123 不動の野良犬
「ぐっふぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
くぐもった悲鳴とともに、もんどり打って倒れるゼピュロス。
ゼピュロスは長身なので、ひとりで金ダライのダメージをぜんぶ背負ってしまったのだ。
すがりついていた女性たちはノーダメージであったが、あまりにショッキングなビジュアルに硬直していた。
それは砂かぶり席の彼女たちだけではない。
アリーナの1千人も、ゴージャスマートで中継を観ていた何十万といる者たちも、固まっていた。
ただ3人の、少女たちを除いて。
「あっはっはっはっはっ! 今の見た!? トマトジュースとタバスコを間違えて飲んだみたいな顔になってたわよ!」
「あれは毒を飲んだときのリアクションのん」
「今朝出発の準備をしてたら、タンスの上に置いておいたトランクが頭の上に落ちてきたのを思い出しました~!」
そして、舞台裏は騒然となっていた。
ステージから一時退出したジャンジャンバリバリが、スタッフに詰め寄る。
「ちょっとちょっとちょっと! これはどういうことじゃんっ!? ゼピュロス様のほうには、裁きの罠は発動しないことになってたはずじゃん!? たとえ野良犬の支持者がいても、幸運の女神が味方したとか言って、不発に終わることになってたはずじゃん!?」
「は、はいっ! ゼピュロス様のほうには、誤って発動してしまうことを防ぐために、そもそも罠自体を仕掛けてなかったのですが……!? 最終チェックのあとに、何者かが罠を仕掛けたとしか……!」
「今はそんなことはどうでもいいじゃんっ! それよりも、早く伝映をカットするじゃん! えっ、できない!? なんでじゃん!?」
「伝映魔法は開発途上の技術なので、中断させる術式がまだないのです! 魔力切れを待つしか……!」
「んじゃあ『アンチ・マジック』で、一時的に魔力供給を遮断すればいいじゃんっ!?」
「それもすぐにはできません! 軍事用なので、普通のアンチ・マジックでは無理ですっ! 高位の術者を呼び寄せないと……!」
「んがぁぁぁぁっ!? んじゃ、映像のほうを野良犬と入れ換えにして、ゼピュロス様のほうを小さくするじゃん! これから下される野良犬の裁きのほうで、なんとか誤魔化すじゃんっ!」
「そ……それならすぐにできます!」
「んじゃ、さっさとやるじゃんっ!」
急遽の打ち合わせを終え、再びステージへと飛び出していくジャンジャンバリバリ。
『さ……さあっ! つ、次は野良犬への裁きじゃぁぁぁぁぁーーーんっ!! さ、3名の支持で金ダライということは、1000名を越える支持となれば、とんでもないことになるじゃぁぁぁぁぁぁーーーんっ!!』
彼の煽りと同時に、のたうち回っているゼピュロスの映像がワイプに変わる。
かわりに大きく映し出される野良犬サイド。
そこには、
「裁きだなんて、いけませぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーんっ!!」
叫びながら、もたもたと駆け出すリインカーネーションが……!
オッサンは弾かれるように背後を向くと、近づいてきている大聖女に向かって叫んだ。
「いけません、マザー! 動いては……!」
その刹那、大聖女は目にしていた。
いつも両手を突っ張って、接触を阻止しようとしていた彼が……。
腕をこれでもかと開いて、迎え入れてくれようとする瞬間を……!
「ゴル……ドちゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーんっ!!!!」
彼女は物心ついた頃から、泣いたことがなかった。
どんな時でも微笑みを絶やさないことを、ある時から誓っていたからだ。
だから母親であるリグラスが、自分とひとつになった時も、困り顔で笑っていた。
……だからこそ、誰も気付かなかったのかもしれない。
彼女の深い海のような瞳から生まれた粒が、はらはら舞い散っても……。
服飾からはぐれた真珠のアクセサリーだとしか、誰も思わなかったであろう。
それほどまでに彼女に涙は似合わず、またそれほどまでにその涙は、美しかったのだ……!
彼女を胸で受け止めると同時に、野良犬の身体は真上からのプレッシャーによって、ぐんっ、と沈み込む。
……ズッ!! ドォォォォォォォォォォォォォォォァァァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーンッ!!!!
インパクトの瞬間、着ぐるみの足元から、砂煙が激しく舞い上がった。
「キャァァァァァァァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
敵と味方の垣根が取り払われたような悲鳴が、世界を席巻する。
もうもうとあがる砂塵の向こうには、微動だにせぬシルエットが。
「お……おじっ……ゴルドくんっ!?」
「ゴルドくん、大変ねっ!?」
「ちょ、ゴルドっち!?」
「ご、ゴルドくん……!?」
駆け寄った仲間たちが見たもの、それは……!
頭上にかざした片腕で、落ちてきたゼピュロスの彫像を、受け止め……!
もう片腕で、しっかりと大聖女を抱きしめて守る、大いなる野良犬であった……!
その姿はさながら、仏前を灯す竜燈鬼のように、凛として……!
四天王の踏みつけすらも跳ね返せそうなほどに、堂々不動……!
これほどの守りを受けては、たとえ鉄塊が降り注いだとしても、傷ひとつすら付けられぬであろう……!
マザーは最初のうちは抱きしめられた喜びにむせいでいたが、やがて顔をあげると、心臓が止まりそうなほどに息を呑んだ。
いつ押しつぶされてもおかしくないほどの重圧が、愛しき人の頭上にあったからだ。
「ごっ、ゴルドちゃん……!? 大丈夫っ!? いたいのたいたいのとんでいけっ! いたいのいたいのとんでいけっ!」
「私は何ともありませんから、治癒は必要ありません。それよりも、マザーのほうは大丈夫ですか?」
「う、うんっ! ご、ごめんね! ごめんねゴルドちゃん! ママが飛び出したばっかりに、こんなことに……!」
「気にすることはありません。では石像を降ろすので、離れていてください」
いつもはそう言われても、吸盤が付いたような離れない彼女であったが、この時ばかりは大人しく従う。
ゴルドくんは、仲間たちが安全な場所まで離れたことを確認すると、支えていた腕を少し傾け、
……ズズズズゥーーーーーーンッ!!
彫像を、誰もいない地面に横倒しにする。
スクリーンでは、大写しになった勇者の彫像が、粉々に砕け散る瞬間が映し出されていた。
そして、その片隅では……。
「んぐっ!? んぐっ!? ふぐぐっ!? ぐっふぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
呻きながら這いつくばって、地面に落ちた差し歯を拾い集める、生身の勇者の姿が……。
どこまでも小さく、そこにあった。
次回、このトラブルに、ジェノサイドロアーは…!?