160 弁当合戦の果て
卵焼きを、しゃぶしゃぶサラダを、一斉に口に運んだ野良犬サイドの観客たち。
ごくりっ……!
とこれまた一斉に、喉が鳴る音が、右側から聞こえてきた。
勇者サイドの観客たちである。
彼女たちはもはや、さんざん自慢していた自らの弁当には手を付けていなかった。
いま自分たちが食べているものが、残飯であるかのように思え……。
いや事実、配られた弁当はスタッフの食べさしであったので、残飯ともいえるのだが……。
しかしそれ以上に、間近で行われている別の食事が、豪華レストランのメニューのように見えていたのだ。
それはさながら、繁華街の大通り。
豪華なレストランを路地裏から眺めている、ストリートチルドレンのようであった。
野良犬と勇者の立場が、完全に逆転した瞬間である……!
冷めてもなおキラキラと輝きを失わない卵焼き、しっとりした肉とみずみずしい野草の蛇しゃぶサラダ。
それらが口に運ばれる瞬間を……飢えた野良犬のように舌を出し、見つめるゼピュリストたち。
ごくりっ……!
また、喉が鳴った。
今度は野良犬サイドの観客たちが、口に運んだものを飲み込んだ音だった。
そして、花火が打ち上がる。
きちんと正座をしてお行儀よく食べていた聖女も、足を崩して気楽に食べていた魔導女も……。
あぐらをかいていた女戦士も、弓術師も……もちろん冒険者ではない者たちも、みんな、みんな……。
空に向かって打ち放たれるかのように、ぐぐーっと背筋を伸ばしたあと、
「あっ……はっ……! あっ……!」
身体を弓なりに反らしたまま、恍惚の表情で震えていた。
瞳は潤み、頬は赤みがさし、吐息は熱っぽく白い。
もはや、その空間に言葉はなかった。
ただ歓喜にむせぶ、甘息だけ……!
焦点の定まらなくなった瞳の端から、光る雫があふれ、つうと頬を伝う。
かたやゼピュリストたちは、瞼を失ったように目を剥き、反り返った彼女らの肢体を凝視していた。
あんぐり開けっぱなしの口の端から、光る筋があふれ、顎からぽたぽたと垂れ落ちる。
そして……ついに爆発した。
「おっ……おいしいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」
満開となった花火のように、随喜がアリーナ全体を彩る。
なにせゴルド飯は、舌が肥えているはずのホーリードール家の聖女たちや、ビッグバン・ラヴたちですら椅子から転げ落ちたほどだ。
中流階級くらいの経済状況が大半を占める、彼女たちではひとたまりもない……!
冷めてもなお、とろける味わいの卵焼き……。
野草はシャキシャキで、肉に包んで噛みしめるとジュワッと旨味あふれるサラダ……!
それらは初めて衝撃となって、少女たちの身体を貫き、快感のように駆け抜けていた……!
「ああぁぁーーーっ!! もうダメ、もうダメ、本当にダメぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
まるで意思と身体が真逆になってしまったかのように、ダメを連呼しながら狂ったようにガッつく……!
「ほ……ほんとに、ほんとにほんとにほんとにおいしぃぃぃぃーーーーっ!?」
「大聖女様もビッグバン・ラヴちゃんたちも、ちょっと大げさにしてるのかと思ってたけど……!」
「だ、ダメッ! 食べる手が、食べる手が止まらなひぃぃぃーーーっ!?」
「卵焼きって、お弁当に入れてもこんなにふっくらしてるの!? まるでホットケーキみたい!」
「こ、これがコウモリの卵だなんて、信じらんないっ!」
「それにこのお肉! 蛇のお肉ってこんなにジューシーなの!?」
「こってりして脂っこいように見えて、ぜんぜん違う! いくらでも食べられるわ!」
「この野草よ! シャキシャキの野草のおかげで、口の中がサッパリするから……あぁん、本当にやめられないぃぃーーーっ!?」
野良犬サイドの観客席は、集団催眠にかかってしまったかのような、異様な熱気に包まれていた。
「ううっ! う、腕を上げたわね、ゴルドウルフ! このアタシをここまで夢中にさせるなんて!」
「……」
「って、なんか言いなさいよっ! 隊員2号! ってアンタ泣いてんの!?」
「うわああぁぁんっ!? はいっ、泣いてますぅぅぅ! こんなに美味しいものが食べられるなんて、やっぱり来てよがっだぁぁぁぁ~!!」
「隊員3号はいいのよっ! アンタはもうさっきから泣きっぱなしでしょうが!」
「たっ、隊員1号さんだってぇぇぇ~!」
涙と汗を一緒くたにしてまき散らすシャルルンロット、ウサギのように物言わず落涙するミッドナイトシュガー、そして初めてであるかのように号泣するグラスパリーン。
わんわん騎士団をも陥落させる、恐るべきゴルド飯……!
その影響力は半端なく、ついにある者たちを決起させるに至った。
「わ……わたしもう、我慢できないっ! い、いますぐ野良犬の所に行くっ!」
「わ、わたしもっ! あのお弁当、一口でもいいから食べたいっ!」
「っていうかもう、ちゃんとゴルドくんの応援したい! こんな息苦しい所、もうたくさん!」
「みんなで、みんなでゴルドくんの所に行きましょう!」
そして瓦解しはじめる、勇者の軍勢……!
いまだ忠誠心高い者を残し、多くの離反者が、一気に野良犬の地を目指したのだ……!
観客席の境目には、これ離反者を出さないようにゼピュリストたちが国境のように立ち塞がっていた。
当然のように、小競り合いが勃発。
「ちょっと待ちなさいよ! あなたたち、弁当なんかでゼピュロス様を裏切るつもり!?」
「ううん、それだけじゃないわ! もううんざりなのよ!」
「そうそう! ゼピュロス様も、ゴージャスマートも!」
「そ……そんなこと言っていいの!? 聞いちゃった聞いちゃった! ここにいるあなたたちはもう『ライクボーイズ』のファンもやめるっていうのね!?」
「それに、それだけじゃないわよ! 全員、ゴージャスマートを出禁になっちゃうわよ!?」
それはとあるゼピュリストの口からでまかせであったのだが、それを聞いていたジャンジャンバリバリが腰巾着のように乗っかった。
『そ……! そうじゃんそうじゃん! 野良犬を応援するということは、自分も野良犬と同じく卑しい人間だと言ってるも同然だから、今後一切、ゴージャスマートに立ち入るのは、お断りさせていただくじゃぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーんっ!!』
これは改心の一打……! のつもりであった。
ライクボーイズのファンクラブ脱退はともかく、ゴージャスマートが利用できなくなるのは冒険者にとっては致命的だからだ。
しかしそんなコケ脅しが通用するような状況では、もはやなくなっていた。
「もういいわ! 私、勇者様のファンをやめる!」
「そうそう! それにゴージャスマートも利用しない!」
「ゴルドくんのファンになるし、お店はスラムドッグマートを利用するって決めたの!」
「見た目と言ってることはカッコイイけど、いざとなったらてんでヘタレなゼピュロス様には、もううんざり!」
「それにお金を取ることばっかり考えてるゴージャスマートにもうんざりよ!」
「ファンもお客も、金づるにしか考えてないのが見え見えなのよ!」
「その点、ゴルドくんは違うわ! 見た目と口調はひょうきんだけど、言ってることは紳士だし!」
「それに、いざとなった命をかけて、みんなを守ってくれるのよ!」
「私、間違ってた! ゼピュロス様とゴージャスマートの都会的な感じに、ずっと騙されてた!」
「うん! 洗練されてて、刺激的だけど……冷たくて、お金がないと相手にされないの!」
「そうそう! 私なんて薬草をひとつだけ買ったら、舌打ちされたのよ! その前は10万¥も遣ったのに!」
「その点、スラムドッグマートは違ってたわ! 薬草だけでも、嫌な顔なんてしなかった! それどころか、すぐ使えるようにって刻んでくれたのよ! もちろんタダで!」
ダムにあいた穴から、水が流れだすともう止まらない。
さらに勢いを増し大穴となって、不満が噴出するっ……!
アリーナの俯瞰図はもはや、天国と地獄といってよかった。
極楽浄土のように弁当に舌鼓をうつ野良犬サイド、修羅道のように怒号が鳴り止まない勇者サイド。
ジャンジャンバリバリは事態を収束させるために、ついに強硬手段に打って出る。
『す、スタッフ! スタッフゥー! これ以上、野良犬サイドに人が移動しないよう、力ずくで押さえつけるじゃぁぁぁぁぁぁーーーーーーんっ!!』
それは修羅を地獄へと変えてしまう、最後の……そして禁断の一手であった……!
次回、ティータイム!