97 踏み越えられたモノ
「うわっ、くっせーなぁ」
「もうマジで死んでんじゃね?」
「そうであってくれると、帰れて楽なんだけどなー」
風穴に足を踏み入れた若者たちは、最初の一歩目から悪態をついていた。
穴は奥深いわけではなく、傾いた陽の光も差し込んでいる。
しかし壁や天井が煤で真っ黒になっているうえに、足元は陰になっていたので、足を踏み入れると暗闇の上で浮いているようだった。
底の見えない床を照らすため、松明に火をつけてかざす。
すると真っ黒い影が、ネチャネチャと湿った音とともに蠢いた。
「お、いたいた。おいオヤジぃ、いつまでそうしてんだよ」
「たまには出てきてくれねぇと、記事が書けねぇんだよ」
「あーあ、『伝説の販売員』の復活なんて、特ダネの宝庫だと思ってたのによぉ」
「まあいいじゃねぇかよ。『笑い』を提供してくれてんだからよ」
「このあいだ神木を切り倒そうとして、動物たちにやられてたの、アレ最高だったよなぁ!」
「鳥には突かれるし、リスには噛みつかれるし、シカの角で串刺しにされるし……」
「トドメはクマの一撃でドーンって! ギャハハハハハハハ!」
若者たちの笑い声だけが、暗闇の中で共鳴する。
それが彼らは気に入らなかったようだ。
「……おいオヤジ、聞いてんのかよ?」
「俺たちの言ってる意味、わかってるよなぁ?」
黒い固まりを踏みつけると、ブーツの裏にぐにゃりとした感触があった。
しかし応えはない。
「オヤジよぉ、テメーが外に出て、いろんなドジをやって死にかけねぇと、『笑い』にならねぇんだよっ!」
「こんな真写も撮れねぇところで、勝手に死にかけてんじゃねぇよっ! おらっ!」
……ガスッ! ドガッ!
蹴りつけると、黒い固まりは苦しそうに呻いた。
「オヤジさぁ、腹へって動けねぇんだろ?」
「このまんまじゃ記事になんねぇからさ、全誌合同で新しい企画を考えたんだよね」
そう言って若者のひとりが、担いでいた袋の封を開く。
さらなる悪臭が加わり、彼らは顔をしかめた。
……ドサドサドサっ!
ひっくり返した袋の中から残飯がこぼれ、黒い固まりの上に降り積もった。
「コレ、読者サンたちが送ってくれた食料」
「みーんなオヤジのこと大好きみたいだねぇ」
「そもそも伝説挑戦のルールじゃ、最初に持ち込んだ食べ物以外は自給自足だったけど……」
「いまじゃそんなの誰も覚えてないから、もういいかなと思って」
「でもさ、そのままあげたんじゃ、『笑い』にならないよね?」
「だから俺らでぜんぶ食べるか、腐らせるかしたあとで、オヤジにエサとしてあげようってことになったんだよねぇ」
「『伝説の販売員』とも呼ばれた導勇者が、残飯を食うのって超おもしろくね!?」
「これが新企画、『路地裏のグルメ』!」
「オヤジが野良犬みたいに這いつくばって、こう、ガツガツって……ギャハハハハハハ!」
……ガシッ!
不意に、若者たちの足首に、なにかがまとわりついた。
「ん? なんだぁ?」
「あっ、触んじゃねぇよオヤジ! 汚ぇじゃ……あぐうっ!?」
彼らの抗議は、まるで牛が引いているかのような力によって、強制中断させられる。
「なっ、なにすんだよっ! この野郎っ!」
「や、やめろっ! 引っ張るんじゃねぇっ!」
汚泥にまみれた床に押し倒された彼らが、最後に目にしたもの、それは……。
暗闇の中で、獣のようにギラつき輝く瞳……!
そして抉るような夕日を受け、浮かびあがる……。
古代に描かれた壁画のように、石斧じみた拳を振りかざす人影……!
その正体はライオン!?
それとも原始人……!?
否っ……!
殺意に我を忘れた、皆殺しオヤジであった……!
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
『ゴージャスマート ハールバリー本部』で恒例となった、ふたりだけのランチミーティング。
しかし今日の方面部長室には、いつもよりも大きめの丸テーブルが運び込まれている。
そして今日は珍しく、ジェノサイドロアーのほうから話題を切り出していた。
「……オヤジを取材してる記者が変わっただろう。それも全誌」
手持ち無沙汰な様子で窓を眺めていたデイクロラーであったが、好物の缶詰が開く音を聴いた猫のように反応する。
しかし瞳だけは見開くことはせず、細い糸目のままだった。
「へぇ、どこから聞いたの? この話題は僕ら記者の間でもトップシークレットなのに。さすが勇者様ともなると、情報についても潤ってるみたいだねぇ」
「ふぅ。誰かに聞いたわけじゃない。記事の文章や真写が、ほんのわずかだがいつもと違っていたからな。別人が書いたんだろうと思っただけだ」
「ちぇ、なーんだ。せっかくこのネタで、キミのソースをまた分けてもらおうと思ったのに」
「ふぅ、料理のソースが多めに欲しいのであれば、メイドが好みを聞きに来たときに頼めばよかっただろう」
「わかってないなぁ、キミから分けてもらうことに意味があるんじゃないか」
「ふぅ、わからないな。……そんなことよりも、気にならないのか? 白日を這う者として」
「もちろん、気にはなるよ。今すぐにでも、キミのオヤジさんがいる山に飛んでっちゃいたいくらい。でもさ、幼なじみのよしみがあるしね」
「ふぅ、そうやってウソをついてまで、俺に恩を売ろうとするな。お前はこれからさらに記者に死人が出ると読んでいるんだろう」
「うーん、さすがだね。ライバルは減るほうが、仕事がしやすくなるし……って、ボクのことはどうでもいいの。ボクがこうしてハールバリーにいるっていうのに、ロアーはなにもボクに『仕事』をくれないじゃないか。早くしないとボク、本当に山に行っちゃうよ?」
「ああ、今日はその『仕事』の話をするために来てもらったんだ。お前だけじゃなく、もうひとりにもな」
デイクロウラーは糸目の中にある瞳をわずかに動かして、ちろりと横目で空席を見る。
そして、うらめしそうにこぼした。
「だから今日にかぎってこんな大きなテーブルで、メイドに3人分を注文してたんだね。しかし遅いねぇ、そのモノも、料理のほうも」
……ガチャリ!
不意に方面室部長の扉が、大きく開かれた。
そこにポーズを決めて立っていたのは、すらりとした長身。
宝塚の男役のような、遠目からでもハッキリとわかる派手なメイクと、まばゆい白さの鎧。
まるで全身が宝石であるかのような、光り輝く美青年であった。
「ふぅ、ノックくらいしたらどうだ。それに遅刻だ」
ロアーがそうたしなめても、青年はどこ吹く風。
求愛するクジャクの羽根のような背中の飾りをしゅるりと撫でたあと、薔薇をちりばめてあるベルトから、白地の鎧に施された金細工をなぞる。
そしてもったいつけた動きで、白手袋の人差し指をピッと立てると、
「このゼピュロスがノックするのは、レディのハートだけさ……!」
殴られた跡のような、濃いアイシャドウの瞼でウインクした。
「それに、遅れたわけでもないさ。時の女神がこのゼピュロスに見とれてしまって、時計の針を早く進めすぎてしまっただけのことさ」
返す言葉もない、ジェノサイドロアーとデイクロウラー。
彼はそれすらも好意的に解釈する。
「やれやれ、このゼピュロスは、異性どころか同性をも惹きつけてしまう……。『嫌悪』というものを、このゼピュロスは辞書でしか知らないのさ……」
「いいから中に入れ」
前置きの溜息もない、ロアーのマジ突っ込みだった。
次回、このナル男の正体が明らかに…!