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107 マザーの挑戦

 リインカーネーション・ホーリードールは、不思議な女性であった。


 いつも柔らかな微笑みを絶やさず、どんなことがあって「あらあら」と受け入れる。

 かと思えばいきなり、「まあまあ」と童女のように目を輝かせてはしゃぎだす。


 それは、マザーの地位に就いても変わらなかった。


 慰問に訪れた街や村で、子供たちの遊びの輪に加わったり、農家で乳搾りを手伝ったり……。

 およそ立場のある人間とは思えないようなことを平気でするのだ。


 こんな話もある。


 彼女が尋ねたある村では、放火グセのある、手の付けられない悪ガキがいることで有名だった。

 そしてその悪ガキがなんと、彼女にこっそり近づいてローブの裾に火を付けたことがあったのだ。


 火はすぐに消し止められ、警護の手によって悪ガキも捕まった。

 普通の大聖女であれば激怒して、



「なんたる無礼な! この私に火をつけるなど、女神を火あぶりにするようなもの……! 今すぐこの者を、皆の前で火刑に処し……いいえ、両親はもちろんのこと、親類縁者まですべて燃やし尽くしてしまうのです!」



 こんな風に声を荒げていただろう。


 もちろん大聖女には誰かを罰する権限などないのだが、それは着実に実行される。

 なぜならば、大聖女のまわりには勇者たちがいて、彼らが代行するからだ。


 この一件の時も、リインカーネーションにアピールできるチャンスだと、こぞって勇者たちが裁きの執行を名乗り出た。

 しかし彼女は悪ガキをギュッと抱きしめると、



「まあまあ、ありがとう。ママを元気にしたくて、火を付けてくれたんでしょ? 火を見ていると、なんだかウキウキそわそわしてくるものね。でも、火は人に付けてはだめでちゅよ。わかりまちたか~? ……あっ、あと村長さん、この子に村のかがり火の見回り役をさせてあげてくださいな」



 放火グセのある子供に、かがり火の番を!?

 それは殺人鬼に刃物を渡すようなものだと村長は反対したが、彼女は押し切った。



「火は熱くて危ないけれど、とってもあたたかい……。物事にはすべて、良いところと悪いところがあると、ママは思うの。良い子だってイケナイことはするし、悪い子だって人のためになれる……。だから悪いことをしたからといって、罰の痛みを教えるだけじゃなくて、『良いところ』をいっしょに探してあげたいの」



 それから、村の不審火はパッタリとなくなった。


 悪ガキは火を付けると、村の人たちが大騒ぎするので、かまってもらえると思っていたのだ。

 かがり火の番をするようになって、村人に感謝されたことで、新たな喜びを見出した。


 今では、村で唯一の少年消防員として活躍している。

 彼がいてくれることで、今度は逆に火事がゼロになったのだ。


 件の大聖女は、自分に火を付けた相手を許すどころか、その悪事に価値を見出し……。

 正しき道へと、導いてみせたのだ……!


 尻に火がついても笑っていられる、恐るべき肝っ玉。

 そして、罪ごとマシュマロで包み込んでしまうような、名実ともに雄大(ビッゲスト)柔和(ミルキー)な抱擁力……!


 嗚呼(ああ)、素晴らしきかな、マザー・リインカーネーション……!


 ……その逸話を知っているからこそ、今まさに客たちが目撃している事態の驚きはひとしおであった。


 『スラムドッグマート』の店内で、彼女が行っていたのは、なんと……!



「ゴルちゃんゴルちゃんゴルちゃんゴルちゃんゴルちゃんゴルちゃんゴルちゃんゴルちゃん……ゴルちゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーんっ!!!!」



 奇声をあげながら、オッサンに匂いつけするみたいに、激しく身体をこすりつけ……。

 身長差のある相手に対して、キスをせがむようにぴょんぴょんと跳びはねる……!


 天変地異の前触れのような取り乱しよう。

 あまりに客たちが愕然していたので、見かねたプリムラがフォローを入れる。



「お姉ちゃ……いえ、マザーは家族と会えない時間が多くなると、ああなってしまうのです。ですからお気になさらず、引き続きお買い物をお楽しみください」



 しかしそんな事を言われても、あの狂喜を横で見せつけられながら、ショッピングなどできるわけがない。


 まるで戦場から帰ってきた飼い主と、数年ぶりに再開した犬レベル……!


 ちなみにどれほど長久なる再会かというと、朝、屋敷で別れてから10時間ぶりである。


 今日は仕入れの都合でオッサンが早く屋敷を出たのと、彼女の聖務が押していたため、いつも以上に再会に時間がかかってしまったのだ。


 大聖女いわく、



「ママは、家族のみんなと……特にゴルちゃんと会えないと、8時間を過ぎたあたりから手が震えだすの。だから、毎日ギリギリ」



 だそうだ。


 それが本当かどうかは定かではないが、禁断症状まで起こるのであれば、この喜びようも頷ける。


 オッサンが店内にいるのはわかっているのに、



「お店の外から見かけた時は、信じられなかったけど……やっぱりあなただったのね!」



 などと小芝居を挟みたがるのも、無理はなかろう。


 ……さて。

 店内の注目を独占していたはずなのに、すべて奪い去られてしまった色男はというと……。


 今やすっかり蚊帳の外に置かれ、両手を広げたまま固まっていた。

 しかし、それまで意識を失っていたかのようにハッとすると、改めて迎え入れるようなポーズをとる。



「レディはシスター以上の照れ屋さんのようだ。そんな大げさな照れ隠しをするだなんて……。それとも、緊張しているのかな? その気持ちは痛いほどわかるさ。だが、予行練習ばかりじゃ恋は進まないよ。さぁ、そろそろ本番を……!」



 しかしマザーは見向きもしない。

 目の前のオッサンから片時も目を離そうとせず、



「そうね! そろそろ本番の『ギュッ』にいきましょう! ゴルちゃん、しゃがんでしゃがんで! このくらいに!」



 ちょうど自分の胸の位置あたりで、手のひらを水平にしていた。


 ゴルドウルフとマザーは、30センチ以上の身長差がある。

 そのせいで、オッサンが椅子に座っている時と入浴している時と寝ている時以外は、思うような『ギュッ』ができずにいた。


 彼女はそれが、ずっと不満だったのだ。


 しかしいくら言ってもオッサンがしゃがんでくれないので、とうとうしびれを切らしてしまう。

 なんと、末っ子のように身体をよじ登りはじめてしまった。


 オッサンの首に両腕をまわし、懸垂のように伸び上がる。

 豊かな胸がこれでもかと押しつぶされ、ずりずりと音をたてていた。



「うっ……うぅ~ん!」



 額に玉のような汗をいくつも浮かべ、いきむリインカーネーション。

 その苦悶する姿は大聖女というよりも、アスリートのよう……!



「ママ、がんばえー!」



 いつの間にかオッサンの後頭部にしがみついていた、末っ子の声援があがる。



「ママ、がんばるっ……! ううぅぅぅぅーーーんっ!!」



「お……お姉ちゃん! がんばって! がんばってください! あと少し、あと少しですよ!」



 そしてついにはあの、『三姉妹の良心』と呼ばれた次女まで……!


 プリムラは、姉がうらやましくてたまらなかった。

 人目もはばらからず思うがままに、おじさまに飛びついていける自由奔放(フリーダム)さが。


 最初は、心にチクチクとしたものを感じていたのだが……。

 しかし、「何がなんでもギュッとする」という姉の気迫の前に、ついには心を動かされてしまったのだ。


 あと少しで、おじさまのお顔(てっぺん)……!

 自然と声援にも力が入る。



「ふるぇー! ふるぇー! マーマ!」



「がんばれがんばれお姉ちゃん!」



「ふぁ……ふぁいとぉー!」



 しかし、「いっぱーつ!」とはならなかった。



「いい加減にしてください、マザー。お客さんが見ていますよ」



 オッサンはマザーの脇に手を入れると、子猫のようにひょいと抱え上げ、そのまま床におろしてしまった。

次回、ゼピュロスは…。

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[一言] 完全にキマってやがる…
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