125 坂道の勇者様
『第一の裁きはこれまでとしよう! さあ、入国するがいい、生命ある者たちよ! そして束の間の道中、善行を重ねるのだ! 余は、次なる裁きの間で待っておるぞ……! フハハハハハハハハハハハ!』
……ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……!
不死王の高笑いとともに、床に沈んでいく壁画。
彼が最後に言い残した、『善行』……。
その基準は明白であった。
おそらくこのあとも、同じように観客たちの判断による、『裁き』が行われるのであろう。
となれば、ここでいう『善行』とは……。
1千人いる観客たちのハートを、掴むような行為……!
しかし現時点では、野良犬サイドが圧倒的に不利な状況。
なにせ外にいるのは、勇者ゼピュロスを観に来ている者たちなのだ。
それも、恐るべき倍率をくぐり抜けて入場チケットを手にした、猛者ども……!
ファンの間では、『ゼピュリスト』とも呼ばれている狂信者である。
親子のように強い絆で結ばれた、勇者と彼女たち。
そこに野良犬が入り込む余地など、果たしてあるのだろうか……!?
しかし当のゴルドくんは、その絶望的状況を知ってか知らずか、
「行き止まりだと思っていた壁が動いて、先に進めるようになりましたね。では行きましょうか」
いたって平然と女性陣と向かい合っていた。
「はぁ~い……」
と、いつになくしおらしい返事をするリインカーネーション。
いかにも気まずそうに、胸の前で人さし指どうしをツンツンと突き合わせている。
自分の軽はずみな行動で、ゴルドくんを危険な目に遭わせてしまったのを、さすがに反省しているのだ。
「ママのせいで、ゴルドちゃんをケガさせちゃうところだった……。ママ、いけないママ……。ママ、ママ失格……」
「気にする必要はありませんよ、マザー。それよりもマザーが無事で良かったです。でも次からは気をつけて、慎重に行動してください」
「ママ……ゴルドちゃんにメッてされたら、もっと反省して、もっといいママになれるのに……。ゴルドちゃんにメッてされたら、きっと……。そして言いつけが守れたら、いい子いい子してくれたら、ママ、もっともっといいママになれるのに……」
「玄関口は過ぎましたから、ここから先はモンスターの奇襲などあるかもしれません。ですので隊列を組みましょう。私を先頭に、少し離れたところからシャオマオさん、次に……」
「む、無視っ!?」
大聖女のお言葉をスルーする、ただひとりの男。
彼は淡々と、仲間たちに並び順を指示していた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
『不死王の国』は、今回のイベント用にゴージャスマートが大幅な改築を施しており、分かれ道などはすべて塞がれていた。
理由としては、ツアーを台本どおりに進める必要があるためと、狙った画づくりのためである。
特に、チェックポイントである『裁きの間』には2パーティ同時に到着するほうが進行がスムーズとなる。
なので、用心しながら進むであろう野良犬ルートは短めに、リハを重ねて構造を熟知している勇者ルートはストロークが長めに設計されていた。
ゼピュロスは先ほどの『裁きの間』で、台本になかった裁きを受けてしまったので、スタッフに対して多少の不信感が芽生えつつあった。
ただ手違いもあるだろうと思い直し、なおも先陣きって通路を進む。
歩みを進めながら「このあたりで、そろそろ……」と彼が思っていると、
……ガッコォォォォォォーーーーーーーーンッ!!
歩いていた床が、いきなり傾斜っ……!
バラエティ番組にありそうな、急な下り坂になったのだ……!
「どうやら、罠のようなのさ」
後続の女性陣たちに、たおやかな笑みを振りまきつつ、そのまま滑り落ちていくゼピュロス。
その先には、深い落とし穴が……!
「キャァァァァァァァァァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーーッ!?!? ゼピュロスさまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
彼の背後から悲鳴が追いすがる。
通路が急に坂道になるという罠。
それはリハーサル通りに、ドンピシャで発動された。
今回の茶番の、一連の流れはこうである。
まず、通路が急に坂道になって、先頭を歩いていたゼピュロスだけが滑り落ちる。
視聴者ハラハラ。
しかし坂道の途中と、ゼピュロスのブーツには魔磁石……いわば電磁石のようなものが埋め込まれていて、吸着により踏みとどまれるようになっている。
鋭い傾斜であるにも関わらず、素晴らしい体幹でポーズを決め、静止するゼピュロス。
視聴者拍手喝采。
しかし、坂道の頂上で見守っていたひとりの同行者が、足を滑らせて坂道を転げ落ちてしまう。
それを、坂道の途中でとどまっているゼピュロスが抱きとめる。
ふたり分の重さとなってしまったゼピュロスは、じりじりと坂道を下がりはじめる。
このままでは、ふたりとも真っ逆さま……!
視聴者パニック。
見ている者の中には、「その子を見捨てれば助かります! ゼピュロス様!」と叫ぶ者もいるだろう。
しかしゼピュロスは、天に向かってこう叫ぶのだ。
不死王よ、これが貴様のやり方か!
しかし残念だったな!
このゼピュロス、たとえこのまま奈落に落ち、待ち構えていた貴様らの手下に、五体五臓を引き裂かれようとも……。
このレディだけは、決して離さないのさ!
なぜならば、女神という名のレディから魂を受け取り、母親という名のレディから身体を授かった、このゼピュロス……!
海で生まれた魚が、海で死せるように……!
レディから生まれた人間は、レディのために死ぬ……!
それが人としてのあるべき姿だと、ゼピュロスは考えているからさ!
今この場でゼピュロスは殺せても、このレディはだけは殺させない……!
不死王の貴様にも、自由にできぬ生命があることを、肝に銘じるがいいっ!
そして、とくと見るがいいっ!
これが……これこそが……!
ライドボーイ・ゼピュロスの生き様さぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーっ!!
不死王は、勇者の強き思いに心を打たれてしまう。
傾いた坂道を元に戻してくれて、めでたしめでたし……!
視聴者は、号泣モノの感動に包まれる……!
という、歴史に残る名シーンになるはずであった。
しかし実際に展開されていたのは、
「まっ……!? 魔磁石が、魔磁石がどこにもないのさっ!?」
坂道の途中で決めポーズを取るどころか、ジタバタと足を動かす勇者の姿……!
ゼピュロスは胴乱で白くした顔を、さらに青白く染めながら、懸命に踏みとどまろうとしていた。
しかしどこにも引っかかりはない。
穴はどんどん迫り来る。
そして、いよいよとなったところで、
「ふっくぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅーーーーーーーーーーーっ!?!?」
彼は傾いた地面に這いつくばって、四つ足でワシャワシャと坂道を這い上がろうとする。
それはゴキブリさながらであったが、落ちてしまっては元も子もない。
掃除機の吸い込いこみから必死に逃れる、害虫のような有様になってしまった勇者様。
しかしてその目前に、
「キャァァァァァァァァァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーーッ!?!?」
ひとりの魔導女が、滑り落ちてきたっ…!
魔磁石は無いのに、こんな事だけ予定どおり……!
しかしゼピュロスは、もう他人に構っている余裕などない。
魔磁石がどこにも埋め込まれていない以上、彼女を受け止めた時点で、即没シュートは明らかであったから。
しかし、しかしっ……!
……ガシィィッ……!!
よりにもよって彼女は、すれちがいざまにゼピュロスの足首を、つか、み……!?
……ドガァァッ……!!
いや、ゼピュロスのマントに隠れて、掴めていたかどうかはよく見えなかった。
ともかく、鈍い打撃音のようなものだけは聴こえてきた。
そのまま魔導女、奈落の底へと、真っ逆さま……!
「イヤァァァァァァァァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!?!?!?」
絹を引きちぎりながら落ちていくような悲鳴を、いつまでも残して……!
一瞬、なにがどうなったのかわからなかった。
坂道の上で見守っていた同行者たちも、ゴージャスマートで視聴していた者たちも……。
そしてアリーナにいる観客たちも……。
なにが起こったのかわからず、沈黙していた。
ただほんの一部の、少女たちをのぞいて……!
「ちょっと、今の見た!? アイツ、助けを求めてきた女を蹴落としたわよっ!?」
「使い終わった鼻紙を捨てるくらい、ためらいゼロだったのん」
「ひ、ひどいですっ……!」
映像はもはや当たり前であるかのように、野良犬サイドのほうを大写しにしていた。
次回、野良犬サイド…!