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202 チョコレート

「やった……! やったぞ! わらわはついにやったのだ……! あの灰色の悪魔に、ついに勝ったのだ!」



 12枚目の板チョコを、その『灰色の悪魔』から受け取ったお姫様は、高らかに叫んだ。

 同じくチョコを受け取ったマトゥ、そして聖女や他の店員たちも祝福してくれている。



「がんばったな、ハムスター。休み休みではあったけど、逃げ出さずに働き続けるなんて……えらいぞ」



「そうだ! わらわはえらいのだ! よぉし、それでは、ずっとガマンしてきたチョコを、さっそく頬張るとしよう! マトゥ、そなたもチョコを食べずにおるのだろう? ならばわらわと一緒に、この灰色の悪魔の前で頬張るとしようぞ!」



「ああ、せっかくだけど、俺は帰るよ。誰も見てないところで、じっくり味わって食べるのが好きなんだ。お前も、せっかく何日もがんばったんだ、しっかり味わって頬張れよ、じゃあな」



 ハムスターの肩をぽんと叩き、マトゥは風のように、店を出て行った。

 少女にとってはずっしりと重たい『チョコ金箱』を抱えながら、その背中を寂しげに見送る。



「マトゥはいつも、チョコを受け取ったらさっさと帰る……。せっかく最後くらい、一緒にと思ったのに……」



「……気になりますか?」



 甲高い声に振り返ると、そこには……。

 『スラムドッグマート』のマスコットキャラクターである、ゴルドくんが立っていた。



「な、なぜわらわが平民のことなど気にせねばならぬのだ! ただ、最後くらいは付き合って、わらわが頬張る姿を賞賛するくらいは……」



「マトゥさんがそれをできないわけを、教えてあげましょう。私と一緒に来てください」



 ゴルドくんは手を差し伸べる。


 ハムスターは、少しだけ逡巡したあと……。

 そっと、その手を握った。


 ゴルドくんはプリムラたちに向かってことづける。



「私はちょっと、ハムスターさんと出かけてきます。少しだけ留守にしますが、後をお願いします」



「はい、かしこまりました。でも、どちらへ?」



「この国を治める人間であれば、けっして目を背けてはいけない場所です」



 ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 ゴルドくんに手を引かれたハムスターは、スラムドッグマートのある賑やかな大通りを進む。

 この国の王女がいるとわかれば、パニックに陥るのは必至なのだが、変装をしているので、すれ違う人々も気付かない。


 周囲で目を光らせている警護の者たちは、気が気ではなかった。

 王女としてこの街を視察しているのであれば、彼女のまわりをしっかりと囲んでガードできる。


 今はお忍びなので、おおっぴらに護衛することができないのだ。

 しかし、少し嬉しくもあった。


 以前であれば、50メートルも歩けば「疲れた! わらわはこれ以上、一歩も歩かんぞ!」と駄々をこねていた、あのワガママ姫が……。


 自らの脚で、文句ひとつ言わず歩いているのだ……!


 そして、多少の驚きもあった。


 ゴルドくんはお姫様の手を引いて歩いているのだが、その身のこなしが只者ではなかったのだ。

 中身はたしかにスラムドッグマートのオーナーのはずなのだが、動きはまさに、ザ・ボディーガード。


 警護から見えにくくなる人混みを避けて、しかも壁際も歩かない。

 お忍びの要人警護というのは何よりも苦労するものだが、まるで警護スタッフの一員であるかのように、常に見やすい位置どりをしてくれている。


 簡単にこなしているように見えるが、これが実はなかなか難しい。

 なぜならば、警護対象の機嫌を損ねては意味がないからだ。


 その点あの着ぐるみは、お姫様の機嫌を損ねることなく見事にエスコートしている。

 お姫様がなにかに興味を示したら、ちゃんと立ち止まってやり、じっくり見る時間を取る。



「この子供らは、ナニをしているのだ?」



「酒場やレストランが仕入れた海老を剥いているんです。海老を剥くのは手間ですから、彼らにお金を払ってやってもらっているんです」



「ということは、この者たちは、『仕事』をしているのか!? わらわよりも小さいのに!?」



「ええ。彼らはまだ小さいので、海老剥きくらいの仕事しかありません」



「そうではない! こんなに小さいのに、なぜ働かねばならぬ!?」



「そうしないと、生きていけないからですよ」



 路地に座り込んで、海老剥きをしていた子供たち。


 彼らは剥き終えた海老が入った籠を、レストランの裏口に持って行く。

 するとコックらしき男がそれを受け取り、ほんの少しのお金を、あかぎれた手に乗せた。



「た、たった、あれだけ……!? 手があんなになるまで海老を剥いたのに、あれだけしか貰えぬのか!? しかもチョコレートもないぞ!? あれは違法ではないのか!?」



「いいえ、違法ではありません。賃金についても、この地域では相場の額です」



 ゴルドくんとお姫様は、少しずつ『貧民街』と呼ばれる場所に足を踏み入れていった。


 街のはずれにあり、レンガではない板きれで作った仮住まいのような家が建ち並ぶ。

 扉もロクに存在しない家屋の中には、薄汚れ、衣類と呼ぶには粗末すぎる布きれに身を包む者たちが住んでいた。



「ううっ……!? ここは、なんであるか……!? なぜこの者たちは、こんなにボロい所に、汚い格好で住んでおるのだ!?」



「ここでしか、生きられないからです」



「こんな地獄のような所でしか、生きられない……!? この者たちは、重罪人か何かなのか!?」



「いいえ。何の罪もない、無辜(むこ)の人々です。それに、ここはまだマシなほうです。路地裏や河原のほうに行くと、さらに酷い環境で暮らしている人たちがいます。さぁ、着きましたよ」



 ゴルドくんが大きな手で示した先に視線を移すと、そこには……。

 さっきまで一緒に働いていた、先輩店員の姿が……!



「ただいまー! 兄ちゃんが帰ったぞー!」



 ボロボロのずだ袋を背負ったマトゥが、これまたボロボロの小屋に向かって叫ぶと……。

 こんな小さな小屋にどうやって詰まっていたのかと思えるほどの、幼い子供たちがわらわらと飛びだしてきた。



「にいちゃん、おかえりー!」



「ああ、みんな、いい子にしてたか?」



「うん、いいこにしてた!」



「そうか、なら今日もご褒美をあげなくちゃな! ほら!」



「わあい! チョコレートだ!」



「ちゃんと10人で、分けて食べるんだぞ」



 野良犬印のチョコレートを、10等分する子供たちを見つめながら、ゴルドくんは語る。



「マトゥさんは11人家族で、両親はおりません。いちばん歳上のマトゥさんが働いて、あの子たちを養っているんです。彼はスラムドッグマートで働いたあと、その日の稼ぎで買い物をして、そしてチョコレートをお土産に、家に帰るんです」



「そ……そうであったのか……! でも、1枚のチョコを10人で分けたら、たったのひとかけらしか口にできぬではないか……!」



「……それが、この国の……。いいえ、この世界の現状なのです。ある一部の者たちが、富を独占できる法を作り……多数の者たちを不幸にして、少数の者たちが身に余るほどの幸せを手に入れる仕組みで動いているためです」



 言葉を失った少女の肩に手を置いて、さらに続ける。



「少数の者たちは、少数の者の間だけで美味しいものを分け合います。それは余るほどの量であっても、彼らは多数の者に分け与えることをしません。なぜならばそれをすると、自分たちが美味しいものを口いっぱいに頬張り、はちきれんばかりに腹いっぱいになれなくなるからです。そしてそれが当然のように振る舞っています。多数の者たちは、少数の者たちに利用されているとも知らず、いつもお腹を空かせているのです」



「だ……誰なのだ!? その、少数の者たちというのは……!?」



「それは……勇者……。そして、あなたたち王族や、貴族なのです」



「なんだとっ!? わ……わらわは違うっ! わらわは違うぞ! わらわは、ゆくゆくはこの国を治める者……! すべての民の幸せを、常日頃から願っておる!」



「いいえ、同じです。ハムスターさんは、なんでも頬張って食べるのが好きだと言っていましたよね。それが当たり前だから、私にチョコをよこせと迫った……。彼らを見てもまだ、同じことが言えますか?」



 ……ガガーーーンッ!!



 と、少女の頭の中で、グランドピアノが激しく打ち鳴らされる。


 そして、うつむいた。

 胸元には、今の少女にとっては、何よりも大切な宝箱が。


 こんな気持ちになるのは、初めてだった。

 こんなに大切だと思える物ができたのも、初めてだった。


 しかし……ハムスター……。

 いや、今はバジリスに戻った少女に、もはや迷いはなかった。


 キッ、と顔をあげ、力強い足取りで、子供たちの元へと歩いていく。



「おにいちゃん、チョコレート、おいしいね!」



「そうか、しっかり味わって食べるんだぞ」



「ああ……もうなくなっちゃった……」



「いちどでいいから、いっぱいほおばってみたいなぁ……」



「おにいちゃん、もっとチョコたべたい!」



「ああ、ごめんな、もうないんだ。明日また貰ってきてやるからな」



「おにいちゃんのぶんはないの?」



「ああ、お兄ちゃんの分はもうない。仕事場で食べてきたんだ」



「みんなでたべるとおいしいから、あしたはいっしょにたべようよ!」



「そうだなぁ……でもお兄ちゃん、ガマンできるかなぁ……?」



「嘘を申すでない」



 少年の胸に、ドスッと板チョコが押しつけられた。



「……ハムスター!? どうしてここに!?」



「その方の弟妹に、チョコを配りに来たのだ」



「……わあっ!? このはこのなか、チョコがたくさんあるよ!?」



「すごーい! ほんもののたからばこみたい!」



「さあ、その方らも取るがいい、ひとり1枚だぞ」



「えっ!? いいの!?」



「ありがとう、おねえちゃん!」



「ちょっと待て、ハムスター! 俺たちは施しなんか受けねぇぞ!」



「勘違いするでない、マトゥ。これは施しなどではない」



「お嬢様の気まぐれで、貧乏人にチョコを配ろうとしてるじゃないか! それが施しじゃなけりゃ、いったい何だっていうんだよ!?」



「わらわが今までほおばってきた分を、こうして返しておるのだ」



 バジリスは、スラムドッグマートでのアルバイトを決意した時以上の、真剣な……。

 そしして澄んだ眼差しで、こう宣言した。



「それに、気まぐれなどではない……。わらわはもう、決めたのだ……!」

マトゥは11人家族ですが、全員が血が繋がっているわけではなく、中には孤児も含まれています。

そして次回はいよいよ、ざまぁフェイズに突入です!

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― 新着の感想 ―
[良い点] ・・・次期女王とはいえ、まだ6歳の子供に過酷な現実を教えるオッサン・・・。 でもその甲斐あって、少女は決意した・・・! [一言] マトゥ君の苦労が報われますように・・・。 マトゥ君だけじゃ…
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