ、こんなチャンスボール、入れた覚えはないしゃんっ!?
轡を外すだなんて、とんでもないしゃんっ!
何を喋られるか、わかったものじゃないしゃんっ!
『こ……これはナシしゃんっ! こんなことをやっても、ぜんぜん面白くないしゃんっ! さっ、さあ、ルーレットの続きを……!』
しかし誤魔化したところで、もう遅かった。
観客たちは顔を見合わせあって、ヒソヒソ話をはじめる。
「……そういえば、普通の『狭間ルーレット』だと、轡なんてしてないよな?」
「うん。口を閉じれないようにして、より苦しめる仕掛けだと思ってたから、気にしなかったけど……」
「でもよく考えたら、轡がないほうが面白いんじゃないか?」
「そうだ、『狭間ルーレット』は『球』のあげる悲鳴が醍醐味なんだ!」
「そうそう! 今までのゲームで、『笑う邪教徒』は何か叫んでたけど、轡のせいで何を言ってるのか全然わからなかったんだよな!」
「取れっ! 轡を取れーーーーーっ!」
「そうよ! あの女の悲鳴が聞きたいわっ!」
「とーれっ! とーれっ! とーれっ! とーれっ!!」
そして始まる『轡を取れ』コール。
シャンパンアケマクリは言葉を詰まらせ、『うぐっ……!?』と後ずさる。
『かっ……観客のみなさまっ! こ、このチャンスボールは間違って紛れ込んだものしゃん! だから無効しゃんっ! あっ、そうだ! そのかわりに、チャンスボールのフルコースといくしゃんっ! 電撃に熱湯にピラニアに……! く、くすぐりも付けちゃうしゃぁぁぁぁぁぁぁーーーーーんっ!! シャンパン、アケマクリィィィィィィィィィィーーーーーーーーーッ!!』
勢いで誤魔化そうとしたが、無理であった。
観客のコールは止まらない。
それでもシャンパンアケマクリはなんとかして、観客の気をそらそうと懸命になる。
舞台袖にいるオーナーから「外せ!」と命令されても、断固として拒否した。
観客もどんどんヒートアップ。
そしてとうとう痺れを切らしたオーナーが、スタッフをステージにあがらせ、強制的に轡をはずそうとする。
『だっ……!? ダメしゃんダメしゃんっ!? そ、そいつは獰猛なワイルドテイルしゃんっ! 轡を外したらガブーッって噛みつきまくるしゃんっ! みんな噛み殺されちゃうしゃんっ!?』
シャンパンアケマクリはスタッフに取り押さえられてもなお、最後の最後まで抵抗したが……。
その努力も虚しく、野良犬は、野に解き放たれたっ……!
その第一声。
この窮地を脱出するための、起死回生の一声……!
そう……!
今日のゲームが大一番の勝負だったのは、シャンパンアケマクリだけではなかったのだ……!
野良犬レディが放った遠吠えは、それほどまでに、信じられないものであった……!
「こ……この男……! シャンパンアケマクリは……! 野良犬マスクの一味だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」