162 レディたちの反乱
その変化は最初、勇者サイドに訪れた。
ゼピュロスはフルコースを女たちに作らせたのだが、まず前菜として、8種類のサラダが彼の前に並べられた。
しかし主賓である勇者は、これをすべて女たちに突き返したのだ。
「色も見た目も、どちらも好みではないのさ。一言でいうなら、過剰……。例えるなら、素肌こそ美しい少女が、厚化粧をしているようなもの……。素材の良さを、自ら殺しているようなものなのさ。しかし気にすることはないのさ、その少女の気持ちは、ゼピュロスを想うがためのこと……気持ちはしっかりと、ここに届いているのさ」
食卓の上座に座っていたゼピュロスはそう評し、自分の右胸のあたりに手を当てていた。
「そのサラダは、レディたちが食するといいのさ」
下座では、返されたサラダをむっつりと口に運ぶ女たち。
そしてこれがキッカケとなった。
コースの次の料理はスープ。
ゼピュロスは、並べられた8種類のうち7種類を突き返し、真っ白なジャガイモのスープを選んだ。
「このスープは、まるでこのゼピュロスの肌のように、きめ細やかでなめらかで、穢れない美しさで良いのさ。作ったレディは、ゼピュロスのことをよくわかっているのさ。これぞ、相思相愛というもの。……まずはこれを食前のスープとして頂くのさ」
勇者はそう評し、スープを口に運ぼうとしたのだが……。
返されたスープを食べていた、女のひとりが「チッ」と舌打ちした。
「なにがゼピュロスの肌だよ……気持ち悪い厚化粧のクセして……」
ゼピュロスのスプーンが、一瞬ピタリと止まったが、
「……ああ、どうやら、耳に虫が入ってしまったようなのさ」
と優雅に受け流す。
しかし食べようとするたびに舌打ちされたので、結局、スープには口を付けられなかった。
そんなことが、メニューの度に続いたのだ。
次は肉料理。
「肉料理は、このホワイトシチューに決めたのさ。しっかりと煮込まれて崩れた野菜、ほろほろになった肉……。今のゼピュロスの気分にピッタリなのさ」
「チッ。なにが今の気分よ……。もうバレてないと思ってるの……? 歯抜けで食べられないから柔らかいものばっかり選んでるクセに……」
「……お、おや? なんだか今日は、虫が多いようなのさ」
そして魚料理。
「うん、魚料理はぜんぶ合格なのさ。どれもちゃんと骨が抜いてあるようだね。このゼピュロスはレディも魚も、骨抜きのものしか口にしないというのを、よくわかっているのさ。でもこんなには食べられないから、ひと口ずつ……」
それはゼピュロスなりに、女たちを気遣っての判断であった。
しかし彼女たちは愛想笑いのひとつもなく、次々と手を伸ばして料理を奪っていった。
「食べられないなら、食べなくて結構ですよ」
「そーそー、私たちがぜんぶ食べますから」
「私たちはゼピュロス様のママじゃないんで、無理して食べなくてもいいんですよぉ」
「しかも共食いになっちゃうじゃないですか、骨なし野郎同士で」
今までは怯えながらも従っていた女たちが、急に反抗的な態度を取り始めたので、ゼピュロスはうろたえた。
「れ、レディたち……いったい、どうしたのさ? そんな顔をしていては、美しい顔が台無しなのさ」
しかし、
「別に」
「私たちはどうもしてませんよ?」
「どうかしているのはゼピュロス様のほうじゃないですか」
「それにゼピュロス様のお顔よりマシです」
「そうだよ、この歯抜け」
と、にべもなかった。
次は米を使った料理だったのだが、ゼピュロスは半熟卵のリゾットオムライスを選んだ。
これはリゾットの上にオムレツが載っていて、ナイフで切り分けると、とろーりとした半熟卵が広がるという、見た目にも楽しい料理だった。
「うん、これは実に良いのさ。豪華でありながらも楽しい。高級感がありながらも庶民的。まさにゼピュロスのような、すべてのレディに愛される素晴らしい料理なのさ」
この料理は、とある聖女が作ったものだった。
彼女はツアー当選を知ると、愛しの勇者様に食べて頂きたいと、一流シェフの父親と特訓して作った渾身の力作である。
父親は、彼女にこう教えていた。
「料理というのは、出世や名誉のために作ってはいけない。食べてくれる人の笑顔、それだけを考えて作るものなんだよ。そうすればきっと、食べてくれる人に気持ちが伝わるものなんだ」
その父の尊い教えと、彼女の純粋な気持ちと努力が実を結んだのか……。
名もなき聖女はついに、憧れの勇者に見初められたのだ……!
しかしその少女は、ずっと求めていた笑顔を前にしたというのに、親を殺されて感情を失った子供のように無表情だった。
「ゼピュロス様、その料理には最後の仕上げがあるんです」
そう言って立ち上がると、ゼピュロスの席の横について跪く。
手にはケチャップを持っていた。
「ケチャップを使って、卵の上にメッセージを書くのです。私から、ゼピュロス様にふさわしいお言葉をお贈りします」
一流メイドのようなうやうやしい手つきで、ケチャップの筆を走らせる少女。
かくして、卵の上に現れたのは……。
ヘ タ レ
例の、3文字……!
しかも、ハートつきっ……!
少女は急に自我を取り戻したかのように叫んだ。
「お前みたいなヘタレ野郎に食わせる料理なんてないんだよっ! だけどこうやってヘタレになりきるんだったら食わせてやるよっ!」
一気にまくしたてられ、驚きのあまり固まっているゼピュロス。
少女は勇者の顔にあった、ヘタレの焼き印とは逆の頬めがけて、ケチャップを絞り出す。
かくして、勇者の顔に現れたのは……。
ヘ タ レ
またしても例の、3文字……!
しかも、ハートつきっ……!
ゼピュロスは呆然自失としていたが、まわりは胸のすくような快哉をあげていた。
「あはははははははっ! 見て見て、ヘタレだって!」
「しかも3つも! きゃはははははは!」
「あーっはっはっはっ! トリプルヘタレ! トリプルヘタレーっ!」
「でも、まだまだ足りなくない!?」
「そうそう! 私たちもやろう!」
赤や黄色の調味料ボトルを手に、ゼピュロスのまわりに殺到する女たち。
誰もが、いじめっ子のようなサディスティックな笑顔を浮かべて……!
「な……なにをするのシャッ!? 勇者にこんなことをして、ただですむと思ってるのシャーーーッ!?」
振り払うようにして椅子から立ち上がるゼピュロス。
さすがのD・V・Sも、怒るよりも戸惑いのほうが大きかった。
なにせ勇者というのは、法的にも世間的にも手厚く守られている存在。
肩がぶつかっただけで斬り捨ててもよいどころか、悪口だけでもその者を抹消できる。
なのでほとんどの勇者は、人の悪意というものに晒されたことがない。
だからこそ、それをされた時のショックは計り知れないのだ。
ゼピュロスは親に裏切られたかのような表情を浮かべ、椅子を蹴り飛ばすほどの勢いで後ずさる。
じりじじりと迫ってくる、かつてのファンたち。
しかし今は獲物を狙う獣のように怖ろしい。
手の調味料はいつの間にか、魔法触媒の杖や、包丁や麺棒に変わっていた。
完全に、勇者を攻撃する気マンマンである。
「ど……どうしたのさ……!? なぜ……なぜっ!? レディたち、どうしたのシャァァァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーッ!?!?」
困惑と恐怖に満ちた勇者の悲鳴が、この国を揺るがさんばかりに響き渡っていた。
ここから事態は急展開!?