133 瓦解のはじまり、そして
裁きを受けてもなお、和気あいあいとする野良犬陣営。
かたや、ようやくノイズが晴れた勇者陣営はというと、投影触媒ごしにもわかるほどの不穏な空気が漂っていた。
一瞬ではあったものの、焼畑のようであった頭髪はそこにはない。
豊かな金髪をたたえるゼピュロスを中心に、ちょっと表情が固い取り巻きたちがいる。
そのいちばん端にいる、尖兵らしき少女。
彼女は精一杯のおしゃれなのであろう、マカロンのような可愛らしいベレー帽を目深に被り、嗚咽を漏らしていた。
「ちょっとトラブルがあったようなのさ。でももう大丈夫。楽しいツアーの再開さ」
他人事のような、薄ら笑いを浮かべるゼピュロス。
自身の髪を自慢げに、そっと撫でつけている。
待ちに待った勇者の復活に、スペシャルアリーナにいる熱烈ファンたちは一気に沸いた。
「キャァァァァァァァァァァァァァーーーーーーーーーッ!! ゼピュロス様ぁーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
「ああっ! ゼピュロス様がお戻りになったわ!」
「いつもと変わらぬその笑顔! その御髪! 最高ですっ!」
「邪神の裁きを受けてもなお、その美しさを失わないだなんて……!」
「やっぱりゼピュロス様の美しさは、永遠に不滅なんだわ!」
「そうそう! 本物だからこそ、邪神なんかに穢されたりしないのよ!」
ここぞとばかりに声高に喧伝する『ゼピュリスト』たち。
そしてその矛先は、ライバルサイドにも向けられる。
「誰よ!? ゼピュロス様がハゲになられたなんて言ったのは!?」
「そうそう! ちょっと伝映が乱れてそう見えただけなのに、鬼の首を取ったみたいに!」
「嘘までついてゼピュロス様を貶めたいみたいね! やっぱり野良犬だけあって、浅ましいわ!」
批判的な視線を投げつけられ、野良犬サイドのリーダー的存在であるシャルルンロットは狂犬のように唸っていた。
いまにも飛びかかっていきそうだったが、隣にいたミッドナイトシュガーが手で遮り、かわりに一歩前に出る。
「ゼピュロス様は、取り巻きのひとりの髪を奪って、自分のウイッグにしたのん」
静かなる告発。
歓喜に満ちていた勇者サイドのざわめきが、驚きの色を帯びはじめる。
「な……なによ!? また適当なこと言って!」
「そうよそうよ! 嘘を塗り重ねてまで、ゼピュロス様のことを悪く言うだなんて、最低!」
「そこまで言うんだったら、証拠を見せなさいよ!」
三倍以上の言い返しに、「ひいぃ……!?」と怯むグラスパリーン。
しかし当のミッドナイトシュガーは動じない。
情熱的な真っ赤なずきん、そしておどけた野良犬マスクとは真逆の、無感情な瞳を向けたままこう反証する。
「伝映が元通りになったとき、ゼピュロス様はいつもしている、髪をかき上げる仕草をしなかったのん。それに、あの泣いている尖兵……。ノイズが入るまでは、ベレー帽の下は金髪の三つ編みだったのん。でも今は、そのおさげが無くなっているのん」
その一言に客席じゅうの視線が、巨大な三面モニターに集中した。
ついつられて、ジャンジャンバリバリも見上げている。
件の尖兵は背中を向けて、床にぺたんと座り込んで号泣していた。
帽子を目深に被っていたせいで、後頭部は露出している。
そこには野良犬側の証言を裏付けるかのように、無理矢理引きちぎられたような、ボロボロの髪が……!
「あんの、外道勇者っ! 女の子の髪の毛を奪うだなんて、許せないわっ!」
「ひ、ひどいですぅ~!」
怒鳴り、悲しむ仲間たちを背に、ミッドナイトシュガーはさらにたたみかける。
「ゼピュロス様がハゲていたとわかった瞬間、伝映にノイズが入ったのん。伝映がブラックアウトしたのであれば、今回の魔法設備を管理している、運営スタッフによる内部からの介入のん。でもノイズということは、外部から介入された可能性が高いのん。おそらく、絶対魔法防御が使われたのん。ゼピュロス様はその間に、尖兵を襲ったのん」
その口舌を皮切りに、喧々囂々の論戦、スタートっ!
「て……適当なことばっかり、言ってんじゃないわよっ!」
「あ、絶対魔法防御だなんて高位の防御を、あんな一瞬で使えるわけないでしょ!」
「アミュレットを使えば可能のん」
「ぜ……ゼピュロス様は、髪はレディにとって命であるように、ゼピュロスにとっても命だって……そうおっしゃっているのよ! ファンを誰よりも大切にするゼピュロス様が、その命を奪うような真似、するわけないじゃない!」
「だからこそ、ゼピュロスは奪ったのん。そして奪われたあの尖兵は、これから口封じのために始末されるのん」
「かっ……髪を奪ったうえに、殺すですって!? ばっ……バカバカしい! みんなのお手本である勇者様が、そして誰よりも美しく気高いゼピュロス様が、そんな極悪人みたいなこと、するわけないじゃない!」
「……おやおや、どうしたいんだい、レディ」
ふと、高みから声が降り注ぐ。
それは投影触媒ごしの、勇者のやさしい声だった。
「ゼピュロスとのツアーが楽しすぎて、思わず泣いてしまったんだね? そうだろう?」
微笑みの君は、論議の的であった尖兵少女を見下ろしている。
「ひっ……!? う……ぐすっ! ひっく! お……おすっ! ふっ、不肖、ラル・ボンコス! ぜ、ゼピュロス様とごごご、ご一緒できて、ううう嬉しいっす……!」
「無理もないさ。ゼピュロスに感激して涙するのは、タマネギを切って涙が出るのと同じくらい自然なことなのさ。しかしそんなに泣いていては、せっかくのレディが台無しなのさ」
勇者は膝をついてしゃがみこむと、地べたに座り込んでいる少女、ラルに手をさしべる。
そして抱え上げた。
「えっ……!? ひゃあっ!?」
「ほぉら、これで涙クンともグッバイなのさ」
「ひいいいっ!? おおお、おすうっ!?」
少女は血の気を失った顔に、引きつった笑顔を無理矢理浮かべていた。
涙クンはグッバイするどころか、むしろ滝のような勢いで溢れ出している。
「レディは尖兵のようだね。ではこのままゼピュロスと一緒に、先陣を切って進み、他のレディたちを導こうじゃないか。これはゼピュロスからの、スペシャルプレゼントなのさ」
勇者は、口元だけで笑う。
……本来であればこの時、アリーナからは羨望の悲鳴と、ブーイングが巻き起こっているはずだった。
「私もお姫様抱っこされて、ご一緒したぁ~い!」と悶絶する者たちが、続出しているはずだった。
しかし、今は誰が無言……!
いつもは、心とろける勇者の笑顔が……。
なぜだろうか、たまらなく不気味であったから。
そして泣きじゃくる少女に、嫉妬どころか、同情を感じてしまったから……!
冷静なる少女の、冷徹なる一言で、楽しいライブツアー映像は一転。
さながら殺人鬼が公開した、殺人ビデオへと変貌を遂げていたのだ……!
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「……そろそろ、第二の裁きが終了した頃合いだな。首尾はどうなっている?」
「はい、予定の狂いはありましたが、支持数はゼピュロス様が圧倒的優勢で……」
「ふぅ、お前の感想はいい。数字だけを報告しろ」
「も、申し訳ありません! ゼピュロス様の支持1000名、野良犬の支持30名となっております!」
「ふぅ……。それのどこが、優勢だというんだ」
「えっ? 支持数には30倍以上の差があるんですよ? どう見てもゼピュロス様が圧倒的に……」
「ゼピュロスのファンを集めたのだから、100%の支持があって当然だ」
「は、はい、確かに……! で、でも、お言葉ですが、たったの30名ですから……」
「ふぅ、もういい。支持者の数は、この先さらに差が詰まるだろう。例のバックアッププランを発動するんだ」
「えっ!? あのプランをですか!?」
「そうだ。たとえ野良犬がどんなに優秀で、たとえゼピュロスがどれだけ愚かでも、絶対に負けることのない、あのプランを」
「で、でも、そうしますと……! あっ、い、いいえ! かしこまりました! すぐに手配いたします!」
次回、新たなる悪巧み…!