135 ドッグ・ラン
投影触媒に大写しになっていた勇者と、ワイプの野良犬。
勇者はケガの治療に時間が掛かってしまったので、いまだ廊下を進んでいる。
そのゆったりとした足運びとは真逆に、野良犬は地を蹴っていた。
静と動の対比。
そうなればもちろん注目されるのは、野良犬……!
勇者の甘やかなささやきは小さくなり、かわりに猛進する着ぐるみの顔がアップになった。
『おおっとぉ!? 野良犬が部屋の中央に向かって走り出し……! おおおーーーっとぉ!? 地面が崩れてしまったじゃぁーーーーーーーんっ!!』
ジャンジャンバリバリの暑苦しい叫びが、状況をつぶさにトレースする。
一見して他と変わらぬ石床だと思われていたものが、砂糖菓子のように砕け、一気に沈下したのだ。
……ズズズズズズッ!!
衝撃で、砂塵が間欠泉のように噴き上がる。
ゴルドくんの予想は見事的中。
待ち構えていたのは、人間がアリになってしまったと錯覚するほどの、巨大なるアリジゴクであった。
『おおおーーーーーっとぉーーーーーーー!? これは、これは、これはっ!? モンスターの待ち伏せじゃんっ! メンリオンが床に化けて、潜んでいたじゃぁぁぁぁぁーーーーーーんっ!!』
モニターはまだ砂煙に覆われていてよく見えないというのに、ジャンジャンバリバリはその正体を見抜いていた。
いや……『知っていた』というべきか。
『メンリオンは地下迷宮の床に化けて、上を通りかかった冒険者を、アリジゴクのような巣に引きずり込むモンスターじゃんっ! 引き込まれた人間は、まず助からないとされている、おっそろしいモンスターじゃぁーーーーーーーんっ!!』
やっとシナリオ通りに事が運びそうだったので、彼は嬉々として騒ぎたてる。
『野良犬は広い部屋を見て、きっとドッグランと勘違いしたんじゃん! 何も考えずに走り出して、その挙げ句にモンスターの罠に引っかかるだなんて……! アホじゃん! マヌケじゃん! 野良犬、ジ・エンドじゃぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーんっ!!』
「ば……馬鹿にすんじゃないわよ! アタシのパート……! いいえ、ゴルドくんがあんなチンケなモンスターにやられるわけないでしょ!」
拡声魔法に負けない大声を張り上げて、言い返すシャルルンロット。
しかし、登り龍のように砂を散らしながら現れた、巨大なハサミを持つムカデ。
その異形を目にした途端、お嬢様は思わず声を潜めてしまった。
「ううっ……! ま、負けるんじゃないわよ、ゴルドウルフ……!」
『おやおやぁ? 急に元気がなくなったんじゃぁーーーんっ!? 無理もないじゃーんっ! メンリオンの巣に一度捕まったら最後、足が柔らかい砂に取られて動けなくなっちゃうじゃぁーんっ! そしてもがけばもがくほど、早く落ちる……! いくら走ったところで滑り落ちて、絶対に逃げられないんじゃぁぁぁぁぁぁーーーーーんっ! ジャンジャン、バリバリィィィィィィィィーーーーーーーー!!」
彼が取り仕切っているイベントが最高潮の時に出る、『ジャンジャンバリバリコール』。
しかしそれは宣言と同時に、ちゃぶ台ごとひっくり返されてしまった。
『ジャンジャン、バリバリぃ……いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?』
モニターに映し出されていたのは、にわかには信じられない光景であった。
野良犬は、なんと……!
すり鉢の外周を、平然と走り回っていたのだ……!
それはさながら、スケートボードのハーフパイプを滑っているかのような、淀みのなさ……!
すり鉢の中心で、引っかかった獲物が落ちてくるのを待ち構えているメンリオン。
彼は獲物が暴れている気配を察知し、すぐに落ちてくるだろうと、大ばさみをシャキンシャキン打ち鳴らしていたのだが……。
気配はあるのに、いつまで待っても降りてこないので、とうとう気配の方角に向かってハサミを振り回しはじめた。
しかし、届かない……!
届くわけがない……!
なぜならば獲物は、ハサミの完全なるリーチ圏外。
まるで手の届かない安全地帯で、フィットネスクラブのランニングコースのように、悠々と走り回っているから……!
『いいいっ!? どうしてどうして!? どうしてじゃん!? なんで砂の上を、あんな風に足を取られずに走れるんじゃんっ!?』
……そろそろ彼も、気づくべきであろう。
ゴルドくんの着ぐるみの、機能であることに……!
『水蜘蛛あんよ』……!
ゴルドくんの手がグローブのように大きいように、足も人間の数倍の大きさ。
それが、忍者が池の上を移動するための道具『水蜘蛛』のように作用して、足が砂に埋まることはない。
従って砂の上であっても、変わらない速度で走ることができるのだ……!
メンリオンはゴルドくんの移動にあわせて身体を回転させ、まったく届かないハサミで挟もうと躍起になっている。
平地のほうに出現した大蛇たちも、ゴルドくんを落とそうと必死になって身体をしならせている。
「す、すごい……!」
観客の誰かがつぶやいた。
「学校の先生が言ってた! メンリオンに引っかかったら、その人はもう助からないから、見捨てて逃げなさいって!」
「そうそう! メンリオンを倒せば助けられることもあるかもしれないけど、まわりにいる大蛇に邪魔されて、落とされちゃうって! そうなると、パーティが全滅するかもしれないんだって!
「でもあのゴルドくん、メンリオンをひとりで手玉に取ってるよ!?」
「ほ、ほんとだ……! メンリオンも大蛇も、他のパーティメンバーには見向きもしてない……!」
見向きもしていなかったのは、観客も同じであった。
誰もがゴルドくんに見とれていたのだが、不意にひとりのファンがハッと息を漏らす。
「あっ、そうだ! このボタン! このボタンを押してさらに妨害してやれば、いくらあの野良犬でも……!」
彼女たちの手元にあったのは、赤と青のボタンがついた小箱。
赤は勇者で、青は野良犬。
ボタンが押されると、押された側めがけて、壁から石が射出されるという、悪魔のような装置であった……!
その気づきに、一部のファンたちが呼応する。
「そうよ! 野良犬に石を投げましょう! そうすれば無様に転げ落ちるはずよ!」
「えっ!? そんなの可哀想だよ!」
「うん! いくらゼピュロス様のライバルでも、それは違うと思う! ゼピュロス様を応援するならともかく、相手を妨害するだなんて……!」
「そんな甘っちょろい考えで、ゼピュロス様のファンが務まると思ってるの!? ゼピュロス様だって、野良犬に石を投げることを望んでいるに違いないわ!」
「もう! あんたたちがやらないんだったら、私がやるわ! ……それっ!」
客席のあちこちで『キャイン!』という、虐待されている犬のような鳴き声がおこる。
青いボタンが押された証拠だ。
……バシュッ……!
ババババババババッ……!!
壁穴から撃ち出された石つぶてが、第三の敵となって、ドッグランの野良犬に襲いかかる……!
しかし彼は突然、ロードワーク中のボクサーに変貌した。
……シュッ! シュッシュッシュッシュッ……!
そんな吐息が聞こえてきそうなほどの高速回避。
やぼったい上半身からは想像もつかないほどの柔軟性。
野良犬は上半身だけで、迫り来る投石をすべてかわしてしまったのだ……!
「ええええええええええええーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?!?」
これには、世界が震撼する。
もしここに、神がいたとしても、
「あなたたちの中で、罪を犯したことのない者が、まずこの野良犬に石を……えええええええええええーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
きっとビックリ仰天していたに、違いない……!
「ううっ……!? た、ただの偶然よっ! 投げて投げて投げまくるのよっ! このっ、このっ!」
「だ、ダメっ!? いくら投げてもよけられちゃうわ! もう、どうして、どうしてなのっ!? えいえいっ!」
「なっ……なんで!? なんでなんで、なんで当たらないのよっ!? このっ、このーっ!」
「後ろからも石は飛んできてるのよ!? なのにどうして避けられちゃうの!? えいっ、ええーいっ!」
鬼のような顔で、装置のボタンを連打するゼピュロス女子たち。
ヒステリックな彼女たちをあざ笑うかのように、飛び交う石をかわし続けるゴルドくん。
その軽やかなステップは、とぼけた顔と相まって、
「今どんな気持ち?(トントン) 今、どんな気持ち? ねぇ、どんな気持ち?(トントン)」
と煽っているかのようであった……!
次回、奇跡がおこる!