09 地獄から来た白アリ
ハールバリー小国のルタンベスタ領にある、アントレアの街。
かつてゴルドウルフが務めていた『ゴージャスマート1号店』はフルリニューアルを行い、宝石店のようなラグジュアリーな店構えになっていた。
身なりのいい、高名な冒険者や貴族はドアボーイからうやうやしく迎え入れられる。
が、それ以外の人間は近づくだけで門番から野良犬のようにシッシッと追い払われ、ショーウインドウを覗くことすらできない。
大理石に覆われ、チリひとつ落ちていない清潔な店内。
水面のように磨き上げられた剣や、最高級の毛皮をあしらった防具などが、まるで美術品のようにレイアウトされている。
その中を、客たちはタキシードを着た店員……自らをコンシェルジュと名乗る者たちによって案内され、装備を試着をする。
どれも軽く、美しいそれらは、まるで戦勇者のように、身体を彩ってくれた。
そして値段のほうはというと、安いものでも他店の百倍……最高級のものとなると千倍はくだらない。
しかし……唯一無二、誰にも手にしたことのない逸品であると言いくるめられて、翼が生えているかのように売れていく。
その様子を、店舗の最上階にある会議室……5階の吹き抜けから、ある人物が眺めおろしていた。
『ダイヤモンドリッチネル・ゴージャスティス』……!
ゴルドウルフを煉獄に捨てた功績を認められ、この街にあるゴージャスマートの総責任者である、支部長になった調勇者である……!
「やっぱさー、俺ってマジで商売の天才じゃね? こりゃもう、メルタリオン様に愛されちゃってるっしょー! キャハハッ!」
彼は青いサラサラヘアーをかきあげながら、くるりとターン。
議事テーブルの上座にある、革張りの椅子にスマートに着席した。
すると、ずらりと起立していた各店舗の店長たちが、そろって揉み手をはじめる。
「はい! さすがはダイヤモンドリッチネル支部長!」
「豊穣と調和の女神、メルタリオン様も支部長のイケメンぶりにメロメロです!」
「今月も全店舗、増収増益……! これも、支部長の天才的なご指導の賜物です……!」
「イケメンだけでなく、頭脳明晰でもあるだなんて……! いやあ、叶いませんなぁ!」
「そういえば、ゴージャスマートは全店舗、高級路線にシフトするそうですね!」
ある店長の一言に、パチン! と指を鳴らすダイヤモンドリッチネル。
「そー! 1号店はお試しだったんだけど、超イケてっから、この街ぜんぶ変えちまおうと思って! そしたら俺、マジパイオニアじゃね!? もともとは『駄犬』が持ってた金持ちの常連客どもに、高いモノを売りつけるためだったんだけどねぇ……キャハッ!」
かつてダイヤモンドリッチネルはゴルドウルフに対し、金持ちの客にはもっと高額な、利幅の高い武器を売りつけろと幾度となく命令してきた。
が、ゴルドウルフは、
「高額なものは確かに良いですが、お客様のレベルに合わなければどんな高級品でも意味がありません。合わない武器は下手をすれば、お客様の生命を危険に晒してしまう可能性だってあります。なので利益ではなく、お客様の能力を最大限に引き出せる装備を提案するのが、私たち店員の務めなのではないでしょうか」
と頑なに断っていたのだ。
その時のゴルドウルフの真似をしながら、ダイヤモンドリッチネルは破顔する。
「キャハハハハハハハッ! なにが『お客様の能力を最大限に引き出せる装備を提案するのが、私たち店員の務めなのではないでしょうか』だってよ! 利益を最大限に引き出せる装備を提案するほうが、全然いいに決まってるっつーの! なぁ、超ウケねぇ!? 超ウケるだろ、なっ!?」
彼よりもずっと年上の店長たちは、皆一様に腹を抱えて笑いだした。
ひとりの若き店長を覗いて。
「あ……! 支部長! その件について、ちょっとご報告があるんっすけど……!」
「……んーだよ、イル?」
笑いの腰を折られたダイヤモンドリッチネルは、この1号店の店長である坊主頭の青年を不機嫌そうに睨みつけた。
「あの……もうすぐこの1号店の近くに、冒険者用の装備を扱う個人商店ができるんっす。まだ店は開店してないんっすけど、チラシが配られていたので、事前にちょっと探りを入れてみたっんすが……偶然そこの店長の名前を聞いて、びっくりしたんっす……! なんとあの……!」
しかしその言葉が、『ゴルドウルフ・スラムドック』……! と続くより早く、「ブブーッ!」と不正解の声で打ち切られてしまった。
「はぁーい、タイムオーバー! のっけからもうダダ滑りだから、イル君の話はここで終わりでぇーっす! ……ってかさぁ、お前マジKYじゃね? こないだ冒険中にドジって死んだお前の兄ちゃん、アルのほうがよっぽど空気読んでたぜ? 俺ってば、次の組織改変でルタンベスタ領の方面部長になんの。そんなすぐに潰れる個人商店のことなんて、どうでもいいでぇ~っす! キャハッ!」
……確かに、『ゴージャスマート』はこの街の冒険者関連の店舗では、他を寄せ付けないダントツの売上を誇っている。
たった1店の個人商店など、1匹のアリも同然……踏んだだけで潰れるような、取るに足らない存在だったのだ。
ただ……ダイヤモンドリッチネルは、ここで致命的なミスを犯した。
アル・ボンコスの弟である、イル・ボンコスの言葉を遮ることなく、ライバル店の店主がゴルドウルフだと伝えられていたら……!
まだ生まれたてのアリの幼虫を踏み潰すような、絶好のチャンスを得られていたかもしれないというのに……!
もしそうやって、ゴルドウルフの船出を少しでも遅らせていれば……彼の将来は……。
いや、『ゴージャスマート』の未来は、だいぶ違ったものになっていたかもしれない。
なぜならば、野に解き放たれたのは、ただのアリではないのだ……!
どんな太い大黒柱でも食い荒らし、家主が気づく頃には家ごと倒壊させている、恐怖の白アリ……!
煉獄という人ならざる地から蘇った、地獄の白アリだったのだ……!
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
その頃……噂の白アリは、巣作りをはじめていた。
『スラムドッグマート』という名の、今はまだ小さな巣ではあったが、彼にとっては大きな第一歩を踏み出していたのだ。
彼が最初にやったのは、店の掃除。
三角巾とエプロンをまとったプリムラと一緒にホコリを掃き出し、雑巾がけをして窓をピカピカに磨いた。
壁を塗り直し、ボロボロだった軒先の帆を張り替えると大変身。
廃屋からリフォームしたかのように、見違えるほど綺麗になった。
しかし……これではまだ、『綺麗な空き店舗』である。
次にゴルドウルフは、商品の仕入れを行った。
この国の冒険者用の用品店は、『ゴージャスマート』をはじめとし、どの商店であっても問屋から商品を仕入れている。
しかしゴルドウルフは問屋ではなく、武器や防具を生産している工房へと向かい、職人たちと直接仕入れ交渉をした。
これは問屋から仕入れるより安く手に入り、その分だけ商品価格に反映できるというメリットがある。
しかし、何から何まで一箇所で揃う問屋と違い、品物ごとに異なる工房と交渉しなくてはならないという手間があるのだ。
ゴルドウルフは交渉の末、問屋に売り渡す前の商品を、個別に売ってもらう約束をいくつかの工房と取り付けた。
そして朝早くから出かけていって、問屋に運ばれる前の商品を、市場で魚でも買うように選んで買い揃えたのだ。
客の対象としては、初級から中級までの冒険者をイメージし、店の品揃えをする。
上級の冒険者の場合は、在庫のリスクを避けるために注文を受けてから仕入をするという形をとることにした。
そして……電撃的に店長に就任した、数日後……。
『スラムドッグマート』は開店の運びとなったのだ……!
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