38 犬神
平和を取り戻したグレイスカイ島を、ふたたび襲った連続殺人事件。
いや、連続し過ぎ殺人事件……!
この大事件にまたしても、島じゅうは突かれた蜂の巣と化した。
ビーチで目撃した者はもちろん、ホテルで遠巻きに目にした者はもちろん。
噂が噂を呼んで、騒乱は内陸にあるワイルドテイルの集落にまで及んでいた。
「た……大変じゃあっ!? 大変じゃあ! やれやれ聞いたか、やれ聞いたかっ!?」
「ああっ、聞いた聞いた! 実際に見たヤツもおるらしいぞ!」
「ああ、ワシは見た! あんな不気味な水死体、初めてじゃ!」
「やっぱり、言い伝えの通りだったんじゃ! シラノシンイ様は、本当に怒っておられるんじゃ!」
「ああ! アレはまさにシラノシンイ様の天罰のひとつ、『犬神』……! 脚だけ残して海に沈めて見せしめにする、おっそろしい裁きじゃぁ!」
「しかもその『犬神』にあったのは、神尖組の勇者様たちらしいぞ!」
「サイ・クロップス様の『八十裂き』に続いて、『犬神』まで起こるとは……! あぁ、おそろしや、おそろしや……!」
「あっ!? み、見ろっ!」
「『神の住まう山』の崖の上に、野良犬マスクが立っておる!」
「隣には、チェスナもおるぞ!」
シンイトムラウの麓にある集落の民たちは、絶壁の崖に注目する。
そこには野良犬のマスクをかぶったオッサンと、巫女装束の犬耳少女が、陽光をいっぱいに浴びながら朝の体操をしていた。
「い……『犬神』の裁きがあったというのに……!? 昨晩、山に入った勇者様たちは、みいんな死んじまったっていうのに……!?」
「なんであの野良犬マスクは、平気でおるんじゃ? チェスナは巫女じゃから、まだしも……」
「ま……まさか、あの野良犬マスクが……!?」
「め……滅多なこと言うでねぇ! このバチあたりが!」
「で、でもよぉ、おかしいじゃねぇか! あの野良犬マスクと、そばにいるチェスナだけは無事だなんて!」
「そ、そうだっ! それにあの野良犬マスクが来てからじゃねぇか!? シンイトムラウ様がお怒りになったのは……!」
「ま……まさか……!? まさか、そんな……!?」
ワイルドテイルたちは改めて崖を見上げる。
そこには背伸びの運動をする、野良犬マスクが。
どう見ても神様というよりは、ただの変わり者のオッサンにしか見えない。
しかしそれがかえってミステリアス。
あのとぼけた顔が、知らず知らずのうちに心の隙間に入り込んでいることを、自覚する者はまだいなかった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
そのころリヴォルヴの屋敷は、沈痛なる空気に包まれていた。
息子のロータスノーツは氷像のように全身蒼白。
まだ幼いというのに髪の毛まで真っ白になって、屋敷の医療室のベッドで意味不明の呻きをあげ続けている。
プールにあった死体はぜんぶで18体。
数からして、リヴォルヴは嫌な予感がしていたのだが……。
案の定、死体の身元は神尖組第13番隊の、第3班と第4班であった。
「……狭間のなかでも『死』に居すぎるあまり、死神と呼ばれたヤツらが……脚を踏み外しちまうとはナ」
そう軽口を叩いてみても、気持ちはいっこうに晴れない。
なにせ彼が大切にしていたものを、いくつも踏みにじられてしまったのだから。
ひとつは愛息。
死体は幼い頃から絵本がわりに見せてきて、息子自身にもそれを創り出すことへの興味を抱かせるような教育をしてきた。
なぜならば、創勇者が創り出すのは『武器』などではない。
あくまでその先にある『死』を量産することこそが肝要だと、リヴォルヴは思っていたからだ。
その創勇者としてのバランス感覚を失わないために、リヴォルヴは『狭間』に身を置いている。
息子にもいずれ、そうさせるつもりだった。
その域に達するまで、あと少しだったのに……。
若芽をまっすぐに伸ばすように、すくすくと育ててきて、もうすぐ蕾というところだったのに……。
開花を阻害するかのように、その横に植え付けられてしまった……。
精神的外傷という名の、雑草を……!
心に傷を付けられたのは、なにも幼い息子だけではない。
母親はもちろんのこと、彼自身もそうであった。
なにせ、街中を暴れ馬が荒らしたのとはわけが違う。
ビーチに水死体が浮いたのともわけが違う。
この世のどこよりも安全だと思っていた、自分の屋敷の……。
厳重なる警備が敷かれた、神尖組の本丸ともいえる場所で……。
自分の関知せぬ死体が、創り出されたのだから……!
しかもワイルドテイルではなく、神尖組自身の……!
……これは、ある種のメッセージであるともいえる。
ツ ・ ギ ・ ハ ・ オ ・マ ・ エ ・ ダ
「……リヴォルヴ様、リヴォルヴ様っ!?」
ハッと我に返った彼の前に、部下が敬礼をして立っていた。
「ナんだ?」
「はっ! リヴォルヴ様に来客でございます! ストロングタニシと名乗るワイルドテイルです!」
「通しナ」
訪れたストロングタニシの話によると、第4班は野良犬マスクにやられたらしい。
「そ、それが、リヴォルヴの旦那、信じられねぇんでさぁ! 野良犬マスクの野郎、第4班の方々を9人も相手にして、孫の手2本だけで……!」
「それはもういい。野良犬マスクと第4班が戦っているときに、狙撃はナかったか?」
「へっ、狙撃……?」
「……いや、それもどうでもいいナ。神尖組の本隊が死んで、野良犬マスクが生きている以上、答えはひとつだ。お前の目がどんなに節穴でも、お前の口がどんなにホラを吹いても、野良犬マスクがただの野良犬だったとしても、ナ……!」
リヴォルヴに残された選択肢は、ひとつしかない。
野良犬マスクの、屠殺……!
たとえ野良犬マスクが、ワイルドテイルたちが担ぎ上げた、ただのオッサンだったとしても……。
何としても、滅殺……!
オッサン風情が神尖組に立ち向かうなど、おとぎ話の世界ですらありえない荒唐無稽な話であるが、全力で相手をする必要があるのだ。
なぜならば、それにはふたつ理由がある。
精鋭揃いの本隊を全滅させられた以上、勇者上層部からの追及が必ずあるだろう。
どれほどの相手なのかと尋ねられた場合、
「ただのオッサンにやられました。いやぁ、参りましたナぁ」
などと、報告できるわけもないからだ。
だからこそオッサンを、神尖組が倒すにふさわしい、剣聖クラスの人物に仕立て上げる必要がある。
そして次に、時間との兼ね合い。
もうじき、島の『神尖の広場』において、神尖組の入隊式典が執り行われる。
これは、いま大陸のほうで行なわれている、聖女集会にも負けないほどのビッグイベント。
聖女集会を終えた、勇者上層部や大国の王族関係者たちは、大半がそのままこちらに訪れる。
このことからも、入隊式の注目度の高さがわかるだろう。
超VIPたちがこれから島に訪れるというのに、野良犬の脅威を残したままにはしておけない。
入隊式典はリヴォルヴが総責任者を務めているので、それまでに憂慮となりそうなものはすべて排除しておく必要があったのだ。
ちなみにではあるが、式典ではワイルドテイルの巫女であるチェスナが磔にされる。
そして新人隊員がひとり1回づつ、広場にあるゴッドスマイルの像と同じ槍で巫女を突き刺し、決意表明をするというイベントも予定されていた。
集落から集められたワイルドテイルたちは、檻の中でその様子を見させられ、神はシラノシンイなのではなく、ゴッドスマイルであると思い知らされるのだ。
だからこそ、それまでに野良犬マスクを始末し、チェスナを取り返す必要がある。
そこでふと、リヴォルヴは閃いた。
「……いや、野良犬マスクを『野良犬の神様』ってことにすれば、第13番隊を失った言い訳も立つ……。さらに生け捕りにした野良犬マスクを、式典で磔にすりゃ……。野良犬どもの信仰心を、完全にブッ潰せる……! 式典のショーとしては、最高のものになるじゃねぇか、ナァ……!」
オッサンついに、現神にっ……!?
「あの人」登場まで、あと2回っ…!