101 最果ての想い 2
ヤードホックの山々には、かつては精霊信仰の村がいくつもあった。
しかし古代ハールバリーにおいては、政策として女神信仰が推進されていた。
古の王による弾圧で、それらの村はすべて滅亡してしまったという。
残骸や亡骸はすべて土に還り、今は深い森に覆われている。
精霊たちを祀っていた神殿は、とある事情により破壊こそは免れたものの……。
今やモンスターや冒険者によって蹂躙され、見る影もない。
その中のひとつに、ゴルドウルフは向かっていた。
覆い被さるような夜の帳、まとわりつくように茂る藪をかき分け、たどり着いたのは……。
月明かりの差し込む、ぽっかりと拓けた空間であった。
乾いた砂の大地と、サンドブロックで組み上げられたいくつもの柱が立ち並ぶ。
周囲は高壁のような緑に囲まれているというのに、そこだけは雑草どころか、苔ひとつ生えていない。
まるで砂漠が転移してきたような、異様な光景。
雄大なる鸚緑にも負けない、狡猾なる砂漠の狐が潜んでいるかのような、不気味な場所。
時の王すら退かせたその地に、オッサンは足を踏み入れた。
身体にかかっていた枝葉の抵抗感は消え去り、かわりに足が砂に絡まれる。
亡者に足首を掴まれ続けているような、不快な感覚。
振り払うように走り、そのまま砂の神殿へと突っ込んでいった。
地下に降りると、内部は月の光が染み込んでいるかのように、天井も壁もぼんやりと光って薄明るかった。
ここに夜に訪れたのは初めてのことだったが、光源が不要なのは助かる、とオッサンは思う。
なぜならば、ゴブリンは種類によっては夜行性で、夜目が利くタイプも存在する。
そんな彼らの巣の中を、ランプの明かりをつけて彷徨うのは、襲ってくださいと声高に叫んでいるようなものだからだ。
だが、ここに巣食っているゴブリンたちが夜行性でなければ、今は寝静まっているはず……。
オッサンは祈るような気持ちで、足音を殺して進んでいると、
「ヤッ! ハッ! アチョー!」
調子外れの金切り声が聴こえてきた。
……まさか戦闘中!?
オッサンは腰に携えていたショートソードを引き抜きながら砂を蹴り出す。
この遺跡の最深部であろう大広間に躍り込むと、
壁に大きな影を映しながら、ひとり暴れているマオマオがいた。
彼の周囲には、ゴブリン一匹いない。
まるで見えない敵と戦っているかのようだった。
「ああ、マオマオさん、無事だったんですね、よかった……!」
オッサンが安堵と共に駆け寄ると、マオマオは子猫のように飛び上がった。
「うわあ!? ゴブリン、ついに出たね!」
「待ってください、私はゴブリンではありません! ゴルドウルフという者です!」
「ゴブリンウルフ!?」
「違います! ゴルドウルフという人間です! 今朝、山頂近くにあるお店で会ったでしょう? ほら、覚えていませんか?」
オッサンがなだめるように言ってようやく、マオマオは構えを解いた。
「ああ、あの時の……。なんでこんな所にいるね?」
「ひとりでは危険ですから、私も遺跡に同行すると言ったでしょう? どうしてひとりで来てしまったんですか?」
「マオマオ、ひとり平気! ゴルドウルフさん、関係ないことね!」
「それはそうですけど……。でも、こんな所でなにをしていたんですか?」
「ゴブリン出るの、待てる!」
「そうだったんですか……。でもここにいるゴブリンは、どうやら夜行性ではないようです。朝になるまでは出てこないと思いますよ」
「なら、朝まで待つね!」
「こんな所で夜を過ごすのは危険です。しかも、ひとりでなんて……。もし見つかったら、集団で襲われてしまいますよ?」
「襲われるのを、待てる!」
「……襲われるのを待ってる!? って、どうして……!?」
「ゴルドウルフさん、関係ないことね! ゴルドウルフさんいると、ゴブリン出ないね! だから、帰るね!」
「そういうわけにはいきません。いくらマオマオさんが腕に自信があるとはいえ、ひとりでは無茶です。ゴブリンは狡猾なモンスターですから、寝込みを襲ってくるんです。私が見張りをしていますから……」
「いらないね! ますますゴブリン出なくなるね! マオマオ、ひとりがいちばんね!」
マオマオは「力ずくでも」という意味を込めているのか、威嚇する子猫のように再び構えをとる。
しかし、
「はっ……くしゅん!」 ……ぐぅ~。
かわいらしい音を、立て続けにふたつ鳴らしていた。
ゴルドウルフは「やっぱり……!」と言いながらリュックを降ろす。
「昼間はいいですけど、夜だとその格好では寒いでしょう。身体を温めるために演舞をしていたんですね。ペンションからガウンと毛布を持ってきたので、使ってください。それと薪もあるので、火をおこしましょう。温かい飲み物も用意します。お腹が空いているのであれば、サンドイッチと非常食もありますので……」
次々と床に、便利グッズを並べていくオッサン。
しかしそれらは、マオマオの蹴りによって散らされてしまった。
……バァーンッ!
「いらないね! マオマオ、ひとり平気ね! これが最後ね! マオマオ、ひとりにするね!」
「ま、待ってくださいマオマオさん! 落ち着いて、落ち着いてください……! なぜそんなに、ひとりでゴブリンと戦おうとするのですか!? せめて、せめてその理由だけでも、教えてもらえませんか……!?」
「……アチョーッ!!」
しかしその懇願すら、凶暴なニワトリのようないななきによって遮られてしまう。
オッサンはさんざん突っつきまわされ、あえなく遺跡から追い出されてしまった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
それからもオッサンは、定期的にマオマオの様子を見に、遺跡まで足を運んだ。
ゴブリンの巣に乗り込んで、殲滅するまでその場に駐留するというのは珍しいことではない。
しかし一人前の冒険者パーティならともかく、中学生くらいの子供がひとりでするにはあまりにも無謀。
オッサンは店を訪れた他の冒険者たちに、彼の手伝いを頼むことも考えた。
しかし依頼すら出ていないゴブリンの巣に、行きたがる者などいるはずもない。
そのうえマオマオ自身があの有様では、誰かを派遣したところで追い返されるのがオチだろう。
オッサンは彼の真意をさぐるべく、差し入れを続ける。
最近では、目が合うだけで追いかけられるようになってしまった。
だが幸い、置いてきた薪や食料は消費されていたので、寒さやひもじさは感じていないのだろうというのが救いだった。
オッサンはなるべく、夜遅くに彼の元を訪ねるようにしていた。
理由としては、ペンションの泊まり客が寝静まっていて、世話をする必要がないこと。
マオマオも寝ていれば、こっそりその側で、見張り番ができるということ。
さらに、もしマオマオが起きていたとしても、焚き火の炎が焚かれている。
焚き火の光や燃える音というのは、人の心を素直にするということを、オッサンは知っていた。
何度目かの訪問で、オッサンはついに少年の対面に座ることを許される。
そこから、今のオッサンの伝家の宝刀にもなっている『ホットココア』で、彼の心に少しずつ染み込んでいった。
そして……少年の口から、ついに引き出したのだ。
にわかには信じられない、驚愕の事実を……!
それは、悪魔が考えたとしか思えないような、恐るべき計画であった……!
次回、マオマオの目的が明らかに!