06 野良犬の店
それは、オッサンがホーリードールの屋敷に厄介になりはじめてから、実に3日目のことであった。
使用人になるのは断ったとはいえ、何もしないのも良くないと感じたゴルドウルフ。
庭の手入れの手伝いでもしようかと思い、屋敷の外に出たのだが……。
「……おじさま! おじさまっ!」
ちょうど門の向こうから、息を切らせて走ってくるプリムラに呼び止められてしまった。
「どうしたのですか? プリムラさん、そんなに慌てて……」
「おじさまにお見せしたいものがあるんです! わたしと一緒に来てください!」
返事を待たずに手をとり、引っ張るプリムラ。
引きずられるようにしてついていくゴルドウルフ。
いつの間にかオッサンの肩のあたりには、手のひらサイズに縮んだルクとプルが浮かんでいた。
他者には見えない妖精のようなその存在は、まさに彼にとっての天使と悪魔のようである。
『プリムラ、我が君をどこに連れていくつもりなんだろ?』
三日月に寝そべっているような格好でプカプカと浮き、テレパシーのような声を響かせるプル。
『プリムラさん、散歩が待ちきれない犬みたいに嬉しそうですね。でも、手からは緊張が伝わってきます。注意してください、我が君』
礼儀作法が完璧なお嬢様のように、折り目正しい立ち姿で空間に固定されているルク。
言葉には多少の毒があるものの、しっかりとした分析を主に届けている。
『もしかして、我が君が河原でやっつけたヤツらに脅されてて、ヤツらのアジトに連れ込もうとしてるとか……?』
『プル、それはないと思います。プリムラさんは考えていることがすぐ顔に出るようなので、脅されているのであればすぐにわかります。ただ……プリムラさんが我が君を始末するのが楽しみでしょうがないと思っているのであれば、別ですが』
『あらら、ずいぶん賑やかなトコに来ちゃったよ』
『住宅街から商店街に出たのでしょう。建物は同じレンガづくりですが、だいぶ小さいということは、こちらが下流ということなのでしょうね。あのケムリがモクモクと出ているのが、エントツ、というものでしょうか……?』
『レンガもケムリも食べられないからどうでもいいよー! それよりもさ、煉獄では見たこともないような食べ物がいっぱい並んでるよ!? これって取って食べちゃダメなの!?』
『もう、プルったら……我が君がおっしゃっていたではないですか、これはお店といって、お金というものを渡さないといけないんですよ』
『なーんだぁー! 煉獄みたいに、持ってるヤツを倒したら食べられるわけじゃないのかー!』
ゴルドウルフの脳内で随時行われている、このキャッキャとしたやりとり。
ミニサイズの天魔たちは目にするものすべてが珍しいのか、彼の顔のまわりをグルグルと飛び回っていた。
しかしオッサンはもう慣れているので、彼女たちを払い除けもしない。
そうこうしているうちに、街の大通りから外れた少し寂れた場所でプリムラは止まった。
「ここです、おじさまっ!」
バッ! と純白のローブの袖を翻し、白樺のような手で示されたのは……かつては商店であったであろう、空き家であった。
看板だけは真新しい幕がかけられているものの、他は打ち捨てられたままのような状況。
軒下の帆はボロボロ。くすんだガラスごしの店内は、踏み荒らされた雪のようなホコリにまみれている。
「この潰れた店が、どうかしたのですか?」とゴルドウルフが尋ねるより先に、プリムラは興奮気味にまくしたてた。
「わたし、お店がやりたいんです! 『ゴージャスマート』のような、冒険者のためのお店を! かつて店長だったゴルドウルフさんと、ぜひ一緒に!」
それは、青天の霹靂のような申し出だった。
名家の聖女が働きたいなどと言い出すのは、王子が物乞いになりたいと願うのと同じくらいありえない事だったからだ。
彼女が現にそうであるように、高名な聖女一族ともなると、微笑んでいるだけで後顧の憂いなく生きていけるのである。
それなのに、わざわざ汗水垂らして働きたいなどと言い出すなんて……。
ゴルドウルフは我が耳を疑った。それに、答えはすでに決まっていた。
「プリムラさん、せっかくのお申し出ですが、私はもう飼い主を持たないと決めたのです。従業員が必要なのでしたら、別の人間をスカウトされてはいかがですか? それなら、お手伝いさせていただきますが……」
するとプリムラは「あっ、違うんです、おじさま!」と、顔と両手をわたわたと振り回した。
「店長は、わたしじゃなくて……おじさまなんです! おじさまにこのお店をやっていただきたいんです!」
さらなる意外な申し出に、「えっ!?」と言葉を詰まらせるゴルドウルフ。
引き気味になりつつある彼に、グイグイと迫っていく聖女プリムラ。
「わたし、おじさまが煉獄で行方不明になって、やっと気がついたんです……! お母様が、おじさまのいる『ゴージャスマート』を勧めてくださった理由を……! この街にはいくつも『ゴージャスマート』があります、でも、おじさまのお店じゃなくちゃ、ダメだったんです!」
少女は、ゴルドウルフの行方不明の知らせを聞いた当初は、多少気の毒には思ったものの、それほどショックには感じなかった。
なにせその時は、母親を亡くしたばかりで……そちらの悲しみのほうが大きかったのだ。
肉親を失ったことにより、少女の心にはぽっかりと大きな穴があいていた。
そしてその隣にも、小さな穴があいていた。
本人も見過ごしてしまうほどの、針で突いたような点。
そこから風船のように、空気が抜けていることにも気づかないほどの……。
その穴は時間を追うごとに、少女のなかで肥大化してく。
母の喪失感をまぎらわすように、『ゴージャスマート』に向かい、ゴルドウルフの笑顔はもうないことに気づき、肩を落として戻るという日々が続いた。
そして……失ったものの大きさを思い知ったのは、その1週間後……『ゴルドウルフくん追悼記念セール』の瞬間であった。
「……当店の従業員だったゴルドウルフくんは、煉獄の最下層にあるボスフロアに、無謀にもひとりで突入していって、行方不明になりました」
行方不明の事実はすでに知っていたものの、その時同行していたという新店長からの言葉は、少女がすがっていた可能性を打ち砕いたのだ。
セールから屋敷へと戻り、マザーになったばかりの姉の胸で、少女は泣いた。
「プリムラちゃんも、ゴルドウルフさんに恋をしていたのね……」
リインカーネーションから、やさしく頭を撫でられながらそう言われ……ようやく気づいたのだ。
ゴルドウルフへの、特別な感情に……!
プリムラはその時のことがぶり返してきたかのように、瞳を潤ませながら訴えた。
「お願いです、おじさま……! お店を、お店をやってくださいませんか……!? この街にはおじさまのお店が必要なんです……!」
そこでぐっと言葉を飲む。
持って回った言い方はよそう、素直な気持ちを伝えよう、と勇気を振り絞った。
「いいえ……! わたしが……わたしがおじさまを、必要としているんです……!」
しかしその告白は「い」のあたりで出鼻を挫かれてしまう。
「おおー! ここが新しい店かぁ!」
「なんだ、もうじきオープンっていうから来てみたんだが……まだ何の準備もできてないじゃないか」
少女とオッサンの元に、どやどやと見慣れたメンツがやって来る。
かつての『ゴージャスマート』の常連客たちだった。
「みなさん……どうしてここへ……?」と狐につままれたようなゴルドウルフ。
「ああ、プリムラ様から新しい店ができるって、今朝チラシをもらったんだ!」
「聖女様がチラシ配りだなんてビックリしたけどよぉ、もっとビックリしたぜぇ、ゴルドウルフさんの店だなんて!」
「ゴルドウルフさん、煉獄で行方不明になったのに戻ってくるだなんて、すげえじゃねぇか!」
「それに、また店をやってくれるのね! とっても嬉しいわ!」
「いえ、まだ決めたわけでは……」とゴルドウルフが言い淀む間もなく、口々に歓迎の言葉が向けられる。
「いやあ、助かったぜ! なんせこの近くの『ゴージャスマート』は高級路線になっちまったからさぁ!」
「そうそう! 王族や貴族や上級職しか相手にしなくなって、俺たちみたいな冒険者は門前払いさ!」
「それでしょうがないから、近くの個人商店か、遠くの『ゴージャスマート』に行くしかなかったんだけど……やっぱり不便でねぇ」
「クエストにあわせて商品を選んでくれるうえに、使い方のアドバイスまでしてくれる店なんてどこにもねぇから、困ってたんだ!」
「また贔屓にしてやっからさぁ、早いとこたのむよ、ゴルドウルフさん!」
「そうそう! まだ開店前だけど、『スラマ』の常連になるって決めちゃったもんね!」
「……すらま?」
初めて耳にする店名らしき単語を、思わずオウム返しにしてしまうゴルドウルフ。
それは驚きのネーミングセンスだったが、常連の間ではその呼び名がすでに浸透しているかのような雰囲気が、さらに衝撃的だった。
「これはどういうことなのですか、プリムラさん?」
問い詰めるような視線を向けると、聖女は初めてのイタズラが見つかった子供のような、らしからぬ困り顔を見せる。
「ご……ごめんなさい、おじさま……ここまでしないと、おじさまは引き受けてくださらないかと思って……」
彼女は申し訳なさそうにしながらも、店の軒先から垂れている紐をひっぱった。
すると、看板にかけられていた布が取り払われ……、
ス ラ ム ド ッ グ マ ー ト
犬のイメージキャラクターが描かれた、真新しい屋号が現れた。
驚愕のあまり、「なっ……!?」と二の句が告げないゴルドウルフに向かって、
「このわんちゃん……わたしが寝ずに考えたんです……」
と付け加えるプリムラ。
……ちなみにではあるが、『ゴージャスマート』のイメージキャラクターは王様である。
次回、いよいよ勇者ざまぁ展開…!