200 ハムスター旋風
次の日。
バジリスはチョコが手に入るのが嬉しくてたまらないのか、ホーリードール家の誰よりも早く飛び起き、皆を叩き起こした。
「さぁさぁ皆の者、スラムドッグマートへ行くぞ!」
彼女はプリムラとともに、喜び勇んで野良犬の店へと向かったのだが……。
「時間よりだいぶ早いですが、いいでしょう。では、こちらをどうぞ」
ウキウキと両手を差し出す彼女の手に、オッサンが乗せたものは……。
エプロンっ……!?
野良犬のイラストが大きく描かれた子供用のエプロンを広げながら、バジリスは怒鳴った。
「ゴルドウルフ!? 何だこの布きれは!? チョコをよこせ! あっ、さてはこのポケットに入って……ないではないかっ!?」
「チョコは今日一日、このお店で働いたら、報酬として差し上げます」
これには隣で聞いていたプリムラもビックリ。
「お、おじさま……? まさかバジリス様を、店員として……?」
ゴルドウルフはいつもと変わらぬ様子で、「そうです」と頷いた。
「当店のチョコレートを手に入れる方法は、並んで買っていただくか、スラムドッグスクールで学ぶか、スラムドッグマートで働くか……この3つの方法しかありません。バジリスさんは私の手渡しを希望されました。私が手渡しするのは働いた子供たちに対してのみですから、バジリスさんにも働いてもらいます」
「「ええええええっ!?!?」」
オッサンのこのトンデモ発言には、プリムラもバジリスも二度ビックリ。
「そ、それはそうなのですが……でも、バジリス様に労働をさせるだなんて……!」
「その通りである! なせわらわが働かねばならぬ! 労働というのは、下問の者たちがするものであろう!」
しかしオッサンは、たった一言で聖女と王女を黙らせた。
「もちろん、無理にとは言いませんよ」
ゴルドウルフが考えたのは、なんと……。
この国の王女を店員として働かせるという、大胆なるものであった……!
プリムラは、ただただ驚嘆するばかり。
――おじさまは時々、おっしゃっておられました……。
『私は主を持たないと決めたのです』と……!
スラムドッグマートを始めてから、過去に何度も、貴族の方や権力者の方に、融通をお願いされたことがありました。
もちろん、いま大人気のチョコレートも……。
でもおじさまは、全部お断りされていました。
『このお店にとってお客様は、すべて平等。なぜならば家族と同じだと思っているからです。家族を身分や収入、優秀さで分け隔てする事ほど、悲しいものはありません』
そのお考えを、店員の皆さんにもお伝えしておりました。
私もそのお考えには、深く感銘を受けたものです。
すべての人間を自分の子供だと思っている、お姉ちゃんの考えにも通じるところがありますから……。
でも……でもまさか……。
まさか、王族の方々にまでそれが、適用されるだなんて……!
しかも、ゆくゆくはこの国を治める立場になるであろう、王女様に……!
ああっ、おじさま……!
おじさまは本当に、分け隔てしないだなんて……!
なんという、公明正大、不偏不党、無色透明……!
このプリムラも、おじさま色に、染まりたいです……!
たとえこの事で、バジリス様がお怒りになることがあっても……!
わたしは全力で、おじさまをお助けしとうございます……!
この、プリムラ……!
この、生命までもを……!
おじさまに、捧げさせていただきますっ……!
その、おじさまの前には……。
なかなか混沌とした光景が広がっていた。
悔しさを滲ませた瞳で、「ぐぎぎぎぎ……!」とエプロンを噛む王女。
麗しさに感涙した瞳で、「はわわわわ……!」と跪いて祈りを捧げる聖女。
結局、プリムラの助けもあってか、バジリスは今日一日、スラムドッグマートで働くこととなった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「こちらは、マトゥさんです。マトゥさん、こちらは新しく入ったハムスターさんです。いろいろ仕事を教えてあげてください」
オッサンが、新入りのハムスターを紹介したのは……。
昨日、報酬としてチョコレートを受け取っていた少年だった。
年の頃は同じくらい。
店員なので身ぎれいにはしているようだが、服はつぎはぎだらけなので、貧民らしさは隠しきれていない。
「おい、ゴルドウルフ! わらわを愚弄する気か!? こんな貧民の子供に教わることなどなにもないぞ!」
「そんなことはありません、たくさんあると思いますよ。ではマトゥさん、まずは掃除から教えてあげてください」
「なにっ!? 掃除!? わらわに掃除をしろというのか!?」
……このスラムドッグマートでは、万引きした子供たちや貧乏な子供たちをアルバイトとして雇っている。
彼らはまだ子供であるがゆえに、まともな仕事に就くことができない。
なので生きるために盗みを働き、生きるために人を傷つけるしかないのだ。
ゴルドウルフはそんな彼らを積極的に雇用することにより、さらなる悪事に手を染めることを未然に防いでいた。
その中でもマトゥ少年は、毎日スラムドッグマートに通い、誰よりも熱心に働いていた。
しかし彼も、思ってもみなかっただろう。
まさか自分の下に、この国のお姫様が付くなどとは……!
しかしバジリスはお忍びということになっているので、マトゥは彼女の正体を知らない。
ハムスターというのは、お姫様自身が考えた仮の名である。
「じゃあハムスター、まずは床の掃き掃除をしよう。掃除道具はバックヤードにあるから、ついてこい」
「断る! それになんじゃ、わらに向かってその言葉遣いは!?」
「ハムスターさん、今はマトゥさんは、あなたの先輩です。それに、私は働きぶりを見ていますからね。もし報酬を払うに値しないと判断した場合は、チョコレートはなしですよ」
「ぐぎぎぎぎぎ……!」
ハムスター姫はエプロンを噛み噛みしながら、マトゥの後に続いていった。
……そして最初のほうは、多難であった。
「そうじゃないよ、ハムスター、それは床を掃くためのホウキだ。棚をはたくのはこっちのハタキでやるんだ」
「なにっ!? どっちも同じであろうが!?」
「ぜんぜん違うよ。逆だと全然綺麗にならないだろ? 本当に何も知らないんだな」
「なんだとっ!? ぐぐっ……! が、ガマンガマン……! あの灰色の悪魔に吠え面をかかせるためなら、掃除のひとつやふたつ……!」
「そんなに力いっぱいはたいたらダメだよ。商品に傷がつくだろう? 本当に何も知らないんだな。いいとこのお嬢様なのか?」
「そんな下賤の者と、わらわを同列に扱うでない! 傷が付いたからといって、なんだというのだ!?」
「お客さんがこの商品を買いに来るんだ。傷付いてる商品を見たら、どう思う?」
「わらわは献上しかされたことがないから、知らぬ!」
「じゃあその献上で考えてみろよ。傷だらけの物を献上されても、お前は喜ぶのか?」
「ぐっ……! で、でもわらわは……!」
「ハムスターがどれほどの身分かは知らないけど、お前もお客さんも、傷付いているものが嫌なのはわかるだろう?」
「ぐぅっ……!?」
マトゥにやり込められているお姫様を、初めてのお使いを見守る母親のように、遠巻きに伺うプリムラ。
そこにゴルドウルフが声をかける。
「マトゥさんには大勢の弟妹がいるそうですから、わがままな子の扱いは慣れていると思います。言い方はきついですが、彼に任せておいて大丈夫ですよ。それよりも私たちは、私たちの仕事をしましょう」
「は……はいっ!」
ちなみにではあるがこの時、変装をしてお客のフリをした、バジリス専属の警護の者たちがまわりにいた。
彼らは内心、驚いていたであろう。
あの、いつもワガママ放題だったお姫様が……。
不器用ながらも、そして渋々ながらも、うんしょ、うんしょと床を拭き掃除していたのだから……!
次回、ついにその手に…!