104 最果ての想い 5
今日は麓に届いた仕入れ商品が、いつも以上に多かった。
買い出しも沢山したので、リアカーはいつもよりずっしりと重い。
しかしゴルドウルフは力強く牽引し、わけもなく山道を登っていく。
早く帰って、誕生日パーティの準備をしよう。
そう考えるだけで、自然と足取りが軽くなる。
少女の笑顔を想うだけで、腹の底から不思議な力がみなぎってくるかのようだった。
最果て支店の入口である、アーチが目に入る。
オッサンは待ちきれなくなり、子供のように急いた。
もうすぐ、もうすぐだ。
もうすぐで……!
そして気づく。
あたり一帯が、不気味なほどに静まりかえっていることに。
アーチにぶら下げられた、『ゴージャスマート 最果て支店へようこそ!』の看板……。
少女とパンダのイラストが加えられたその看板だけが、風に揺れてキイキイと鳴いていた。
いつもなら出迎えてくれるはずの、ふたりの姿がいつまでたっても見えない。
不審に思いながらも、アーチをくぐるオッサン。
リアカーをペンションの前に停めて、裏庭へと回ってみる。
すると、そこには……。
毒々しい赤に、すべてをの色を奪われてしまった、花畑……!
葬列のようにぐるりと囲み、悲しみにくれる物言わぬ動物たち……!
そして……。
折り重なるようにして倒れる、少女とクマが……!
「マオマオさん!? シャオマオ!?」
オッサンは色を失い、矢も盾もたまらず駆け寄った。
まるで狂人から刃物で滅多刺しにされたかのように、全身血まみれ。
血の浴槽に沈んでいるかのような少女の身体を抱えおこし、何度も名前を呼んだ。
すると……うっすらと瞼が開く。
ただ、それだけのことなのに……オッサンには、少女が最後の力を振り絞っているかのように見えた。
そして唇は、たよりなく震え……。
音もなく、静かに言葉を紡いだ。
マオマオ……自然と身体が動いた……。
気がついたら、シャオマオ、かばってた……。
シャオマオも、マオマオ、かばってくれた……。
マオマオ、間違っていた……ね……。
ゴルドウルフさんの言うとおり……。
本当の愛っていうのは……言葉じゃなかった……ね……。
ゴルドウルフ、さん……。
マオマオに、本当の愛を教えてくれて……。
ありが、とう……。
……。
…………。
………………。
……ひゅう。
不意に、一陣の風が吹く。
その強い風は、少女の最後の言葉をさらっていった。
そして、その冷たさを……。
オッサンの全身に、呪魂のように刻みこんでいった……!
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ゴルドウルフはマオマオを、故郷のヘンリーハオチーまで送った。
もちろん、シャオマオも一緒に。
そのあと、集落の目撃情報をもとに、ライドボーイ・ゼピュロスの元を尋ねた。
しかし相手は人気アイドルである、『ライクボーイズ』のリーダー。
勇者でもない人物が会いたいと申し出たところで、門前払されるのがオチである。
しかしオッサンはゴッドスマイルの『お気に入り』であったので、特別に面会を許された。
これは勇者界隈では公然の事実なのであるが、オッサン自身は特別扱いされていることを知らない。
「ライドボーイ・ゼピュロス様、本日はお忙しい中お時間を割いていただき、誠にありがとうございます」
「メンズの挨拶など、このゼピュロスにとっては耳垢以下なのさ」
「……はっ?」
「そんなものを耳に入れたくはない、という意味さ」
「し……失礼しました。それでは、単刀直入にお聞きします。マオマオさんという女性をご存じですよね?」
「このゼピュロス、レディの名前は覚えないようにしているのさ。多すぎて覚えられないといったほうが正しいかな。その名前も覚えてはいないが、ハートを盗んだ覚えはあるのさ」
「そうですか……。では最近、ヤードホックの山にあるゴージャスマートにお越しになりましたよね? 集落の方々が、女性を大勢連れられたゼピュロス様の姿を、山の麓で拝見したと……」
「今この瞬間よりも過去のことなんて、覚えていないさ。ゼピュロスの記憶は、レディの事を覚えるためだけにあるのだからね。今こうして目の前にいるメンズの事ですら、入りこむ余地などないのさ」
ゴルドウルフの問いを、ゼピュロスはすべてとぼけ通してみせた。
勇者は確たる証拠か自白がなければ、罪に問われないのを知ってのことだ。
「このゼピュロスが、そのレディを襲ったというのなら、大変なスキャンダルになるのさ。そしてもしゼピュロスがやったというのなら、いつも近くにいる記者たちが放っておかないのさ」
ゼピュロスのまわりには、常に記者たちがいる。
彼がマオマオを襲った瞬間も、もちろん居合わせていた。
すべては目撃されていたのだが、新聞に載ることはない。
なぜならば、記者たちはすべて女性……。
とっくの昔に、ゼピュロスにたらしこまれた後だったのだ……!
もちろん今のオッサンならば、この程度の嘘は見抜いていただろう。
しかし当時のオッサンは、マオマオを襲ったのは彼ではないと思い込んでしまった。
「……わかりました。ではせめて、マオマオに会っていただけませんか? 彼女はゼピュロス様のためにゴブリンの巣で拷問にあっていました。そしてそれどころか、暴漢に襲われてあんな目に……! せめてゼピュロス様からじきじきにお声をかけていだければ、彼女も浮かばれます……!」
オッサンは少女の痛ましい姿を思い出したのか、顔を悲痛に歪めて声を絞り出す。
しかし目の前にいる真犯人は、涼しい顔で鼻を鳴らしていた。
「ふぅん。……今日は、あたたかいね。なぜだかわかるかい?」
「えっ? それは……もうすぐ、春だからでしょう?」
「その通りさ。春は新しい命が芽吹き、新たなる希望を与えてくれる素晴らしい季節。新しいことを始めるのにも、まさにピッタリの季節さ。しかし人々の心に生きる喜びを与え、彼らを駆り立てていることを、春は知らないのさ」
そしてヤツは、風のように両手を広げ……。
いけしゃあしゃあと、こう言ってのけたのだ……!
「ゼピュロスもおんなじさ。ゼピュロスは知らず知らずのうちにレディたちに希望を振りまき、レディたちはゼピュロスに対し、勝手に生きる喜びを見出す……。そしてゼピュロスのために、頼んでもいないことをはじめるのさ。ひとりひとりのレディがしてくれたことに、ゼピュロスが出向いていくなど……身体が春風にでもならないかぎりは不可能なのさ」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
風が吹いていた。
嵐とも呼べる、強い風が。
ハールバリーにある、『スラムドッグマート1号店』の前を掃き掃除していたオッサン。
今はその手を休め、通りの向こうから近づいてくる、台風の目を見据えている。
「……あっ!? 見て見て! ライドボーイ・ゼピュロス様よ!」
「えええっ!? なんでなんで!? なんでこんな所に!?」
「きゃぁぁぁぁぁぁぁーーーーーっ! ゼピュロスさまぁ!」
通りのど真ん中を進む人物に気づくと、女たちは老若を問わず黄色い悲鳴をあげた。
そして我先に近づいていくのだが、まるで途中で電池が切れたかのように腰砕けになり、ぱったりと倒れ込んでしまう。
ゼピュロスは、ウインクと投げキッス……。
そのふたつの武器だけでファンたちをいなし、ちぎっては投げしていたのだ……!
ゼピュロスの通った後は、まるで女性限定の細菌兵器がばらまかれたような光景になっていた。
「はぁぁぁぁんっ!? ゼピュロスさまぁぁぁ……!」
「素敵、素敵ですぅぅぅぅ……!」
「ああああんっ、行かないでぇぇぇ……!」
恍惚の表情で、ゾンビのように這いすがる女たちの群れ……。
その先頭に立ち、今なお被害者を増やし続けていたのは……。
スケコマシ無双……! 片想い製造機……!
恋の大漁旗を掲げた、イカ釣り漁船……!
ライドボーイ・ゼピュロスっ……!
そして……!
マオマオをあんな目に遭わせた、張本人っ……!!
『煉獄』ですべてを知ったオッサンの眼に、迷いはなかった。
眦が狼の鋭さを帯び、瞳の奥が色をなす。
それは誰も気づかないほどの、ほんのわずかな変化であった。
しかし、内で燃え盛っていた業火は、何よりも激しい。
そばで浮いていた天使と悪魔が震え上がり、無言で引っ込んでしまうほどに……!
ライドボーイ・ゼピュロスよ……!!
もはや貴様の有責カウンターは、ストップ高だ……!!
次回、オッサンvsゼピュロス…!?