145 第三の裁き
勇者と野良犬は、ほぼ同時に次なる部屋に足を踏み入れていた。
『不死王の国』の全体でいうところの、南端にある……。
そう、『第三の裁き』が行われる場所へと……!
立ちはだかる不死王リッチの壁画は、地獄の責苦を受ける亡者たちを、キャンパスでスケッチしているという、よくわからないものだった。
そして部屋の中央に、やはり邪神像。
黒御影石のような、冷たく光る肌。
手が四本あり、右手は石の印章を、左手には石槌を、今にも振り下ろさんばかりに掲げている。
方角としては南を司る、その暗黒神の名は、パルヌゴルヌ……!
衣服のかわりに無数のネズミを身体にまとわせる、殺戮と疫病の女神であった……!
「また、あのそばに行けばいいんですね。何があるかわからないので、何が起こってもみなさんはそこで見ていてくださいね」
ゴルドくんは「お昼はカレーがあるから、あっためて食べや」くらいの軽さで仲間たちに伝える。
そして遊びに出かけるオカンのように、勝手知ったる様子で像の前にスタスタと移動した。
地の底の溶岩が吹き出ているかのような、不死王リッチのぐつぐつとした笑いが響く。
『フッフッフ……! もう、わかっているようだな……! では前置きは抜きにして、さっそく第三の裁きに入ろうではないか……!』
野良犬は準備完了しているので、あとは勇者を待つだけ。
しかしゼピュロスは、壁の法玉に向かって最高のキメ顔を作っているところだった。
モニターには、白塗りの顔がドアップで映し出されている。
観客たちは固唾を呑んで、勇者の言葉を待つ。
『いま、この不死王の国の外で、ゼピュロスを応援しているレデイたちに、素敵なプレゼントがあるのさ。この裁きでゼピュロスを支持してくれたレディには、特別に……ゼピュロスからキッスをプレゼントしよう。いままでのような間接ではなく、直接……!』
これが、ゼピュロスが非常口にたどり着くまでに考えていた、秘策その1。
リアルキッス・プレゼント……!
いままではゴージャスマートで何十万もの買い物をして応募券を手に入れ、何十万という抽選に当選しなければ得られなかった、ゼピュロス様とのキッスが……。
いや、正確にはヤラセで、破産するほどクジを買っても絶対に当たらなかった、ゼピュロス様とのキッスが……。
なんとゼピュロスを支持するだけで、ゲットできるというのだ……!
なんという、破格の大盤振る舞い……!
勇者は熱のこもった口調で続ける。
『いいかい? これは今回かぎりの、ゼピュロスの気まぐれなのさ。次の裁きではキッスのプレゼントはないよ。このチャンスを逃すのは、ガラスの靴を履かないくらい愚かなことなのさ』
ゼピュロスにとっては、この裁きの間だけが問題だった。
ここさえクリアできれば、その先の通路にある非常口から脱出できる。
しかしここで痛い目にあうのだけは、なんとしても避けたかったのだ。
あんな痛い思いはもうたくさん。
ここから出られたら、二度と地下迷宮探索などするものかと思っていた。
だからこその、一大取引……!
だからこその、唇大安売り……!
もちろんこれで支持を得たところで、実際に接吻をするつもりはない。
ゴージャスマートのスタッフに指示して、魚の『キス』を千匹仕入れさせ、配布するつもりでいた。
『アリーナにいるレディたち、想像してみるのさ。このゼピュロスから、キッスを受け取る瞬間を……! それはきっとキラキラと輝き、とろけるような口どけ……ふわりと軽く、しかもほんのり甘い……! 誰もが貪りたくなること、請け合いなのさ……!』
舌で唇を妖艶に、ペロリと舐め上げ……。
言葉巧みに、魚のキスの風味を飾り立てる。
ゼピュロスまさかの、キスキス詐欺っ……!
思わぬサプライズ・プレゼントの提案に、ファンたちは狂喜する。
家に王子様がやってきた、シンデレラの姉のように騒ぎ立てていた。
「ええええええええええええええーーーーーーーーーーーーーっ!?」
「うそっ、うそっ、うそぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーーっ!?」
「ぜ、ゼピュロス様と、キスができるだなんて……!?」
「ねえ、嘘でしょ!? 嘘じゃないの!? ねえっ!?」
「私、『ゼピュロス様とキッス』キャンペーンのときに、1千万¥以上遣ったのよ! それでも当たらなかったのに……!?」
「私も! でも今回は、ゼピュロス様の支持するだけで、キスできちゃうだなんて……!?」
「これはもう、ゼピュロス様を支持するしかないでしょ!?」
「うん! ここまでゼピュロス様にお願いされて、野良犬側に寝返るヤツなんて、人間じゃないわ!」
「っていうか、野良犬側に行ってた子たちも、これで戻ってくるんじゃない!?」
「だよね! だって勇者様とキスできるんだもん!」
「おーい! 野良犬を支持しちゃった子たち、戻って来たいでしょう!? でもアンタたちが戻ってきても、裏切った罪はなくならないのよ!」
「そうそう! たとえこっちに戻ったとしても、ゼピュロス様とのキスはいちばん最後なんだからね!」
ヤジを飛ばされる野良犬サイド。
しかし、わんわん騎士団は悔しがるどころか、毛玉を吐くかのようにえづいていた。
「うげぇ、なんであんな厚化粧の気持ち悪いヤツとキスしなきゃいけないのよ。それだったら、顔に落書きされた野良犬に噛まれたほうが、よっぽどマシだわ!」
「アップになった顔、死人よりも白かったのん」
「私も昔、もっと大人っぽく見られたくてお化粧してみたことがあるんですけど、あんな風になっちゃいました~」
ただの化粧失敗野郎の扱いを受けているとは、夢にも思っていないゼピュロス。
これで1030名すべての支持が得られるのは間違いないと、心の中でほくそ笑んでいた。
――シシシ!
このゼピュロスのキスと聞いて、心を動かされないメスブタはいないのサ!
これで、野良犬を支持する者は、ひとりとしていなくなる……。
凄惨な裁きがヤツに下されるのは、間違いないのサ!
そして圧倒的支持を受けたゼピュロスの姿を最後に、ツアーの幕を閉じれば……。
いままでの失態は、すべて帳消し……!
すべてが、丸くおさまるのサァーッ!
そんな腹黒さとは裏腹の、さわやかな笑みを残し、ゼピュロスは邪神像の前に立つ。
『よぉし、勇者のほうも、裁きを受ける覚悟ができたようだな! さあっ、審判の時は来たれり! 我が余興のために、動け! 動くのだ! フハハハハハハハハハハハハハハ!』
リッチの高笑いすらも、今の彼にとっては勝利の凱歌のように心地よく耳に響いていた。
そしてステージのジャンジャンバリバリも、今回のツアーの裏方たちも……。
それどころか観客にまぎれこんだフォロワーたちも、安心しきっている。
キスをプレゼントするというのは台本にはなく、ゼピュロスの完全なるアドリブであった。
しかしキャンペーンで特賞になるほどのものを、支持者全員にプレゼントするというのだ。
これになびかないファン……いや女などいるはずがない、と誰もが思っていたのだ。
『ゼピュロス様とキスできるという、千載一遇のチャンスじゃぁーんっ! これを逃せばもう一生、勇者様とキスなんてできないじゃぁーーーんっ! もうゼピュロス様を支持する以外、ありえないじゃーーーんっ! さあ、残りあと4秒っ! みんなでいっしょにぃ! せぇーのっ!』
「よん! さん! にぃ! いちっ! ……ぜろぉぉぉぉーーーっ……!!」
……ズドォォォォォォォォォォォォォォーーーーーーーーーーンッ!!
カウントアップとともに、打ち上げられる花火。
それは勇者とその下僕たちにとって、勝利の号砲ともいえるものであった。
次回、衝撃の結果発表!