13 サイの泣きどころ(ざまぁ回)
時は現在へと戻る。
崖っぷちにしがみついたまま、サイ・クロップスは当時の感情が蘇ってきたかのように怒号を浴びせた。
「テメェに目を潰されたおかげで、俺は訓練場での出世コースから外され……今じゃ隊曹どまりだ! 剣の腕なら誰にも負けねぇってのによ! オイィィ!!」
麓の集落じゅうに届くほどの大声で怒鳴りつけられても、野良犬マスクは何も答えない。
オッサンは出会い頭にひとつ唸ったきり、ずっと無言を貫いていた。
返事のかわりにポケットをあさって、何かを取り出す。
その、何かを収めた手を、サイ・クロップスの頭上でパッと開いた。
すると黒い物体が、糸を伝ってツツーと滑り落ちる。
顔に向かって近づいてくる、わしゃわしゃと蠢くソレの正体に気付いた途端……。
サイ・クロップスは不安定な場所にいるというのに、狂ったように暴れはじめた。
「うぉぉぉぉっ!? オイッ!? オイッ!? オイッ!? うぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーっ!?!?」
麓に住むワイルドテイルたちは騒ぎを聞きつけたのか、みな家を飛び出している。
誰もが空を見上げるようにして、神の住まう山の崖に注目していた。
「サイ・クロップス様が大暴れしとるぞ!?」
「いったい、何があったというんだ!?」
「野良犬のマスクを被った男が、何か垂らしているようじゃが……?」
「あっ、あれは蜘蛛じゃ! 如雨露蜘蛛じゃ!」
如雨露蜘蛛というのは、この島に棲息する蜘蛛の一種である。
山奥どころかそのへんにある木、それどころか家屋の軒先や、天井の隅にでも見かけることができる、珍しくもない蜘蛛である。
大きさは手のひらより少し小さいくらいで、毒もない。
むしろ害虫を食べてくれる益虫とされている。
「なんで如雨露蜘蛛なんぞを、あの野良犬マスクは垂らしておるんだ……?」
「それになんで、サイ・クロップス様は、あんなに喚いておるんじゃ!?」
「神尖組の隊曹ともあろう猛者が、どうして……!?」
しかしその理由を知るのは、当人たちだけ。
風に煽られた蜘蛛はスウィングして、サイ・クロップスの顔に、ぺちょっと着地した。
すると、もう大変。
「ぎいやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーっ!?!? やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
まるで毒蜘蛛をけしかけられたかのように、七転八倒しはじめる。
しかし手で払おうにも、野良犬マスクに踏まれているので使えない。
顔をいくらブンブン振ったところで、蜘蛛は剥がれない。
「離せっ、離せっ、離せぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーーーっ!!!! オイッ、オイッ、オォォォオォォォォーーーーーイッ!!!!」
野良犬マスクはなおも無言を貫いていたが、その要望に応えるように、踏み込んでいたつま先をスッと離した。
すると、
「……えっ……!?」
踏ん張っていたサイ・クロップスの身体が、すぽーんと崖から離れる。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!? 助けてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
……ガシイッ!!
頭から落下していく、片目の巨人を救ったのは……。
しゃがみこんで手を伸ばし、足首を掴んだ野良犬マスク……!
彼は自分の倍くらいある巨躯の男の片足を、片手で掴んでいるだけだというのに……。
まるで人形のように、ひょいっと持ち上げてみせたのだ……!
蜘蛛はヨーヨーのような動きで、野良犬の手の中にしゅるりと戻る。
釣り上げられたマグロさながらに、真っ逆さまにぶら下げられたサイ・クロップス。
天地が逆になっているので、アゴを引いて野良犬をにらみつけた。
「お……オイッ! て……テメェ……なんのつもりだっ!? この俺を、おちょくってんのかっ!?」
先ほどまでの情けない悲鳴はどこへやら。
しかも逆さに吊られるという、さらに情けない格好にさせられているのに、サイ・クロップスは強気を取り戻している。
しかし、再び蜘蛛が顔に迫ってくると……。
「うおわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーっ!?!?!? やめろやめろやめろやめろっ!! オォォォォォォォォォーーーーーーーーーーーーイッ!!!!」
肝っ玉が昆虫レベルにまで落ちてしまったかのように、大暴れ……!
これにはさすがに、集落の者たちも気付いたようだ。
「も、もしかして……サイ・クロップス様は……」
「蜘蛛が苦手なのか?」
「あんな、でっけえ図体して……」
野良犬マスクはその、でっけえ図体したヤツを、逆さづりにしたまま……。
どこからともなく取り出した蜘蛛を、シールのようにペタペタと貼り付けていく。
「ぎゃああああああああっ!? やめろやめろやめろっ!? やめろってんだろっ!? オイイイイイーーーーーーッ!?!?」
「やめねぇか、やめねぇかぁぁぁぁぁぁーーーーっ!? いい加減にしねぇと、ブッ殺すぞっ!? オイイイイイーーーーーーッ!?!?」
「やめてやめてやめて!! やめてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーっ!?!? お、オヒィィィィィィィーーーッ!?!?」
「お、お願いお願いお願い! やめてくださぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーいっ!?!? いやあああああんっ!? ひぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁl----------------んっ!?!? オヒィィィィィィィィィィィィィーーーーーーーーーーーーーーーンッ!?!?」
顔に8匹目の蜘蛛をくっつけられた時点で、サイ・クロップスは泣き出してしまった。
野良犬マスクはまるで観客に見せつけるように、その身体をひっくり返し、泣き顔を麓のほうに向けた。
「オヒィィィィィィィィィィィィーーーーーーーーーンッ!?!? オヒッ、オヒッ……! オヒィィィィィィィィィィィィィィィィィーーーーーーーーーーーーーーーーー!! もうやめでぇ……!! ゆるじでぇぇぇぇぇぇ……!! オヒィィィィィィィィィィィィィーーーーーーーーーーーーーッ!!!!」
それは山が悲しんでいるかのような、不気味なこだまであった。
「み……見ろ! な、泣いてる!? サイ・クロップス様が、泣いておるぞっ……!?」
「お、俺たちの家族を、笑いながら斬り捨てた、あの……サイ・クロップス様が……!?」
「たかが蜘蛛で、あんなに泣くだなんて……!」
「俺の家族が死にかけるまで斬られたとき、あんな風に泣いてすがっても……サイ・クロップス様は許してくださらなかった!」
「な……なんて、なんて情けねぇんだ……!」
「わしらは、あんな情けないヤツに……いいように、やられてたのか……!」
そして……野良犬に関わった勇者たちには、もはや付きものとなってしまった……。
例のアレが、やって来たっ……!!