142 ゼピュロス・ライヴみたび
ファン待望であったはずの『ゼピュロス・ライヴ』……。
それは『滑稽』としか形容のできないものであった。
「あああっ、ま、まちゅげが、ほほが、あ、あごがぁぁぁぁぁぁ~!?」
福笑いのように顔を探り当て、いちいちショックを受けている、ボーカルのゼピュロス。
『な……なんと! なんとなんとコレは……! しっ、新曲じゃぁーーーんっ!?』
アリーナの歓声はすっかり鳴りを潜めている。
ジャンジャンバリバリの実況だけが、空しくあたりにの山々にこだましていた。
ゼピュロスは気が動転するあまり、人目もはばからず、籠手の手首に仕込んでいる鏡を引き出す。
祈りながら見つめたそれは、悪ガキに蹂躙された蜘蛛の巣のように、ボロボロ……!
床に叩きつけられた衝撃で、割れてしまったのだ……!
気がつくと、鎧の胸部に仕込んであるドレッサーも開いており、あたり一面にメイク道具がぶちまけられていた。
「あっ!? あっあっあっ!? ああ~っ!? め、めいきゅが、めいきゅがぁぁぁぁぁ~!?!?」
『こ、これは、バラードかっ!? 心まで染み渡る、悲しい響きじゃぁぁぁーーーんっ!』
バラードなら静かに聴くのがマナーであるが、そういうわけにはいかなかった。
大写しになっている勇者は、誰かが道端にぶちまけた小銭を、ここぞとばかりに拾い集める乞食のような惨めさでいっぱい。
それを黙って見ているのは、あまりにも悲しすぎたからだ。
そして、乞食……。
いや、勇者はついに目撃する。
「あっ……!? ああああっ!? ああああああああーーーーーーっ!?!?」
『ああっとぉ!? ゼピュロス様の、魂のシャウト! きっとこれは、巣に落ちてしまったファンに対する悲しみを表しているに、違いないじゃぁぁぁぁーーーーーんっ!』
その答えはもちろん、否! である。
この世の終わりのような悲鳴をあげる、ゼピュロスの瞳に映っていたのは、メンリオンの大ばさみの先端。
……ジャキン! ジャキン! ジャキーンッ!
そこに引っかかっている、黄金のヅラであった……!
つかみ取ろうと手を伸ばすも、当然、届くはずもない……!
「ああああああっ!? 髪が……! 髪がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーっ!?!?」
手放してしまった風船が、空に昇っていく様を見ることしかできない子供のような叫喚。
いや、そんな同情を誘うようなものではなかった。
ボロボロの髪に、血と涙と鼻水でグチャグチャになった顔は……。
子供というよりも、さながら餓鬼……!
もしこれが、愛するファンを失おうとしている時のリアクションであれば、大いに心を打ったであろう。
しかしこの餓鬼は、目の前で引きずり込まれようとしている女たちには、目もくれず……。
その奥で、枝に残った木の葉のようになびいている……。
たかがヅラに、号泣していたのだ……!
まるであの一葉が落ちてしまったら、自分の生命も終わってしまうかのような、悲壮さで……!
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーんっ! 髪っ、髪っ……! 髪ぃぃぃぃぃぃぃぃーーーーーーんっ!?!?」
『ど……慟哭じゃん! ゼピュロス様がファンのために、血の涙を流されているじゃんっ! ああ、おいたわしい……! このジャンジャンバリバリも、思わずもらい泣きじゃぁぁぁぁぁぁーーーーーんっ! おーいおーい!』
いくら実況で盛り上げようとしても、吹雪のなかでマッチを擦っているかのように、まるで火がつかない。
無理もない。
あの勇者様は君の名ではなく、髪の名を連呼しているのだ。
よりにもよってその単語だけは、やたらと鮮明に、これ以上ないくらいハッキリと聞きとれた。
他の言葉は、入歯をなくしたおじいちゃんみたいに、フガフガであるというのに……。
ゴブリンのように不規則に生え残る、みすぼらしい頭髪を押さえながら、確かにこう叫んでいたのだ……!。
「『髪』がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーっ!? せひゅろすの『髪』がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーっ!? あんにゃところに、ひってしまったのしゃぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーっ!?!?」
……視聴者、ドン引きっ……!!
しかし、野良犬サイドで奇跡が起きたように、こちらの勇者サイドでも、神のお導きがある。
いや……悪魔のささやきといったほうが、正しいだろうか。
「あっ!? ぼ、ぼうひが……! ぼうひがあるのしゃっ!?」
アリジゴクの淵から少し離れた所に、可愛らしいベレー帽が落ちているのを見つけるゼピュロス。
ラル・ボンコスが落としていったものである。
重量がないので、巣に引きずり込まれずにすんでいたのだ。
懸命に手を伸ばして、それを掴もうとする。
しかし、あと少しというところで届かない……!
「くっ、くぅぅ……! あっ! ひゃ、ひゃりを、ひゃりをちゅかえばいいのしゃ!」
背負っていた槍を引き抜く。
モンスターとレディのハートを貫いてきた流麗なる槍も、もはや棒同然の扱い。
しかし引っかけて取ろうとしていたところに、蜘蛛の糸にすがるような、女たちが……!
「ぜ、ゼピュロス様! こ、これに掴まれとおっしゃっているのですね!?」
ジャンジャンバリバリの、感動的な実況が後に続く。
『ああーーーっとぉ!? なんと、ゼピュロス様が、槍を使ってファンたちを救出にかかったぁーーーーーっ!』
「た、助けてくださるなんて……! あ、ありがとうございます!」
『なぜならば、ライドボーイにとって、槍は神聖なるもの……! モンスターを倒す以外の用途に使ってはならないという、厳しい掟があるじゃんっ! 掟を守らなければ一族からの破門もあえりえるというのに、それを破ってしまうだなんて……!』
「わ、私はゼピュロス様のことを信じておりました! きっと、助けてくださると……!」
『ああっ……! ゼピュロス様はどれだけ、ファンのことを大切に思っているんじゃぁぁぁぁぁぁぁーーーーーんっ!?』
「ああっ、ゼピュロス様……! 私はもう一生、ゼピュロス様についてまいります!」
女たちは懸命に、槍に向かって手を伸ばす。
もしここで実況のとおりに、ゼピュロスが槍を使って彼女たちを助けていれば、一発逆転の可能性もあったかもしれない。
たとえどんなに醜くもがきながらでも、結局助けられなかったとしても、ひたむきでさえいれば……。
意外な一面として、離れかけていたファンのハートを、再びガッシリとわし掴みにできていたかもしれない。
しかし、彼がしたのは、
「ウキャアアアッ!! ひゃめろメスブタどもっ! きちゃにゃい手で、しんしぇいなるはりに、しゃわるんじゃないのシャーッ!!」
歯を剥き出しにする、世にも醜い餓鬼の威嚇であった……!
いや、歯はすでに無いので、歯茎を剥き出しにしていると言ったほうがいいだろうか。
それは怒れるチンパンジーに瓜二つであった。
『ゼピュロス様はおっしゃっているじゃん! はやく、はやくこの槍に掴まれと! たとえライドボーイの地位を負われることになっても、レディたちのほうが大切だと、叫んでいるじゃんっ!』
もはや異国の言葉を適当に翻訳しているとしか思えない、やけっぱちのジャンジャンバリバリ。
そして藁にもすがる女たちは、まだ気付かない。
いや……。
生命の危機を前に、信じたくなかっただけなのかもしれない。
「ほ、ほら! ゼピュロス様は怒ってらっしゃるわ! アンタみたいなメスブタが手を出すからよ!」
「メスブタはそっちでしょ!? ゼピュロス様は私を助けようとしてくださっているのに、邪魔しないで!」
「なんですってぇ!? キィィィーーーッ!?!」
同時に槍を掴みとった女たちは、引っ張り合いをはじめる。
その様は、さながらバーゲン会場……!
否っ……!
「ウキャアアアアーーーーーーッ!! はにゃせ、はにゃせ、はにゃすのシャァァァァーーーーーーーっ!!」
……ズバアァァァッ……!!
地獄絵図であった……!!
次回は野良犬サイドのお話です。