106 オッサンと山
今日、初めてこの『スラムドッグマート』を訪れた、とある冒険者は驚きを隠せなかった。
噂どおり本当に、あの聖女の名家であるホーリードール家の次女がいることに。
それもVIP待遇の買い物客ではなく、スタッフとして……。
まるで今日入ったばかりの新入りのように、ハツラツと店の中を動き回り、花のような笑顔と芳香を振りまいている……!
しかも立場ある人物のはずなのに、偉ぶって命令することもない。
客には「いらっしゃいませ、なにかお探しですか? よろしければ、ご案内させていただけませんか?」と……。
店員たちには「すみません、お手伝いしていただけませんか?」と、あくまで低姿勢……!
恐れ多いあまり、跪く者あらば、
「ああっ、おやめになってください。わたしは敬われるような人間ではありませんから」
と困ったようにしゃがみこんで、わざわざ目線を合わせてくれる……!
そして目が合うと、
「店員も聖女も、どちらもみなさまの幸せを願うためにいます。誰かの幸せを願うのに、地位や身分など必要ないと思うのです。ですからお顔をあげてください、ねっ?」
まるで赤子を抱く聖母のように、控えめに微笑んでくれる……!
……冒険者は、心の中で絶叫していた。
さ……さすがは王都、ハールバリー……!
まさかまさか、プリムラ様とお近づきになれるだなんて……!
そ、それにしても実物のプリムラ様って……真写や絵で拝見するより、ずっとお美しい……!
それに、めっちゃいい匂い……! 顔ちっちゃいし、髪の毛サラサラだし……!
なんか、別次元の生き物みたい……!
それなのに、心まで清らかだなんて……!
ほっ……惚れてまうやろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーっ!!
……彼の驚愕は、それだけでは終わらなかった。
ぽやんとプリムラに見とれていたら……。
なんと……なんとあの、今をときめくアイドルグループ『ライクボーイズ』のリーダー……。
ライドボーイ・ゼピュロスが颯爽と店に現れて、プリムラをさらっていったのだ……!
ええええええええーーーーーーーーーーっ!?!?
なんであの大人気アイドル勇者である、ゼピュロス様がこんな所にっ!?
あっ、でもプリムラ様にお会いするために来られたのなら、納得がいく……。
なんたってふたりは、高名な勇者と聖女……。
しかも美男子と美少女ときてるから、これ以上にお似合いのカップルなんて……。
ああっ、やっぱり!
プリムラ様が壁際で、愛を囁かれている……!
さ……さすがは王都、ハールバリー……!
まさかまさか、2大スターのプライベートショットを生で見られるだなんて……!
でも、でもなんだろう、この気持ち……。
妻でも恋人でもないのに……寝取られたような、この悔しさ……!
ちっ……ちくしょぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーっ!!
プリムラ様を、返せぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーーーっ!!
……彼の魂の叫びは、それだけでは終わらなかった。
あっ、なんか店員のオッサンが邪魔しにきた!?
いや、プリムラ様、オッサンの後ろに隠れた!?
もしかしてプリムラ様、嫌がってる!?
いや、そんな馬鹿な……!?
あのゼピュロス様を嫌がる女性なんて、この世にいるはずがない……!
ゼピュロス様の得意技である、『愛の檻~ゼピュロスゾーン~』に入った女性で……。
「抱いて!」と言わなかった女性は、いまだかつてひとりも……。
ああっ、あれはっ!?
ゼピュロス様の必殺技、『求愛の指~ゼピュロスタッチ~』!?
ようはただの『胸タッチ』……!
普通の男がやればただのセクハラ行為だが、ゼピュロス様にかかれば甘美なる愛撫……!
どんなに気のない女性でも、触れられた瞬間、頬は紅潮し……。
心臓は高鳴り、瞳は潤み……そして腰砕けになるという……!
あの技を受けたら、さすがのプリムラ様も……。
ああああーーーっと!?
ここでオッサン、神セーブっ!?
ゼピュロス様の指が、プリムラ様の胸に触れる寸前で、防いだぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーっ!?!?
……そしていよいよ彼の興奮は、頂点に達する。
あっあっあっ!? ああっ!?
あああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?
あれは、あれは……!
マザー・リインカーネーション様っ!?
う……嘘だろっ!?
この国の王ですら、自由に会うことも難しいと言われている大聖女様が……なんでこんな所にっ!?
この『スラムドッグマート』には、ホーリードール三姉妹がいる……。
噂を聞いたときは半信半疑どころか、みんな鼻で笑ってた……。
だけどまさか、真実だったなんて……!
あっ、マザー・リインカーネーション様が、ゼピュロス様がいるのに気づいた!
そして……走り出したぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーっ!!
何事があっても決して走らないといわれる大聖女を、あそこまで駆り立てるだなんて……!?
しかも、おっとりしていることでも有名なリインカーネーション様が……!
今は興奮しきりで顔は真っ赤っ赤、目尻には涙の粒まで浮かべ……。
髪もお召し物も乱れるのも、気にせず……!
いやっ、それどころか……!
『慈愛の活火山』とも呼ばれる、あの御方の象徴すらも、どたぷんどたぷんと噴火させ……!
ゼピュロス様めがけて、猫のようにまっしぐら……!
そして御口から迸るは、
「会いたかったわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーっ!! もう絶対絶対、離さないからぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーっ!!」
公開プロポーズのような、愛の雄叫び……!
……これほどまでに取り乱す大聖女というのは、歴史を紐解いてみても、そうあるものではない。
その歴史的瞬間の、当事者になろうとしているゼピュロス。
厚化粧に彩られた顔が、笑う能面のように歪むのを禁じ得なかった。
「ああ、待たせてしまったようだね。このゼピュロスを許してほしいのさ。そのかわりに今すぐ、キミをハーレムへと誘おう。もちろん、キミの恥ずかしがり屋のシスターたちも一緒にね。なぁに、女神とはすでに暮らしているから、三人くらい増えたところでどうということはないのさ」
大聖女の想いを、すべて受け止めるように両手を広げるゼピュロス。
それに呼応するかのように、彼女の瞳からは涙の粒があふれ、宝石をばらまくようにキラキラと散っていた。
大聖女……いや、いまは恋する乙女となってしまったひとりの少女。
もはや地位も名誉も、富も名声もすべて脱ぎ捨てるように、愛する人の元へと駆けている。
「そう……キミにはもう、何もいらないのさ。このゼピュロスさえいれば……!」
「は……はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーいっ!! ママ……!! いっきまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーっす!!」
目前まで迫ってきた少女は、幸せいっぱいの表情で、ジャンプ一番……!
「さぁ、心までもを裸にして、飛び込んで来るがいいさ……! ようこそ、レディ……! このゼピュロスという名の、楽園に……!」
しかし彼の腕に与えられたのは、少女が通り過ぎた際におこした一陣の風だけであった。
「ゴルちゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーんっ!!!!」
魂までもが溶け合うような、熱い抱擁がすぐそばでおこる。
少女は抱きとめてもらえることを知っているのか、身体を大の字に広げ、全体重をあずけていた。
そして、真っ先に肩を抱かれて、しがみつくことを防がれることも知っていたので、
「ゴルちゃんゴルちゃんゴルちゃんゴルちゃんゴルちゃんゴルちゃんゴルちゃんゴルちゃん……ゴルちゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーんっ!!!!」
オモチャをねだる駄々っ子のように、狂ったように身体をよじらせてオッサンのガードを突破。
夢にまで見た厚い胸板に、むぎゅーと顔をめり込ませていた。
次回、マザーが意外なる行動に…!?