126 坂道の野良犬
かたや野良犬サイドのほうでも、同じように床は急勾配と化していた。
まず先頭を歩いていたオッサンが、そのあとに続いていたシャオマオが滑り落ちる。
プリムラとリインカーネーション、ビッグバン・ラヴのふたりはその後に続いていたので、傾斜に引きずりこまれることはなかった。
「ああっ!? ゴルドくん!? シャオマオさんっ!?」
「いやあああああっ!? 待ってぇぇぇぇぇぇぇっ!?」
「ちょ、マザーっ!? 追いかけたら危ないって!」
「落ち着いて、マザー」
半狂乱になるマザーを取り押さえながら、一行はゴルドくんとシャオマオの行く末を見守る。
ゴルドくんは坂道の途中で身体を翻し、四つ足になってふんばった。
ズザザザザザザザザザザザザッ……!
土煙とともに、ブレーキがかかる。
これぞ『なりきりゴルドくん スペシャルバージョン』の、便利機能……。
『滑り止め肉球』……!
「あいやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
その横を、シャオマオが転がり落ちていく。
小さな身体が、あと少しで虚空に投げ出されようかという、その寸前、
……ガシィィッ……!!
ゴルドくん、すかさず片手を伸ばして、彼の腕をガッチリとキャッチ……!
「ええっ!?」
宙ぶらりんになったシャオマオは、前後不覚に陥り、目をぱちくりさせていた。
いったい何が起こったかを把握すべく、見上げた先には……。
とぼけた顔で手を差しのべている、野良犬の着ぐるみが……!
「ご、ゴルドくん!? シャオマオのこと、助けてくれたね!?」
大きな頭が「当然です」と縦に動く。
「あ、ありがとうね! 縁に掴まらせてくれたら、シャオマオ、自分で……!」
大きな頭が「それはできません」と横に動く。
「床が傾いたと同時に、床の隙間から油が染み出してきています。より確実に穴に落とすための仕掛けですね。素手で掴んだら滑ってしまうでしょう」
ゴルドくんは着ぐるみごしでも、わずかなヌメりを感じとっていたのだ。
「でも……でもシャオマオがいたら、ゴルドくんも……!」
そしてゴルドくんの身体は、わずかずつではあるが、じりじりと傾斜を降りつつあった。
油と、シャオマオを掴んでいるせいで、『滑り止め肉球』の効果が半減してしまったのだ。
底なし沼で心中するかのように、ゆっくりと沈んでいく、ゴルドくんとシャオマオ。
坂の上の女性陣はパニック。
これにはさすがに、多くの視聴者も固唾を飲んでいた。
なにせカメラは天井からの俯瞰で、野良犬と少年を今にも飲み込もうとしている深淵を、まざまざと映し出していたからだ。
クジラのような大口の底には、なんと……!
軍隊アリのように蠢く、骸骨の集団が……!
もしこのまま、落ちてしまったら……。
落下のダメージと、彼らによるリンチで肉片も残らず、床のシミと化してしまうのは明らか。
想像するだけで、身の毛もよだつような結末が待っている。
その恐怖感は、アリーナの大画面で視聴している観客たちに最も伝わった。
「……どうして、手を離さないの?」
ふと、誰かがぼそりとつぶやいた。
「あの子から手を離せば、ゴルドくんは助かるはずなのに……?」
「どうして? どうして手を離そうとしないの?」
それは外からの声であったので、地下迷宮にいる野良犬の皮を被ったオッサンには届くはずもなかった。
しかしオッサンは、まるでその疑問に答えるかのように、シャオマオに向かって言う。
「シャオマオさん、私は何があっても、あなたを見捨てません。そして絶対にあなたを死なせはしません」
「ど、どうして!? シャオマオはスラムドッグマートで薬草を買っただけね!? それなのにどうしてそこまで……!」
「なんであろうと、スラムドッグマートを利用していただいた以上、あなたは立派なお客様です。そして今は、私のかけがえのない仲間です」
これ以上の問答は無用とばかりに、力強くシャオマオを引っ張り上げるゴルドくん。
女の子のように細い腰を掴んで抱き寄せると、
「もう、離しませんよ……!」
ひっしと、抱擁っ……!
その声は、よく吠える犬のような、調子外れの声のはずだった。
その顔は、道化のようにとぼけた、野良犬の顔のはずだった。
その身体は、美しさとはかけ離れた、もっさりした鈍重な身体のはずだった。
そして、それは……。
勇者に仇なす、憎き敵のはずだった。
しかし、確実に……見るものすべての心を、掴みとり……。
頑なであったそれに、確実にヒビを入れたのだ……!
「かっ……かっこ、いい……!」
誰かが思わず口にしてしまった、その言葉は……。
ワイプで這いつくばっている勇者に対してのものではないのは、明らかであった。
映画のクライマックスのように、抱き合うふたりへの共感。
苦難を乗り越えてついに結ばれた、美女と野獣への賞賛。
中身は少年とオッサンなのであるが、そんなことはどうでもいい……!
しかし、そのままエンドロールというわけにはいかなかった。
抱きしめた拍子に、ずるりと足を踏み外してしまうゴルドくん。
『あああああああーーーーーっと、野良犬! ここでついに、脱落じゃぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーんっ!!』
この時を待ち構えていたジャンジャンバリバリは、スコアボードに手をかけながら叫んだ。
「6」の数値をむしり取り、「4」へと差し替えようと……!
「ゴルドちゃんっ! 肉球を! 肉球をばしんってしてぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
その悲鳴は天上から降り注ぐ、女神の天啓のように響いた。
そして、カメラは捉えていた。
今まさに、奈落に全身を突っ込もうとしていた野良犬が、手を伸ばし……。
淵に向かって、手を……。
いや、肉球を勢いよく叩きつけた、瞬間を……!
……バッッ、シィィーーーーーーーンッ!!
すると、どうであろう。
グローブのように大きな野良犬の指先から、鉤爪のようなものが飛び出したではないか……!
……ジャッ、キィィィーーーーーーーンッ!!
これぞ、『なりきりゴルドくん スペシャルバージョン』の便利機能にして……。
中の人も知らされていなかった、秘密機能……!
『飛び出せビックリ爪』っ……!!
形勢、一気に逆転っ……!
地獄の淵から舞い戻ったヒーローは、あれよあれよと傾斜を登りはじめる。
石床を穿てる鉄爪であれば、油など問題になるはずもない。
引っかけ、這い上がり、引っかけ、這い上がりを繰り返し……。
頂上で待っていたヒロインたちと、抱きしめあう……!
……これは本来、勇者サイドで予定されていた結末であった。
そして野良犬サイドのほうは、2名の脱落者を生むはずであったのだが……。
『くっ……!』
スコアボードに掛けかけていた、「4」のパネルを悔しそうに降ろすジャンジャンバリバリ。
「待つのん」
そこに、静かなる待ったがかかる。
「勇者サイドは1名の脱落者が出たのん。スコアを書き換えるのん」
「あっ、そういえばそうね! ちょっと! 誤魔化そうとしたってそうはいかないわよ!」
「ちゃ、ちゃんと公平にやってくださぁぁぁ~いっ!」
勇者様チーム のこり30名
野良犬チーム のこり06名
わんわん騎士団の抗議で、スコアボードは何の効果音もなく書き換えられた。
次回、プリムラに裁きが!?