89 オッサンの最果て支店生活 4
ここ数日、ヤードホックの山々の上空は、古綿のような暗雲に覆われていた。
止まない雨は灰色のヴェールのように視界を覆い、足元をぬかるませ、人間にとっては最悪の状況に見舞われる。
しかし『最果て支店』に休みはない。
麓に届く一方的な仕入れ在庫は、天候など一切考慮してくれないからだ。
雨天の場合は荷物を預かってくれている集落の人たちが、気を利かせて荷物に覆いなどをかけてくれる。
しかし中身がわからない以上、野ざらしのままにしておくわけにはいかなかった。
オッサンは干し草で作った雨具に身を包むと、リアカーを押してログハウスを出発する。
深雪のような泥に車輪を取られながらも、なんとか麓までたどり着き、荷物をリアカーに移し替えた。
集落の家を一軒一軒回ってお礼を言ってから、再び山頂を目指す。
戻りはぬかるむ泥に加えて、川のようになった雨水が押し寄せてくる。
途中の崖道では、断崖から滝のように水が流れ落ちてきて、まるで激流の中を遡上しているかのような辛さだった。
普段の数倍の労力を強いられ、生命の危機に晒されながらもなんとか我が家の前までたどり着く。
もう今日の仕事はこれで終わりにしたい気分だったが、そうも言っていられない。
オッサンは濡れた身体を引きずるようにして家に入る。
玄関にあらかじめ準備しておいた、大きめのリュックを雨具の上から担いだ。
そしてひと息つくことすらせず、そのまま家を出る。
再び冷たい雨に打たれながら、今度は麓へ向かう道とは逆方向へと出発。
いつも行商をしている、洞窟や遺跡群のある山奥が次の目的である。
更に足場が悪くなるはずなので、リアカーは持っていかない。
いずれにせよ、この雨で山に分け入るなど、自殺行為に等しい。
岩場は濡れて滑りやすくなっているので転落の危険性があるし、何よりも視界が悪いせいで遭難の危険性も格段に上がるからだ。
オッサンは道中、冒険者が避難していそうな洞穴に立ち寄る。
中は無人か、それともクマ親子がいるだけなのを確認したあと、いつも行商している洞窟へと向かった。
雨の日は身体が濡れて体臭が消えるので、いつもよりモンスターをスルーするのは楽だった。
雨音が聞こえなくなるほどの深部まで到着すると、驚きの声たちが迎えてくれた。
「あっ!? ゴルドウルフさん!?」
「アンタまさか、こんな日にまで行商しに来たのか!?」
いくつかの冒険者パーティがたちがたむろしていたキャンプ地は、殺伐とした空気に包まれていた。
しかしオッサンが現れた途端、敵味方の垣根がなくなったかのようにワアッと集まってくる。
オッサンは自分の身体ほどもあるリュックを、どっかりと地面に降ろしながら答えた。
「いえ、今日はみなさんに差し入れを持ってきたんです」
「差し入れ?」
「はい、みなさんがこの雨で、洞窟の中から出られないだろうと思いまして」
そう言ってリュックから食料や薪を取り出すと、宝物を目にしたかのように歓喜の声が沸き起こる。
「た、助かったぁ!」
「まさかこんなに雨が降るとは思ってなかったから、食料が尽きる頃だったんだ!」
「薪もなくなりかけてたから、有り難い! これで寒さが凌げるよ!」
「……身体が冷えているのでしたら、こんなのもありますよ」
オッサンが手にしていたのは、飴色の液体が波打つ瓶。
それは冒険者たちにとっては、ポーション以上に命の源と呼ばれる……。
「「「「「酒だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーっ!!!!」」」」」
……冒険者たちは狩りに夢中で、天候が変わったことに気づいていなかった。
仕事を終えて外に出ようとした彼らの前に、洞窟の出口で立ちはだかったのは……。
滝の裏から見ているかような、どしゃぶりの雨であった。
雨の山を歩く危険性を知っていた彼らは、天候が回復するまで洞窟に籠もることを余儀なくされる。
しかし長期のキャンプを予定していたわけではなかったので、持参していた食料と薪も多くはない。
減っていく資材に、自然と心はささくれ立っていく。
……もし尽きてしまったら、他のパーティの備蓄を、殺してでも奪い取る……!
そんな考えが蔓延しはじめ、いよいよ極限の状態が訪れようとしていた。
しかしそこで、救いの手が……。
あのオッサンが、来てくれたのだ……!
一触即発だった暗い空気は、オッサンの笑顔でたちまち晴れていく。
これもオッサンが常日頃の行商で、冒険者たちと顔なじみになっていた成果である。
しかも酒まで持ってきてくれたとあれば、これはもう……!
彼らにとってもはや、オッサンの姿はこのように見えていた。
ちょっととぼけた顔で、ブランデーの入った小さな樽を首から提げ……。
身体は大きいのに、温厚な性格の……!
そう、山岳救助犬の、セントバーナードに……!
……オッサンは、雨の日には行商はしなかった。
しかし同じように洞窟をめぐり、冒険者たちを助けるために尽力していたのだ。
彼らの生き返ったような笑顔は、オッサンにとって何よりもの喜びであった。
そして同時に考えていた。
この笑顔を守るために、もっと自分にできることはないのだろうか、と……。
やがてその思いは成就する。
新たなる商法が芽吹き、ついには花開くこととなったのだ。
ホーンマックにある『ゴージャスマート』……。
その売上トップに昇り詰めるに至った、『伝説の販売』に……!
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
それは、雨が止んでから数日後のこと。
今度はずっと、晴れの日が続いていた時のことである。
ゴルドウルフはログハウスにあるテラス席に腰掛け、のんびりとひなたぼっこをしながら薬草を挽いていた。
すると、
「よぉ、ゴルドウルフさん!」
この『最果て支店』で、初めての自分以外の声を聞いた。
オッサンはハッと顔を上げ、坂道を登ってくる男の姿を認める。
小鳥でもリスでもない、初めての人間の来客……。
オッサンは嬉しくなって、いつも以上の0¥スマイルを浮かべた。
「……ああ、いらっしゃい! 『ゴージャスマート』へようこそ!」
「こんな山奥で店をやってるって聞いたときは、半信半疑だったが……まさか本当にだったとはなぁ!」
「はい。ここまでは迷わずに来られましたか?」
「ああ、道すがら案内板があったし、そして何よりも、アレがあったからな!」
男はそう答えながら、山頂のほうを指さした。
オッサンもつられて見上げたそこには、なんと……!
『 ゴ ー ジ ャ ス マ ー ト 』
映画の都さながらの、巨大な文字看板が……!
そう……。
オッサンはついに、店舗への誘引を開始したのだ……!
こんな山奥に冒険者の店があると聞かされたところで、立ち寄る冒険者などいない。
山の中で店を探すなどしたくないし、何よりも店があること自体、誰も信じないだろう。
そこでオッサンはまず、行商で冒険者の信頼を得ることにした。
彼らの顔なじみの店舗では受けられない丁寧なサービスをすることによって、まず行商人として顔を覚えてもらう。
それどころか雨の中でも助けに行って、とにかく冒険者たちに必要とされる存在になろうとしたのだ。
そして彼らと親しくなってから、店の宣伝をする。
そんな人物から、行商とは別に店もやっている事を教えられたら、彼らはどうするだろうか。
無名の『ゴージャスマート』なら、わざわざルートを変更してまで行く気にはならないが……。
あのオッサンがいる『ゴージャスマート』なら、次に素材集めで洞窟に行くときに、ついでに立ち寄ってやろうか……!
そう考えるのが、人情というものであろう。
オッサンは店舗の宣伝を解禁すると、山の麓にある集落に案内板を立てた。
冒険者たちがクエストのため洞窟や遺跡へ向かうには、必ずこの集落がスタート地点になるからだ。
誰もが最短距離でクエストの場所に向かうところを、ちょっと寄り道して『最果て支店』に足を向けてもらおうという作戦である。
これには集落の人々も全面的に協力してくれて、誰もが目にするほどの巨大看板を集落内に作ってくれた。
その看板の大きさにオッサンは感動し、触発される。
そして頂上に、さらなる目印となるサインを建てることを思いついたのだ。
そう……!
『ハリウッドサイン』ならぬ、『オッサンサイン』を……!
山の頂上に看板を立てる店舗など、前代未聞……!
この空前絶後な看板こそ、まさに『伝説の販売』だったのだ……!
次回、最果て支店生活、クライマックス!