51 走馬灯1
リヴォルヴの屋敷は、怪盗の予告状が連日送りつけられてきたような美術館さながらの、夜を徹しての厳戒態勢が敷かれていた。
廊下には、洋館に飾ってある鎧甲冑さながらに、武装した神尖組の者たちが立ち並ぶ。
書斎の入り口と、テラスにも警備を配置。
リゾート地の別荘のようだった邸宅は、今や抗争中のマフィアのアジトのよう。
いつもは開放感のある窓の外には星空が広がっていて、リヴォルヴにとっての癒しのひとつになっていたのだが、今やそのキャンパスには、途切れることなく無骨な男たちが映り込んでいる。
溜息ひとつ、視線を戻すと……リヴォルヴは口を開いた。
「……マザー・リインカーネーションがこの島にやって来て、島に入れないということが分かった途端、さんざん意味不明のことを喚いて……。そしたら急に船がブッ壊れて、海が荒れて、サメが集まってきた……お前は、そう言いたいんだナ?」
「はっ、リヴォルヴ様!」
「俺の耳がイカれちまったわけじゃなかったらしい。イカれてたのはお前の脳みそだったようだナ」
「いえ、本当なのです! 本当にリインカーネーション様が、へんなオッサンの描かれた船でお越しになって……! へんなオッサンを身体じゅうに貼り付けたお姿で、ご乱心なされて……! 嵐をお呼びになったのです!」
「まぁ、いいやナ。で、それからどうなったんだ?」
「はっ! その後がまた、大変でして! サメに襲われた神尖組の者たちを『祈り』で治してくださったのですが、サメに襲われている真っ最中だったので、サメがムキになって、どんどん食いついてきて! リインカーネーション様は、我々が食われるそばから治してくださって! 治るものだからサメはどんどん食いついてきて、まるで無限に身体を喰われているような苦しみでした! プリムラ様がリインカーネーション様をお止めくださって、ようやくサメから解放されたのですが、まるで地獄のようでした!」
リヴォルヴに報告に来た隊員は、海上警備隊の隊長。
説明が要領を得ないのは、彼もサメに食われたクチで、そのときの恐怖を思い出しているからであった。
状況を簡単に説明するなら、サメ側からすれば、殴っている相手が殴っている最中に健やかに回復しているようなものである。
通常、こんな事態は起こりえない。
なぜならば、聖女の『祈り』というのは発動までに祈祷の時間があるうえに、いちど発動すると聖女自身が消耗するので、間を置かないと次に使うことはできないからだ。
しかし件のマザーの『祈り』は規格外。
「いたいのいたいの、とんでいけ~!」だけで、その場にいる者すべてを治してしまう。
しかも何度でも連続発動できる。
サメが襲ってきたときは、マザーは別の意味でパニックに陥っていた。
しかし聖女として、目の前で傷付いている者たちは放っておけず、半狂乱になって『祈り』を連呼し……。
それが結果的に、海上警備隊に生き地獄を味わわせることになってしまった。
ちなみに被害にあった海上警備隊の者たちは、身体には傷ひとつ残らなかったものの、心に大きな傷を負ってしまい、全員入院。
リヴォルヴに事の顛末を説明するために、隊長だけがストレッチャーに乗せられて、この書斎に運び込まれたというわけだ。
まるで新しい価値観に目覚めたかのような、瞳孔の開ききった部下の説明に、リヴォルヴの溜息も止まらない。
「で……? その狂ったマザーはどうナったんだ? この島の精神病院にでも運び込んだのか?」
「いいえ! プリムラ様が船を引き返してくださいました!」
「ふぅん……。そういえば、お前ら海上警備隊はずっとサメに食われ続けてたんだよナ? 結局、どうやってサメから逃れたんだ?」
「はっ! それが、プリムラ様が素晴らしいものをくださいまして!」
「素晴らしいもの?」
「はっ! 『サメよけクリーム』という軟膏をくださいました! サメに食われながらも、その軟膏を塗ったら、たちまちサメどもは逃げていったのです!」
「ナにぃ?」
「いやあ、大陸のほうには素晴らしいものがあるんですね! まさかサメを忌避できるだなんて! リヴォルヴ様、ぜひあのクリームを大量購入して、海上警備隊にも配備していただきたいものですなぁ!」
隊長は、すっかり感化された様子だった。
そして、知らず知らずのうちに、聖女アゲ、上司サゲになっているようだった。
創勇者であるリヴォルヴに、アイテムを作ってほしいというのならともかく、『買え』とは……!
……ズダァァァァァァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーンッ!!
この書斎ではもはや、珍しくなくなった銃口が轟く。
警備についている者たちも慣れたもので、通りすがりに一瞥するくらいであった。
リヴォルヴは硝煙残る相棒を机に投げ出し、心のなかで舌打ちひとつ。
――チッ……! 最近どうにもイラついてるナァ。
何もかも、あの野良犬マスクの野郎のせいだってのはわかってる。
サメに襲われた海上警備隊のなかで、唯一、精神がマトモだったヤツを、つい撃っちまった。
いや、マトモじゃねぇナ。
……という考えに至るのも、無理はないだろう。
ホーリードール家といえば、大陸より離れたこの島にも噂が聞えてくるほどの聖女の名門。
その家長であるマザー・リインカーネーションといえば、女神の生まれ変わりとも称される人物である。
そんな、偉大な人物が……。
へんなオッサンでデコレーションされた船と身体で乗り付け、島に入れないとわかったら発狂だなんて……。
もうこの時点で、報告者のほうが正気を疑われるレベルである。
もしこれが、マザー本人の耳に入って、マザーが激怒した場合、死罪になってもおかしくはない。
しかもそのうえに、意味不明のことを叫んで甲板を転げ回っただなんて……。
一挙手一投足が、たおやかでしめやかで、まわりにある空気まで浄化するといわれた、あのマザーが……。
悪ガキにローブに火を付けられても慌てず、悪ガキを許した彼女が取り乱す姿など、誰も想像もつかないだろう。
しかもしかも、嵐のように海が荒れ、サメを集めるだなんて……。
もうこの時点で、ウソを隠す気すらもなくなったように感じる。
それでも百万歩譲って、マザーがおかしくなったのは認めるとしよう。
でも、このグレイスカイ島の近辺の海域は、歴史が知るかぎり一度も荒れたことがない。
それに、サメの存在も一度も確認されたことがない。
それを、どうして……。
歴史が証明しているものを、どうして……。
どうして疑うことなど、できようか……!?
不意に、リヴォルヴの思考に声が割り込んでくる。
「う……ううっ……!」
途切れがちなそれは、ストレッチャーから起き上がった海上警備隊の隊長であった。
頭から流した血が、死んだ魚のような目を塗りつぶしていく。
「ああ、まだ、生きてたか……。相棒はまだ威力に改良の余地があって、弾が貫通しねぇんだよナ」
「り……リヴォ……ル……ヴ……さ……ま……!」
「半死半生ってヤツか。このロシナンテルーレットでは、生還以上の大当たりじゃねぇか。いまお前の中には、『走馬灯』が駆け巡ってるんだろう?」
――いいよナァ、走馬灯ってヤツは……。
だってそれが視えるってことは、『生きるか死ぬか』の『狭間』にいる……。
人間は死にかけると、過去の記憶を遡って、その中で『生きる術』がないかを必死に探す……。
ルーレットのように巡る記憶のなかで、運良く『生きる術』が見つけられたら、生還……。
もし見つけられずに時間切れになったら、死断……。
これはいわば、『生』か『死』かを賭けた、人生最大の大博打ってことじゃねぇか、ナァ……!
きっとそのルーレットの最中は、『狭間』にいる感覚を、誰よりも、何よりも味わうことができる……。
俺はこの島を、そんな『人生最大のスリル』に満ちた場所にしようと、努力してきた……。
リヴォルはもはや、死断を引き当ててしまったモノには興味はない。
椅子を回して、窓の外を眺める。
――きっと今もどこかで、走馬灯を視てるヤツが、この島のどっかにいるんだろうナァ……。
この星空よりも必死に瞬いて、そして、墜ちていく……。
ひときわ強く明滅する星を、彼は見つけた。
「どうやら、とびっきりの走馬灯を視てるヤツが、いるみたいだナ……。まったく、羨ましいナァ……!」