161 太陽のお茶、月のマザー
地下迷宮の外は、ゴルド飯によるテロに、大変なパニックに陥っていた。
もちろん中にいる面々は、そんなことを知るよしもない。
誰もが、かつてないほどの美味を胃袋におさめ、最愛の人と抱き合っているかのような幸せに包まれている。
「はぁ……おじさま……おじさま……素敵です……」
「ああ……ゴルちゃん……ゴルちゃん……ママのゴルちゃん……ゴルちゃんのママ……」
「はふぅ……ゴルドくん、すごいね……すごすぎるね……すごすぎてシャオマオ、もう、ダメね……」
「あひぃ……ゴルドっち……ゴルドっち……もう、絶対……ずっと一緒にいたい……」
「ふぅん……賛成、じゃん……。それと、改名したい……ゴルドくん・ラヴに……」
誰もがまどろむように呼ぶのは、ひとりのオッサン。
「みなさん全部キレイに食べましたね。食後のお茶を淹れますから、そのまま休んでいてください」
着ぐるみの皮をかぶったオッサンは、食卓から食器を片付ける。
てきぱきと卓上を拭いあたと、今度は人数分のティーカップを並べた。
その手際の良い仕事を、ウットリと眺めている客たち。
彼女たちの視界はもう紗がかかっていて、もうゴルドくんしか見えていない。
視線を一身に浴びているゴルドくんは、コンロに掛けておいたポットを外す。
食事のシメとしてお茶を給仕しようと、まずはビッグバン・ラヴが座っている椅子の間に立った。
すると双子姉妹は、甘えるようにギュッと抱きついてくる。
そして匂いつけするように、ぐりぐりと顔をこすりつけてきた。
「お茶を入れていますから、危ないですよ」と注意しても、
「お茶よりも、ゴルドっちとずーっとこうしていたい!」
「ふーん、大賛成じゃん!」
なかなか離してはくれなかった。
しかしポットからカップへとお茶が注がれると、ふたりとも……。
いや、テーブルにいる客たちの全員の視線が、溢れる光に目を奪われていた。
「うわぁ……!? なになに、なにコレ!? なにこのお茶!? すっごくキレイじゃなくなくないっ!?」
「ふーん、太陽みたいじゃん」
「そうですね。これはデンリンという、地下迷宮によく自生しているハーブの一種です。地中から外に向かって伸びていくので、別名『太陽を求める手』とも呼ばれています。抽出するのはコツがいるのですが、うまくいくとこんな風に、太陽みたいな黄金色のお茶になるんですよ」
一流シェフから超一流バリスタと化したかのように、流暢に説明してくれるゴルドくん。
「本当に、太陽みたいに力強く輝いていて、なんだか見ているだけで元気になれそうね!」
「それに、香りも素敵です! まるでお日様みたいな香りがします……!」
「ううっ、ママ、いろんなお茶を飲んできたけど、こんなお茶、初めて見たわ!」
「デンリンは見た目がちょっと良くないので、植物であることすらも知らない人が多いようです。さらにそれを煎じて飲む人となると、ほとんどいないと思います。でも、このデンリンの味と香りには気分をリフレッシュさせ、身体を刺激して、やる気を出す効果があるんですよ。糖分も加えてありますので、疲れも取れると思います」
ちなみにデンリンは、墓から飛び出した死人の手のような見た目をしてる。
あまりにグロテスクなので、そのあたりはオブラートに包んで説明していた。
客たちにまとわりつかれながら、全員のカップにハーブティーを注ぎ終えるゴルドくん。
最大級の抱きつきチャンスだというのに、プリムラは「お茶を入れるお邪魔をするのは良くないことです」と生来の真面目さで自制し、着ぐるみの表面を撫でつけるだけにとどめていた。
そして食卓に生まれる、5つの太陽。
すでにその恵みを浴びているかのような客たちに向かって、ゴルドくんは言った。
「では、お召し上がりください。このあとのツアーがさらに良いものとなりますように」
もう待ちきれない様子でカップを持つ面々。
バーニング・ラヴとシャオマオは取っ手に指をかけ、ブリザード・ラヴは両手で包み込むように。
プリムラとリインカーネーションはソーサーごと持ち上げ、お上品に。
一斉に彼女たちの唇に吸い込まれていく太陽。
そのお味は、果たして……?
「ああっ……!」
「はぁぁぁ……!」
「うわぁぁ……!」
「んふぅん……!」
「ふぅぅん……!」
それは、寒い冬にお風呂に浸かった時のような声が、思わず漏れるほどにおいしかった……!
身も心もトロトロになっている彼女たちに、ゴルドくんは頷く。
「では、ごゆっくり。私は後片付けをしますから、それが終わったら出発しましょう」
なおも漏れ続ける吐息に背を向け、調理場へと戻っていった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ゴルドくんが流し台で食器を洗っていると、ふと柔らかいものが腕にまとわりついてきた。
まるでスライムのような、柔らかさ以外の概念が存在しなさそうなそれが何なのか、中の人は着ぐるみごしでもハッキリと感じ取っていた。
彼は振り向きもせず、また洗う手も止めず、彼女にだけ伝わるほどの声量でつぶやいた。
「……マザー、私はあなたに謝らなければならないことがあります。あなたが作ってくれた弁当のことです。私が今朝、渡した弁当箱には、実はある仕掛けがしてあったんです。騙すつもりはなかったのですが……」
腕に抱きついていた少女は、何も言わずにゴルドくんに身体を預ける。
「ゴルちゃんって、ママがこうすると、いつもちゃんと支えてくれるから、大好き……。いつの間にか、こんなに立派に、こんなに大きくなって……」
リインカーネーションがゴルドウルフより大きかった時期があったような口ぶりだが、そんなことは一度もない。
しかしそれについては、ゴルドウルフは突っ込まなかった。
息子に甘える母親のような口調で、ママは続ける。
「それにママに内緒で、お弁当におかずを足してくれるような子に、なるなんて……」
「知っていたんですか」
「うん。ママ、ゴルちゃんの入れてくれたおかずを食べたくてたまらなくて……我慢するの、すっごく大変だったんだから……」
そして今度は、遠くで働く我が子を想う母親のように天井を見上げ、同じ月を見ているかのように、彼女は続けた。
「きっと今頃は、シャルルンロットちゃんたちもお弁当を食べている頃ね。お茶も飲んでいるかしら」
ちなみにデンリン茶も、昔の駅弁に付きものだった茶瓶のようなものに入れ、料理と一緒に底のほうに隠されていた。
「マザーが作ってくれた弁当を、当て馬のように使ってしまって……」
「あらあら、そんなこと気にすることはないわ。お弁当は誰が作ったかなんて、どうでもいいことだもの。愛情が込もっているのはもちろん大切だけれど、食べる人が美味しく楽しく、おなかいっぱい、笑顔になってくれれば……それでいいと思うの。だからママ、ゴルちゃんのオカズを見たとき、とっても嬉しかったわぁ。それにゴルちゃんと一緒にお弁当を作れた気分になって、とっても楽しかった! だから今まででいちばん張り切っちゃった!」
嗚呼、マザー・リインカーネーション……!
なんという、慈愛に満ちあふれたお言葉であろうか……!
「マザー……」
さしもの魔狼も、これにはじいんと感情を滲ませているようである。
しかし、それも長くは続かなかった。
「それよりも、ゴルちゃんもデザートいかが? ゴルちゃんのお茶に合うように、お茶請けがわりにササッと作ってみたの。ママ特製のハニートマトよ!」
サッと差し出された皿には、剥かれてシロップのようなものが掛けられたプチトマトが乗っていた。
「美味しそうですね、いただきます。このトマトはどうしたんですか?」
フォークでひとつプチトマトを突き刺し、口吻を持ち上げ、本当の口に運びながら尋ねるゴルドくん。
「あそこにいっぱいあったのよ、ほら」
そう言って、大聖女が指さした先は……。
あれほど手を付けるなと念押しした、食材の山であった。
次回、いよいよ最悪の事態に…!?