10 野良犬との邂逅(ざまぁ回)
休憩を終えたサイ・クロップスは、垂直の壁のようにそそり立つ断崖を見上げていた。
「オイッ! たしか麓の集落にいたヤツらが言ってたよな!? 野良犬マスクはこの崖を登ってったって! ここを登ったら、一気に着くんじゃねぇのか!?」
再び獣道を先導しようとしていたストロングタニシは、驚いたように振り返る。
「正気ですかい、サイ・クロップスの旦那!? ええ、たしかにこの崖の上から少し行った先に、目指す洞窟がありやすが……。でもここを登っただなんて、集落のヤツらの見間違いでしょ!? そんなこと、不可能ですぜ! 大人しく、回り道をして……」
「野良犬に登れて、俺には登れねぇってのかよ、オイッ! もう歩くのはたくさんだ! ここを登って一気に行ぞ、オイッ!」
ストロングタニシの制止を振り切り、フリークライミングに挑むサイ・クロップス。
ある意味、山のレジャーを楽しんでいるようにも見えなくもないが、確保用具ナシでは自殺行為である。
しかし隊長が行くと決めたのであれば、やむをえない。
隊員である若者たちも、後に続く。
しかし彼らは攻城のために、城壁を登る訓練なども受けていた。
普段から鍛えているだけあって、さすがの登攀力を見せる。
「へぇぇ……! すげぇなぁ……!」
グングンと崖を登っていく神尖組メンバーに、ストロングタニシが感心したのも束の間。
ボーリング球のような大きな岩が、崖の上からぽにょっと投げ入れられた。
「あっ、あぶないっ!?」
と注意したところで、避けられるわけもなく……。
……ゴシャッ!
と隊員のひとりに命中。
彼はそのまま、足を踏み外してしまい……。
「ふぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
迫ってくるような悲鳴とともに、落下……!
……ドシャッ!!
と背中から地面に叩きつけられていた。
「ぎゃああああっ!? 骨がっ!? 骨がぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーっ!?」
結構な大事故発生であるが、ストロングタニシ以外の者たちは気にも止めない。
「ドジ踏みやがってぇ、オイ! 神尖組はその程度で戦闘不能になる、ヤワな身体と根性じゃねぇだろうが! さっさと登ってこい!!」
高みから怒鳴りつけられた隊員は、脚がへんな方向に曲がっているというのに、歯を食いしばって壁まで這っていく。
腕の力だけで壁の出っ張りにしがみつき、再び登り始める。
そのかなりのスパルタっぷりを、麓の集落にいる者たちも目撃していた。
「見ろ! サイ・クロップス様が、シンイトムラウの崖を登っとるぞ!」
「シラノシンイ様の住まう山に入るだけでも、とんでもないバチ当たりだっちゅうのに、なんてことを……!」
「でも岩が降ってくるだなんて、シラノシンイ様がお怒りになってる証拠だ!」
そして角度的に、麓にいる彼らだけが、ガケ崩れの正体に気付くこととなる。
「おい! 崖の上に、野良犬のマスクをかぶった男がおるぞ!」
「い……岩を落としとる!?」
「ああっ、またひとつ、大きな岩を……!」
と、指さしたそばから……。
「うぎゃぁぁぁーーっ!?!?」
「……うぎゃぁぁぁ…………っ!?」
「…………うぎゃぁぁぁ………………っ」
山びこのような悲鳴が届いた。
先程までは、崖下の茂みに隠れていたはずの野良犬マスク。
しかし、いつの間にか崖の頂上に回り込んでいて……。
真下からは見つからないように、こっそりと、しかしせっせと岩を落としていた。
……ゴシャッ! グシャッ! ドシャッ……!
「ぎゃあああああああああーーーーっ!?」「ひゃあああああああああーーーーっ!?」「ぐゃあああああああああーーーーっ!?」
今度は3人いっぺんに命中。
まるで壁に張り付いていたゴキブリが、殺虫剤を噴霧されたようにポトリと落ちる。
ひっくり返ったまま崖下で四肢をばたつかせ、のたうち回っていた。
それでも彼らは、傷付いた身体を引きずって……。
「ああっ!? また、また登り始めたぞっ!?」
「あ、あんな高さから落ちて、タダではすんでおらんはずなのに……!?
「な、なんちゅうことを!?」
本来であるならば、そのタフネスさと執念深さに、心胆寒からしめるものを感じるはずだった。
集落の者たちに「神尖組に逆らうことだけはよそう」と、新たなる恐怖を植え付けていたはずだったのだが……。
それらの感情はすべて、頂上にいる野良犬の存在によって、台無しっ……!
まるでカートゥーンアニメのように、とぼけた顔と動きで、ひょいひょいと岩を投げ落とす存在によって……。
その光景は、ただの喜劇と化していたのだ……!
「ぶっ……! ぐふふ……ぶふふっ……!」
被害にあっているのは、ゲシュタポのように怖ろしい、神尖組という組織。
彼らに被害が出ているのだから、笑ってはいけないと……。
必死にこらえていた、集落の者たちも……。
ついに、限界を迎えた。
「あっはっはっはっはっはっはっ! あーーーーーーーーっはっはっはっはっはっ!!」
ワイルドテイル特有の、三角の耳をこれでもかとピーンと立て、しっぽをせわしなく振り回し……。
大・爆・笑っ……!!
「し、神尖組が、神尖組が、やられとるぞっ!?」
「わしらを毎日さんざん痛めつけとる、神尖組がっ……!」
「たった、たったひとりの、野良犬のマスクをかぶった男に……!」
「一方的に、遊ばれとるっ……!」
「しかも、ヤツら、気付いてねぇ!」
「ああ! いくら叩き落とされても、また登ろうとしよる!」
「間抜けじゃ! なんて間抜けな姿なんじゃ!?」
神尖組たちは、地獄から這い上がろうとする、亡者のように……。
何度でも立ち上がり、壁に血の跡を残すほどに、身体を引きずり登っていた。
その様は、まさに……。
狂った登攀者……っ!!
彼らを狂わせていたのは、ある理由があった。
それは……先頭を進むサイ・クロップスが、無傷であったこと。
隊長である彼が落ちない以上、彼のスパルタは止むことはない。
そう……野良犬はそれを知ってたからこそ……。
彼らに道化踊りを続けさせることができたのだ……!
それも、死ぬまで……!
やがてとうとう、隊長以外は全滅。
崖の下には、潰された蚊のような兵卒たちが死屍累々と転がる。
「チッ! この程度の崖から落ちたくらいで、死んじまうだなんて……。今期の新入りどもは、どいつもこいつも軟弱すぎるぞっ、オイッ! こりゃリヴォルヴのヤツに言って、『訓練場』での訓練を、もっと厳しくしなきゃダメのようだなぁ! 俺たちが若い頃の訓練場は、そりゃもう厳しかった! でもその経験があったからこそ、俺はこうやって、この崖を登り切ることができたんだ! わかったかぁー!? オイッ!?」
崖下に向かって叫びながら、ついに頂上のへりに手をかけるサイ・クロップス。
真下で見ていたストロングタニシが、青ざめた顔で叫び返してきた。
「だ、だんなぁーーーーーっ!? 上っ、上っ!! うぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーっ!?!?」
「なんだぁ? なんでアイツ、あんなに馬鹿騒ぎしてんだぁ? 上になんかあんのかぁ、オイッ!?」
と上を向いた時には、もう遅かった。
……ガスッ!!
指先に、釘を打ち込まれたような痛みが襲う。
そこには……。
サイ・クロップスの両手を、ブーツのスパイクで踏みにじる……。
おどけたマスクのオッサンが、仁王のように立っていたのだ……!
……ノライヌ・サプライズド・ユー……っ!
そんな言葉がしっくりくるほどの、いきなりの接近遭遇。
サイ・クロップスは不意を突かれた驚きのあまり、足を踏み外してしまった。
しかし、それでも転落せずに済んだのは、野良犬マスクが彼の手を踏んで押さえていたから。
サイ男は絶壁にしがみついたまま、足をわしゃわしゃとさせて、脚がかりを探す。
そして器用にも、同時に威嚇をしていた。
「て……テメェが、野良犬マスクかっ!? オイッ!?!?」
対する野良犬は、ささやきを返す。
その、静かなる唸りにも似た声を、耳にした途端……。
サイ・クロップスの眼帯の奥が、ズキリと疼いた。
「て……テメェは、まさか……!? ご……ゴキブリ……っ!?!?」