30 石板焼き
時は少し戻り、夕闇迫る『神の住まう山』。
野良犬のマスクのオッサンと、犬耳少女チェスナは、洞窟前の岩場に腰掛けていた。
「今日は、鉄板焼きにしましょうか」
オッサンの一言に、チェスナは「わうーっ!」と諸手を挙げて応じるも、
「てっぱんやき、ですか?」
すぐに小首をかしげていた。
「ええ、正確には石板焼きですが」
野良犬マスクはあぐらを、チェスナが正座していた岩場は平らだったが、それよりもさらに滑らかな岩のテーブル。
下には火がかけられていて、蜃気楼のような熱気をじりじりと立ち昇らせていた。
「この焼けた石板を使って、いろんな食材を焼いて食べるのです」
野良犬マスクは片手に木のへら、もう片手には余るほどの大きさの貝。
へらで貝を難なくこじ開けると、中身を抉って石板に落とした。
……じゅうぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅーーーーーーーーーーーーーーっ!!
大ぶりで、ぷりぷりとした白身が、唾液を誘うような香りと音とともに踊る。
「わううう……!」
すでにこの時点で、『絶対うまいやつや……!』と身を乗り出すチェスナ。
湯気の向こうで早速ヨダレを垂らしている彼女に向かって、「熱いですから石板には触らないようにしてくださいね」とオッサン。
「これは、この山の地下水路で採れた『ホッタテ』です」
通常のホッタテよりも倍ほどの大きさのそれはプリンのよう。
本来はかなりの高級食材であるはずなのに、惜しみなく次々と剥いていく。
ちなみにこの島のホテルで食べれば、1個だけで目が飛び出そうな金額を請求されるシロモノである。
白い連なった山脈に、次はバターを載せる。
熱で溶けたそれが、石板に触れると、なんともかぐわしい香りが立ち上った。
「わううう……!」
チェスナは匂いといっしょに昇天するように、ふらふらと膝立ちになる。
夢見るような表情。
しかしそれは新たなる驚きによって、ぱちんと消し飛ぶことになる。
野良犬マスクは木べらをもう一本取り出すと、
……カン! カカカカンッ! カンッ!
ドラムスティックでリズムを刻むように、石板を打ち鳴らしはじめた。
小気味のよい音の間に、ホッタテをざくっとすくい上げ、ひっくり返す。
背中に手を回したかと思うと、反対側の肩から竹で作った調味料入れがクルクルと飛んでくる。
片手で木べらと調味料入れをお手玉しながら、中の黒い液体をぶっかけると……。
……じゅわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーっ!!
石板の上で激しく泡立ち、醤油の焦げる香ばしい匂いがあたりを満たす。
チェスナは最初、目の前でシャボン玉が弾けたようにキョトンとしていたが、大道芸のようにめくるめるオッサンの調理に、
「わっ!? わっ!? わううっ!?」
目がふたつでは足りないように、じゃらしを振られた子猫のように、キョトキョトとあちこち見回すのに忙しくなった。
オッサンは彼女が「わうっわうっ」と無我夢中になっている間に、食べやすいサイズに切り分ける。
「1品目、『ホッタテのバターショーユ焼き』です。『ショーユ』はシブカミの国の調味料ですが、大豆ではなく魚で作った魚醤ですので、ワイルドテイルの方の口に合うと思います。できたでて熱いので気をつけて……」
木皿に載せて差し出されたそれにさっそく喰らいつき、ハシュッ!? と飛び上がるチェスナ。
必死にフーフーして、あふあふと幸せそうに頬張っていた。
チェスナは『ショーユ』で味付けしたものを食べるのは初めてである。
ほくほくとほぐれる身に、ホタテ独特のクリーミーな味わい……!
それに、魚醤独特のコクのある濃厚な塩加減が合わさると……!
身体全体が喜んでいるかのように、ぞくぞっくと毛が逆立つほどの、衝撃っ……!
「わ……わううううっ!? おいしい! おいしいのですっ!! こんなにおいしい貝を食べたの、はじめてなのですっ! なんというか、その……!」
彼女はしっぽがぶわっと広がるほどの感激を、言葉で表そうとしていたが……。
ぜんぜん浮かんでこないのか、もどかしそうに口をぱくぱくさせたあと……。
「と、とにかく、かみさまみたいにおいしいのですっ!!」
「それはよかった。この島は新鮮で質のいい食材が多いので、凝った調理よりも石板焼きのような、素材の味をそのまま楽しめるような調理法が合うのです。では二品目を作りますので、食べていてください」
「わ……わうっ!」
次に石板に投入されたのは、輪切りの生イカ。
オッサンはそれをじゅうじゅうと炒めながら、いくつもの竹筒をジャグリング。
パッ、パッ、パッ、といろんな調味料で味付けをしていた。
チェスナは食べたいけど見たい、見たいけど食べたいと大忙し。
イカが色づいてきたところで、オッサンは白くて縮れた麺のようなものを投入。
石板の上でのたうつそれを、木べらですくい、ざっざっと宙に跳ね上げる。
「そ、それは……!?」
「はい、『マイモ』という芋で作った麺です。ワイルドテイルの方は肉と魚をよく食べ、穀物や野菜をあまり食べないようですが、このマイモだけはお祭りの時などによく食べると聞いています」
言いながらオッサンはまたしても、黒い液体をぶっかける。
しかしそれは先ほどのショーユよりもどろっとしており、
……じゅわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーっ!!
食べているそばから腹が減ってくるような、鼻を刺激するスパイスの香りが……!
「わっ……!? わううううううううううううううううううううううーーーーーーーっ!?!?」
ぐぎゅるるるるるるるるるるるる~!!
思わず皿を取り落とした少女の、腹が盛大に鳴った。
しかしその音は、ひとつではなかった。
……ぐぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……!
と、山の麓のあたりからも。
チェスナは夢から覚めたように、ハッ!? と音のほうを向く。
「い、いま、なにか悲鳴のようなものがしたですっ!?」
「きっとこの山に棲んでいる動物やモンスターも、この石板焼きの匂いを嗅いで、食べたいと言ってるんですよ」
もちろんそんなことはないのだが、オッサンの石板焼きのうまさにはそれだけの説得力があった。
あとは、少女の無垢さが合わされば……。
「わううっっ!? 動物やモンスターも唸らせるだなんて、さすがはかみさまなのですっ!」
「はい、二品目、マイモ麺のイカ焼きそばです」
……おいぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……!
「この山にすむものたちも、おいしそうだと言ってるのです!」
……ひぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……!
「マイモのおりょうりは、わうたちワイルドテイルのおまつりの時のおりょうりなのです!」
……しねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ……!
麓のほうから届く唸りに、オッサンの木べらを打ち鳴らす音があわさると、まるで祭り囃子のようであった。
少女は犬耳をピンと立てて、目を閉じて昔を想う。
「こうしてると、まるで……おまつりにきたみたいなのです!」
……たすけてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ……!
そして夜店で買ったような焼きそばをツルツルとすすり、しっぽをぱたぱた。
「お……おいしいのです! あの、かみさま……! わうたちもいつか、またおまつりがやりたいのです! みんなで、いっしょに……かみさまのための、おまつりを!」
櫓の上で演奏をするかのような動きで、3品目を作っていた野良犬マスク。
「私は、神様ではありませんが……。きっとまた、お祭りができる日がやってきますよ。いまやっている『境内』の掃除が終ったあとにね」
暴れ太鼓を叩くような激しさとは裏腹に、その声は静かであった。