表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

361/806

43 クーララカの逃亡生活2

 クーララカは、疲労と負傷で思うように動かない脚を引きずり、朦朧とする頭を壁にこすりつけるようにして走った。


 のしかかる疲労はもはや限界を超えつつあった。

 身体は悲鳴をあげるのを通り越し、泥沼にはまっているかのように重い。


 しかし止まれば引きずり込まれる。

 死という名の、水底に……!


 周囲にはわぉんわぉんと警報のように鳴る、神尖組の怒声。

 そして背後からは、



「どこいった!? コックェェェェェェェェェェェーーーーーーッ!? もう逃げても無駄だっ! コックックックッ……! コックェェェェェーーーックックックックックゥーーーーーーーーッ!!」



 刑務所から抜け出したばかりのような、殺人鬼の雄叫び……!


 その奇声に混じり、壁ひとつ隔てたほどの至近距離で打ち鳴らされる、肉切り包丁の音。

 クーララカが辛うじて正気が保てていたのは、皮肉にも、その気も触れんばかりの奇想曲(カプリッチョ)であった。


 もはや、この裏路地は完全に包囲されている。

 答え合わせをするように、迷路を塗りつぶしていくかのように、少しずつ逃げ場を断たれている。


 そして最後のマークシートに、鉛筆が当てられるように……。

 クーララカの眼前にあったのは、高い高い壁……。


 袋小路であった……!


 背後から迫る、怒号と奇声の嵐。


 狂った笑い声にあわせて、曲がり角から影が近づいてくる。

 この先が行き止まりであることを知っているかのように、時折立ち止まり、ケタケタと身体を震わせている。


 恐怖のあまり全身の感覚がなくなり、雨に打たれたわけでもないのに身体が冷たくなっていく。

 ここは南の島であるはずなのに、凍えるような寒さを感じ、歯がカタカタと鳴った。


 しかしその音すらも消え去り、嵐の前のような豪雨の音だけが、ごうごうと頭の中に鳴り渡る。

 いま自分は、どうしようもない絶望に支配されているのだと、他人事のように思った。


 もう頭も、身体も、なにも動かない。

 蛇に睨まれたカエルというのはこんな気持ちなのかと思う。


 そしてとうとう、立っていることすらできなくなってしまった。



 ……ぐらり……!



 と身体が揺らぐ。

 飲み込まれていくように身体を預けた先は、粗末な木扉。



 ……ばたぁーーーーーーーーんっ!



 とそれを蹴破るのと、倒れた身体が腐りかけた床板にめりこんだのは、ほぼ同時であった。

 奥のほうから、椅子から転げ落ちるような音がする。



「……わあっ!? 何なのしゃん!? 何なのしゃあんっ!?」



 どこかで聞いたような、しかしちょっと違うような男の声。

 しかしクーララカは、もう考える余裕などない。


 一縷の望みを託し、最後の力を振り絞って、手を伸ばす。



「た……頼む……! お、追われて……いるんだ……! た、助けて……くれっ……!」



 ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 クーララカが飛び込んだのは、路地裏にある廃屋のような家。

 その家にいた男は、隣の晩ごはんのように突撃してきた大女に腰を抜かしていた。


 しかしクーララカが追われているとわかると、彼女を部屋へと引きずり込み、後から来た追っ手を誤魔化してくれた。


 そして今、クーララカは粗末の木のテーブルに座り、数日ぶりの食事となるサンドイッチを頬張っている。



「た……助かった! 恩に着る! かくまってもらうどころか、傷の手当てに加えて、こうして食事まで……!」



「なあに、いいってことしゃん。どうやら見たところ、ホームレスじゃないようしゃん?」



「あ、ああ……! 実は仕事でこの島に来ていたのだが、ちょっとした事故にあって……!」



「いま、島に出回っている手配書の人相書きと、なんだかそっくりしゃん?」



 その一言に、身を固くするクーララカ。

 男は笑い飛ばした。



「イイしゃんイイしゃん! 神尖組に突き出したりはしないしゃん! 突き出すつもりだったら、わざわざかくまったりしないしゃん!」



「す……すまない。でも、どうして手配中の私を、かくまってくれたのだ? バレたら、あなたもただでは……」



「なぁに、俺も事故にあって、神尖組に酷い目にあわされたクチしゃん。この島にリゾートに来ていただけなのに、今ではこのザマしゃん」



 男は、お手上げといった様子で両手を広げる。


 スキンヘッドに褐色の肌、派手なシャツにショートパンツ。

 身に付けている衣服はいかにも成金趣味といった感じだったが、しかし着の身着のままなのか、だいぶ汚れている。


 まるでリゾート地で被災し、無一文となってしまった金持ちのような見目。

 そしてクーララカにとっては初見の人物のはずなのに、どこかで会ったことがあるような気がしてならななかった。


 しかし決定的な何かが欠けているような感覚があって、どうしても思い出せない。

 ならば深く考えてもしょうがないと、彼女は違和感を早々に切り捨てる。



「貴公も私と同じような境遇だったというわけか。……助けてくれて、本当に感謝する」



 そう言って、クーララカは頭を下げた。

 こんなに素直に頭を下げたのは、彼女にとっては久しぶりのこと。


 それほどまでに追い詰められ、それどまでに救いになっていたのだ。



「なぁーに、困ったときはお互い様しゃん。だから気にするなしゃん。といっても俺も貧乏だから、たいしたもてなしはできないしゃん。でも、かくまってあげることくらいならできるしゃん。ここは安全だから、脚の怪我が治るまでいるといいしゃん」



 親切が、じいんと身に染みたかのように身体を震わせ……。

 クーララカは、言葉に感激を滲ませた。



「あ、ああ、すまない……! 本当に、なにからなにまで……!」



「疲れたんだったら、奥にソファがあるから、横になるといいしゃん」



「それでは、お言葉に甘えさせてもらおう。実をいうと、ここ数日まともに眠っていなかったのだ」



 テーブルに手を付いて立ち上がったクーララカは、片足を引きずって部屋の奥へと向かう。

 その途中で、ふと振り向いて、



「そういえば、名前をまだ伺っていなかったな。私はクーララカ、貴公は?」



「……『シャンパンアケマクリ』しゃん」



「そうか、とても景気の良さそうな名前だな。野良犬(スラムドッグ)などとは大違いだ」



 その軽口は、シャンパンアケマクリの額をピクリと震わせていたのだが、クーララカは気付くことはない。

 そのまま奥のソファまで歩いていき、倒れ込むと同時に寝息をたてはじめる。



「思わぬカモネギが、転がり込んできたしゃぁぁぁんっ!? ツイてるしゃん! ツイてるしゃぁぁぁぁーーーーんっ!? シャンパン、アケマクリィーーーーーーッ!!」



 そんな独特な歓声すらも、もはや届くことはなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ