05 最強勇者登場
野良犬マスクは麓の集落からさらに馬を走らせ、登山道を駆け上がる。
途中、入山を禁止するバリケードがあったがそれを飛び越え、さらなる山道へと分け入った。
馬ではとても登れないような獣道であったが、『魔界の冥馬』と呼ばれる錆びた風には関係ない。
まるでその道を作ったのケモノ自身であるかのように、淀みなく突き進んでいく。
途中、立ちはだかった岩壁も、山羊のようにぐんぐんと登攀していく。
まるで人馬一体、ケンタウロスが現れたかのような光景に、麓の集落は騒然となった。
「み……見ろ! 誰かが、シンイトムラウの崖をのぼっとるぞ!?」
「ああっ!? シラノシンイ様の住まう山に、勝手に入るだなんて……なんてバチあたりなっ!?」
「我ら村のモンでも、入っちゃならねぇ神聖な山なのに……シラノシンイ様がお怒りになるぞっ!」
「観光客として来た勇者様が、またふざけて登っとるんだろう!?」
「いや、でも……あの崖を、馬で登るヤツなんて、初めてだぞ!?」
「ああっ!? あの脇に抱えているのは……!?」
「ありゃ、巫女のチェスナでねぇかっ!?」
「人質になっとるはずの巫女が、なんであんな所にっ!?」
「こりゃ……大変じゃ! 大変じゃぁっ!!」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
山のまわりにあるワイルドテイルたちの集落は、蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった。
吹き上がる風のような叫喚をよそに、野良犬マスクはやすやすと山の頂上付近へと到達する。
小さな洞窟を見つけたので、その前で馬を降り、抱えていた少女を中に連れ込んだ。
「う……」
少女はようやく気付いたようで、うっすらと瞼を開く。
奥の瞳の焦点は、定まっていなかったが……。
それは意識がまだ茫洋としているせいだけではなかった。
「兵器の実験で、目をやられてしまったんですね」
「だ……だれなの……です……?」
少女はかすれた声を絞り出す。
オッサンの声だけを頼りにしているのか、薄い膜が張るほどに濁った眼球が蠢く。
しかしその瞳には、もうほとんど何も映していない。
モヤのような、うっすらとしたグレーのシルエット。
それだけが今の彼女にとっての、視界と呼べるものだった。
「では、ケガと一緒に治してしまいましょう」
人影が、ついでのように言った直後、
……ぶわぁぁぁぁぁぁぁっ……!
人ならざる翼が、翻り……!
……ぱぁぁぁぁぁぁぁぁっ……!
人が創り出せぬ光が、溢れだした……!
少女は最初、何が起こったのかわからなかった。
オッサンの背中に、なにか大きくて、もっさりしたものが現れたと思ったら……。
それがだんだんと、ハッキリとした像を結びはじめたのだ。
少女の、腐った黄身のように崩れた瞳が、産みたての烏骨鶏の卵のような、綺麗な形に戻り……。
そして、シトリンの宝石のような、美しい黄金色を取り戻したのだ……!
音が聴こえてきそうなくらい、ぱちくり、ぱちくりと瞼を瞬かせる少女。
彼女には見えなかったが、ボロボロに欠けていたチャームポイントも元通り。
驚きのあまり、ピーンと立った三角お耳に、ぶわっと広がったシッポ。
もうなにがなにやらサッパリのようすで、あたりをきょときょと見回している。
まるで捨てられた仔犬が、寒空に震えて眠っていたら……。
いつの間にかあたたかい部屋で気付いたときのような……。
地獄から天国に移された者、特有の……。
幸せ実感5秒前のリアクションであった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「かみさま! わうはチェスナといいますです! かみさまの巫女です!」
洞窟の床にちょこんと正座したチェスナは、野良犬マスクに深々と頭を下げる。
彼女は、ゴルドウルフの持参したリュックの中に入っていたタオルで顔を拭い、ボサボサだった髪もポニーテールに結っていて、少女らしい可愛らしさを取り戻していた。
「巫女のチェスナさんですか。でも私は神様ではありません。ゴルドウル……ゴルドくんと呼んでください」
「ちがうです、かみさまはかみさまなのです! チェスナのケガどころか、おめめも治してくれたのです! それにほんのすこしですけど、つばさも見えたのです! それにここは、かみさましか入ってはいけない山……! わうがここにいるということは、かみさまはかみさまなのです!」
「いえ、ケガを治したのは私ではなく、この山……シントムラウの力でしょう。私に翼が生えたように見えたのは、昏睡していて夢を見ていたのではないですか」
野良犬マスクは落ち着いた様子で言いながら、それとは真逆の、目にも止まらぬ速さで、地面に落ちていたなにかをシュバッと拾い上げる。
チェスナに気付かれないように、純白の羽毛をズボンの後ろポケットに隠していた。
「でも、かみさまはかみさまなのです! チェスナをたすけてくださったのです! かみさまにたすけてもらえるだなんて、ほんとうにゆめみたいなのです! やっぱり、いいつたえはほんとうだったのです! わうたち、シラノノコがあぶないときには、シラノシンイさまがたすけてくれるのです!」
「私は本当に、神様ではないのですが……。そのことは今は置いておいて、ここで夜を明かす準備をしましょう。それと、私たちがここにいることは、神尖組がすぐに突き止めるでしょうから、迎え撃つ準備もしなくてはなりません」
「はいなのです! かみさまのためなら、わうは、なんでもおてつだいするのです!」
「そうですか、では外で、薪をになりそうな枝を集めてきてくれますか? あまり遠くには行かず、洞窟のまわりだけでお願いします」
「がってんなのです! たくさんあつめてくるのです!」
立ち上がったチェスナは、耳とシッポをフリフリさせながら、パタパタと外に向かって走り出す。
しかし、出口のところで、
「きゃうっ!?」
ぬぅと現れた人影にぶつかって、尻もちをついていた。
「ヘンッ、なんだぁ!? このチビ……巫女じゃねぇか!? 中にも、誰かいるみてぇだなぁ!?」
いかにも粗暴そうな怒鳴り声とともに、洞窟の中に踏み込もうとしていたのは……。
山賊のような、ワイルドテイルの若者であった。
ボサボサの髪から覗く、欠けた耳。股の間からだらりと垂れたしっぽ。
古びた皮鎧に、物干し竿のような長い長い剣を背負っている。
その剣はまだ身体の一部となるほど使い込まれていないのか、長さを見誤って入り口で引っかけてしまい、何もないのに豪快にすっ転んでいた。
「ぐわっ!? いってぇ!? ヘンッ、なんだこりゃ!? なんでこんなに狭ぇんだよっ、チクショウっ!」
地面から飛び出ていた石を蹴って八つ当たり。
「誰ですか」
野良犬マスクが迎えると、男はぎょっとする。
「へんっ、なんだテメェは!? こんな山奥で、しかも洞窟ん中で、へんな被り物しやがって!?」
「私はゴルドくんです。あなたは?」
尋ねると、男は「へへんっ!」と鼻を鳴らして飛び起きた。
「そうか、テメェはよそ者か! なら知らねぇのも、無理はねぇなぁ……! 教えてやるぜ、野良犬! 俺様は戦勇者、ストロングタニシ様だ! このあたりじゃぁ知らねぇ者はいねぇ、最強の勇者様よ!」
「わうは、知らないのです」
「へんっ、うるせえっ! ガキは黙ってろ!」
「勇者ですか。階級は何なのですか?」
するとストロングタニシは、虚を突かれたように言葉に詰まる。
「か……階級? そ、そりゃ……決まってんだろ! 俺様くらいの勇者になると、最強……! そう、最強級よ!」
「へんな階級なのです」
「そんな階級は、ありませんが……」
「へんっ、うるせぇうるせえっ! 勇者様にさからおうってのか!? 勇者様であるこの俺様が、最強級っていったら最強級なんだよ!」
「あっ……そういえば、この山はかみさまにみとめられた者いがいは、入ってはダメなのです! すぐに、出て行くのですっ!」
「へんっ、うるせえってんだろ、このガキっ! 俺様はガキの頃からこの山に入って、剣の修行をしてたんだ! だからこの山のことなら何だって知ってる! いわば神サマですら、俺様の庭にいるってわけよ!」
得意気に鳴らした鼻を、指先でこするストロングタニシ。
ふと、あることに気付く。
「ん? 待てよ……? この山で人に会うだなんて、滅多にねぇコトだよなぁ……? なんでコイツら、こんな所にいるんだ……?」
その答えは、すぐに弾き出された。
「はぁぁ~ん、わかったぜ! いなくなった巫女と、神尖組に逆らったバカなヤツってのは、お前らのことだな!? 今じゃ街は大騒ぎになってる! 神尖組のヤツらが、血眼になってお前らを探してるぜ!」
「そうでしょうね」と、事もなげに頷き返す野良犬マスク。
「ってことは……お前らをとっ捕まえて、神尖組に突き出せば……俺様も入隊できるかもしれねぇ! 晴れてホンモノの勇者になれる、またとないチャンスじゃねぇか! へんっ、悪いな野良犬! この俺様に見つかったことが、運の尽きだと思うんだな! どりゃぁぁぁぁぁーーーーーーーーっ!!」
……ガッ!
しかしまたしても、長い剣を洞窟に引っかけてしまい、
「ぐわぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーっ!?!?」
最強の勇者は、ひとりで勝手にブッ倒れていた。
次回こそ、最強勇者登場!