201 初めての日々
この日、リインカーネーションはいつもより早く聖務を終わらせて、スラムドッグマートに出勤した。
ゴルドウルフがバジリスを、ハムスターという偽名で働かせているという噂を聞きつけ、いてもたってもいられなくなったのだ。
スイングドアを胸で押し開けながら、店に飛び込んだ大聖女が、見たものとは……。
「おおっ! リインカーネーション! 見るのだ! わらわがこれをやったのだぞ!」
かつて一度も汚れたことのなかった顔を、煤だらけにしながら……。
しかし満面の笑顔でピカピカの店内を示す、お姫様であった……!
「あらあら、まあまあ……! これをバジ……ハムスターちゃんがやったの!? えらいえらい、えらいわぁ!」
リインカーネーションは、もうそれだけで感極まってしまう。
しゃがみこみ、純白のドレスが汚れるのも気にせず、お姫様をギュッと抱きしめていた。
「ハムたん、えらいー!」
おんぶされていたパインパックもひょっこり顔を出し、自分よりも大きなハムスターをなでなで。
「ハムスターさんは、来るお客さん皆様に、こうして自分が綺麗にしたお店を見せているんですよ」
微笑ましそうに、プリムラが付け加える。
「わらわが生まれて初めて掃除したのだ! 当然であろう! むしろ記念として飾っておきたいくらいだ!」
「まったく……たかが掃除に、昼までかかるだなんて……でも初めてにしては、よくやったな」
指導役のマトゥも、満更ではなさそうだった。
「ああっ、マトゥちゃんが教えてあげたのね! えらいわぁ! マトゥちゃんもぎゅーってしちゃう!」
自分の顔以上もある胸に顔を埋めさせられ、マトゥ少年は初めての感触を知った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
その日は店内の掃除と、外の掃除がお姫様の業務であった。
途中、水まきで通行人に水をかけてしまい抗議されたのと、野良犬に水をかけて追い回されたこと以外は、大きな問題はなかった。
ちなみにハムスターにかわって通行人に平謝りしたのも、ハムスターをかばって野良犬に噛まれたのもマトゥ少年である。
「ふたりとも、今日は一日ご苦労様でした。こちらは今日のお礼です」
そしてついに待望のチョコレートが、ゴルドウルフの手によって、手渡されたのだ……!
マトゥを押しのけ、そして報酬の入った封筒をも押しのけるようにして、チョコをひったくるハムスター。
しかし開口一番、彼女の口から飛び出したのは……。
勤労の喜びを与えてくれた、金狼への感謝ではなく……。
「た……たったの1枚!?」
文句であった。
「そうですよ。日当の他に差し上げているチョコレートは、1日1枚ですから」
「わらわが……この、わらわが働いたのだぞっ!? 100……いや1000枚はないと、見合わぬであろう!?」
「ハムスターさん、労働の対価というのは身分で決まるものではありません。お願いした仕事の内容と、それにまつわる責任の重さ、そして結果によって決まります」
ゴルドウルフに諭され、目に涙をいっぱい浮かべるお姫様。
彼女は、自分がこれだけ働いたのだから、きっと両手で抱えきれないほどのチョコレートが貰え、そしていっぱい褒めてもらえるだろうと思っていた。
だからこそ、余計にショックだったのだ。
「で、でもっ……! わらわは、わらわはっ……!」
隣にいたマトゥは、呆れ果てた溜息をつく。
「はぁ、また出たよ。わらわは、わらわは、って……。お前がどれだけ偉い人なのか知らないけど、ここじゃ俺と同じアルバイトなんだ。いい加減、理解しろよ」
「ううっ……!」
癇癪を起こしたように、チョコレートを持った手を振り上げるハムスター。
「いいのか、捨てちまって。お前が今日一日、働いて働いて、がんばってもらったチョコレートを捨てるのか?」
「ううっ……!」
マトゥは、お姫様の震える手を取り、チョコレートごと彼女の胸に導いた。
「お前に、いいこと教えてやる。チョコレートってのはな、誰かに買ってもらうより、働いて手に入れたもののほうが、何倍も何倍もうまいんだぞ?」
「そ……それは、まことか……?」
「ああ、この店で毎日働いて、チョコをもらって食べてる俺が言うんだから間違いない。騙されたと思って、食ってみろよ」
胸にある、銀色の包みに茶色い巻紙の板チョコを見つめ、ごくり……と喉を鳴らすハムスター。
しかし、ぷるぷると首を振った。
「い、いや……今は我慢しておこう。わらわはどんなものでも、口いっぱいに頬張って食べるのが好きなのだ」
「そうか、じゃあいっぱいチョコを貯めないとダメだな。なら、これからも来いよ。10日も働けば、口いっぱいに頬張れるくらいのチョコが貯まるぞ」
「そ……そうであるな……。その方は、わらわの命の恩人であるから……。そっ、そこまで上申されては、断りにくいではないか……」
ちなみに『命の恩人』というのは、水まきの時に野良犬からかばってもらった件のことである。
なにはともあれ、服の袖でぐしっと涙を拭ったお姫様は、ゴルドウルフに向き合うと……。
「おい、ゴルドウルフ! わらわはまだまだ働くぞ! そなたから10枚……いいや、口からあふれるほどのチョコを貰うまでは、この店で働いてやるから、感謝するのだ!」
「そうですか、では明日からもお願いします。今日はお疲れ様でした」
ゴルドウルフは喜びも嫌がりもせず、お姫様の申し出を受け入れる。
「あらあら、まあまあ! じゃあこれからたくさんお泊まりでちゅね! さぁさぁ、楽しいお家に帰りましょうねぇ~!」
マザーから抱っこされた瞬間、安心してしまったのか……ハムスターことバジリスは、電池が切れたようにかくんと眠ってしまう。
マザーはマトゥも一緒に屋敷に招こうとしたのだが、マトゥはやることがあるからと、断って帰っていった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
バジリスはパインパックと協力して工作し、『チョコ金箱』なるものを作り上げた。
紙で作った宝箱で、中には12枚のチョコレートがおさまるようになっている。
これをいっぱいにすることが、バジリスの生きる目標のひとつになった。
そして幼い少女の、勤労の日々が始まる。
最初は掃除だけだったのだが、やがて手の届く範囲での品出しや、接客も任されるようになった。
客のフリした護衛たちは、自分の主に高飛車ながらも接客を受け、影ながら涙する。
ついには、他の店舗や工房への用事も任されるようになった。
少年と少女は手を繋ぎ、多くの護衛たちに見守られながら、はじめてのおつかいをこなす。
そして……。
今まで王や王妃に甘やかされ、わがまま放題だった彼女は、下々の者たちの苦労を知った。
薬草は山に分け入って、苦労して採取されているということ。
たった一本の剣を作るのに、灼熱の中、多くの者たちが汗を流しているということ。
それほど苦労して作られたものが、彼女にとっては驚くほどの安価で、店に並ぶこと。
さらには、それらを熱心に吟味し、なけなしの金をはたいたうえで買い求め……。
命がけの冒険に出かける者たちが、いるということ。
自分が豪華な椅子でふんぞり返り、食べ物を口いっぱいに頬張れていたのは……彼らあってのことだということを、子供ながらに理解していったのだ。
そして……3週間が過ぎた。
次回こそ、ついに…!