196 最後の施策
これはジェノサイド一家が有罪判決となり、刑務所に収監されてしばらく経ってからのこと。
ある日の昼下がり、スラムドッグマート本部の応接室に、プリムラが入ってくる。
彼女は、ゴルドウルフの来客に出したお茶を片付けに来たのだ。
すっかり冷めた、手つかずの紅茶を盆に載せながら……少女は年相応の不安を滲ませながら尋ねた。
「あの、おじさま……。先ほどお越しになっていたお客様は、ポップコーンチェイサーさん……衛兵局の大臣さんですよね?」
「はい、私に話があったようです」
オッサンは残った紅茶を一気にあおり、盆に載せる。
「大臣さんほどの御方であれば、お呼び出しをされるはずなのに、わざわざお越しになるだなんて……。あの、もしかして、大変なお話だったのでしょうか?」
『スラムドッグマート』は、名実ともにこの国いちばんの『冒険者たちの店』となった。
しかしいくら名を挙げたところで、オーナーであるゴルドウルフは平民である。
一方的に呼びつけたり、使いの者をよこすことはあっても……。
大臣ほどの人物が、わざわざやって来るなど普通はありえないからだ。
プリムラはよほど大事な話なのかと思い、気にかけていた。
以前、衛兵局から営業停止処分を受けたことがあるので、それがトラウマになっている彼女にとってはなおさらである。
ゴルドウルフは彼女の気持ちを察し、明るい声で答えた。
「これからもよろしくというお話でした。ゴージャスマートがこの国から撤退した今、商店からの税収はスラムドッグマートが一番になったようですから」
「そうなのですか? すみません、聞いていたわけではないのですが……。隣の事務所からでも大臣さんのお声が聞えるほど、大きなお声を出されておられましたし……。それにお帰りになる際も、かなり不機嫌のようでしたので、てっきり……」
「心配はいりませんよ。それよりもプリムラさん、期間限定で、新しいお店を始めたいと思います」
「えっ? 新しいお店、ですか……?」
藪から棒の話題に、プリムラは大きな目を瞬かせる。
「はい。その名も、『スラムドッグカフェ』です」
「カフェ、とおっしゃいますと……。あの、お紅茶などを頂ける、あの、カフェですか……?」
「そうです。そのカフェです」
寝耳に水が飛び込んできたかのように、プリムラは瞬きが止まらない。
「え……ええっ? なぜ急に、飲食店を……? それも、期間限定で……?」
「話題作りのためです。『スラムドッグマート』が、ハールバリー小国全域に展開したことを記念して、カフェを開くんです」
「と、おっしゃいますと……。おじさまは新たなお客様を、集めようとされているのですね?」
プリムラは、かつてゴルドウルフから習った商売の基礎を、反芻するように尋ねる。
オッサンは少女に、こう教えていた。
「プリムラさん、なにか新しい施策を考える場合は、それに伴う『対象』と『目的』と『効果』を明確にしてください。それが明確でない施策は、やってもあまり効果がありません」
少女はそれを思い出していたのだ。
ちなみに、
『対象』というのは、施策がどの客層をターゲットにしているのかということ。
『目的』というのは、その施策で何をしたいのかということ。
『効果』というのは、その施策を実施して、どんな利益が得られるのかということ。
ゴルドウルフはプリムラの問いに深く頷き、その3点について答えた。
「はい。『スラムドックカフェ』は、『王族と貴族』を対象とし……。『彼らにスラムドッグブランドを認知させる』ことを目的とします。得られる効果は『スラムドッグマートへの送客』です」
オッサンはカフェを足がかりに、裕福層を『スラムドッグマート』へ誘引しようと考えていた。
今まで『スラムドッグマート』は一般層、いわゆる等身大の冒険者たちや学生をメインターゲットとして商売してきた。
しかし次のステップとして、裕福層をも取り込もうというのだ。
その理由としては、いくつかある。
まず、この国から『ゴージャスマート』が無くなった今、裕福層の受け皿を作る絶好のチャンスであること。
裕福層にとって、剣などの装備は、実用よりも礼装や装飾の感覚に近い。
普段から身に付けてはいるものの、冒険者のように実際に使用することは滅多にないのだ。
だからこそ嗜みのように、金を惜しまず、いい品質を求める傾向にある。
いや、厳密には『ブランド』にこだわっているだけなのだが……。
そんな彼らは、ひいきにしていた『ゴージャスマート』が近場から消えたところで、かわりに『スラムドッグマート』に走るような真似はしない。
手間暇かけて馬車に乗り、隣国の『ゴージャスマート』に足を伸ばすだけなのだ。
彼らはスラムドッグマートの存在を知っていても、見向もしない。
この事からも、いかにブランドにとらわれているかがわかるだろう。
だからこそ、この機に裕福層を獲得しておかなければ、『ゴージャスマート』がこの国に再進出してきた時に、裕福層の需要を復興の足がかりにされてしまう可能性がある。
オッサンは、『ゴージャスマート』を駆逐するだけでなく……。
一般層や裕福層を、すべてを取り込み……。
殿様商売など二度と許さない、野良犬の牙城を、この国に築き上げるつもりなのだ……!
「スラムドッグマートの品質はゴージャスマートに劣りません。むしろ上回っているといえます。あとは裕福層の方々を店に呼ぶことさえできれば、スラムドッグマートの商品を気に入ってもらえるでしょう」
オッサンの言葉に少女は、授業に聞き入る優等生のように、うんうんと頷く。
「なるほど、そのための話題作りというわけなのですね。王族や貴族の方々はお茶を嗜まれますので、よいと思います」
「はい。でも、普通のカフェではダメなんですよ。なぜならば彼らには行きつけの高級カフェがあります。新しい店が出来たところで、彼らは来てくれないでしょう。だからこそ、珍しいもの好きの彼らの注意を引く、違ったカフェにする必要があるんです」
「違ったカフェ、とおっしゃいますと……?」
「それは……チョコレート専門のカフェです」
「ええっ!?」
オッサンから紡がれた言葉に、少女は驚きのあまり持っていたお盆を落としそうになってしまう。
「ちょ、チョコレートって、あのお菓子のチョコレートですか? そ……そんなカフェ、聞いたことがありません!? それにどうして、そんなカフェを!?」
「いまスラムドッグマートでは、板チョコを販売していますよね? それがこれから、王族や貴族の方々に人気が出るからです」
まるで未来予知どころか、その場で見てきたかのように述べるオッサン。
「えっ? そうなのですか? たしかに板チョコは販売しておりますが、ずっと売れ行きは普通ですが……?」
「これから売れるようになります。しかし板チョコでは、使用人の方々がお使いとして買いに来るだけですよね。しかし今回のターゲットは、その主人にあたる方々ですから……」
「なるほど、カフェにすれば、お使いというわけにはいきませんから、ご本人がお越しになってくださるというわけですね」
プリムラはその論法には納得したものの、まだ懐疑的ではあった。
なぜならばそれは、
スラムドッグマートで販売している板チョコが、王族や貴族に大ヒットする。
という、大前提のものとに成り立っているからだ。
そもそもチョコのほうが認知されないと、意味がないのでは……。
と、彼女は思っていたのだが……。
どっこい、それから数日して、『スラムドッグマート』には冒険者とは思えない、使用人らしき客の姿が目立つようになったのだ。
彼らが手にして買い求めたのは、武器やポーションなどではなかった。
野良犬印の、板チョコ……!
それも、1枚や2枚などではなく……。
10枚から20枚の、爆買いっ……!
その時はすでにゴルドウルフの判断で、チョコレートの増産体制を整えていたのだが……。
瞬殺っ……!!
鎧やローブの冒険者たちに混ざり、執事服やメイド服の者たちが行列を作り……。
物売るレベルとは思えないほどに、皆こぞってチョコを求めたのだ……!!
スラムドッグマートの従業員たちは、皆こぞって首をかしげていた。
なぜ急に、チョコレートが売れ始めたのだろうか、と……。
たしかにとても美味しいチョコレートではあるのだが、宣伝は一切していない。
仮に口コミで広まったと考えても、なぜ庶民からではなく、裕福層からなのか……?
理由は全くわからなかったが、それを解明しているヒマはなかった。
そしてゴルドウルフの考えに、反対する者はもういなくなっていた。
オッサン提案の『スラムドッグカフェ』の準備は、急ピッチで進められる。
もちろんこんな美味しそうなイベントに、あの人物が食いつかないわけがなかった。
そう……!
ハールバリー全土にその名を轟かせ、すでにカントリー規模にまで達しつつある、みんなのママ……!
マザー・リインカーネーション、その人である……!
次回、スラムドッグカフェ、開店っ…!