85 オヤジの最果て支店生活 4
オヤジの最果て支店生活は、さながら拷問のような様相を呈していた。
『オヤジが重傷を負うまでは助けてはならない』というルールのせいで、オヤジは何度も生死の境をさまよった。
三途の川に片足を浸けたことでようやく、医療団からの治癒魔法がかけられ、死の淵から引きずり戻されるのだ。
しかし意識を取り戻したところで、そのあとのケアをしてくれるわけではない。
ふたたび放置され、天然の責苦が再開される。
これはもはや、地獄……!
地獄の伝説であった……!
常人であるならば、もう何度もギブアップ宣言をしていたことだろう。
それどころか、とっくの昔に正気を失っていたとしてもおかしくはない。
しかしオヤジはあきらめはしなかった。
麓に降りることがあっても、決して逃げようとはしなかったのだ。
彼はただ、淡々と繰り返す。
己の信じる、『暴言』を……!
なぜならば、『伝説の販売員』の地位を失うのが怖いという理由があった。
だが、それだけではなかった。
オヤジは、オヤジは……!
ハールバリーでひとり戦っている、息子のためにがんばっていたのだ……!
三兄弟の長男である、ジェノサイドロアー。
彼は幼少のころに母親を亡くしてから、心を閉ざしてしまった。
常に斜に構えたポーズをとるようになり、感情を背中で遮るかのように表に出すことはない。
たとえ家族の前であったとしても、喜怒哀楽を表に出すことはなくなってしまった。
たとえ愉快なことがあっても、彼の唇からこぼれるのは心の底からの笑みではない。
凍り付いた心から立ちのぼったような、冷たい吐息のみだった。
ダディは『最果て支店生活』の最中にそのことを思い出し、悔いるようになっていた。
母親が死んだ時に、奮い立たせるつもりで掛けた一言が、彼をこんなにしてしまったのではないかと。
……だからこそ、孤独なるこの地で気づいてしまったのだ。
そして最初は拒んでしまったものの、応えたくなってしまったのだ。
『オヤジ、俺たちは土地を奪われてしまったが、最果て支店のあった場所だけは残っている。これは逆にチャンスだと考えるべきだろう。オヤジはそこに単身乗り込んで、伝説の再現を果たすんだ……!』
永久凍土かと思われた心に、灯った小さな炎……。
永遠の吹雪のような瞳に、差したひとすじの陽……。
感情がこめられた息子の言葉は、何年かぶり……!
それにオヤジとして全力で、受け止めてやりたくなったのだ……!
だからこそ、若い記者や治療団のヤツらに呆れられても……。
死にかけて苦しんでいる様すら、笑われても……。
絶対に、あきらめないっ……!!
「俺はたとえ何度死にかけたって、あきらめねぇ……! いや、たとえ百回死んだとしても、ここに戻ってきて、伝説を達成してやるっ……! 俺が……この俺こそが……! 『伝説の販売員』だからだっ!! ゴルァァァァァァァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
それは涙ぐましい親子愛だったかもしれない。
ともすれば、過去の栄光にすがりつくみっともないオヤジの喜劇だったかもしれない。
しかしいずれにしても、決して孵ることのない、死んだ卵を温めているようなものであった。
なぜならば、取材をしている記者たちが……。
いや、読者たちが望んでいることではなかったからだ。
……仮に、現代に織田信長が蘇ったとしよう。
もしそうなったら、彼の動向に国民じゅうが注目することだろう。
そして彼に寄せられる期待というのは、果たして何だろうか?
それは『第六天魔王』とまで呼ばれた偉大なる武将が、文明に翻弄されてドジを繰り返すという、滑稽な姿などでは決してない。
戦国という修羅の時代を生き抜いてきた、豪放なやり方で……。
いまの世の中を、現代の人間ではとうてい不可能なやり方で変えていく、胸のすくような姿に違いないだろう……!
『伝説の販売員』であるジェノサイドダディも、同じことである。
彼は最果ての地で、人智を超えた販売方法で、信じられないほどの利益をあげ……。
ついには街へと進出し、なみいるライバル店の野良犬どものを、ばっさばっさと斬り捨てていくべき人物であり……。
崖から転落したり、激流に流されることなどもってのほか……。
ましてや鳥の芝居に引っかかってズタボロになっていく、カートゥーンアニメの猫のような姿を期待されているわけでは、決してないのだ……!
新聞も、最初はダディのことを好意的に扱い、少々のドジも書き方でフォローしてくれていた。
『伝説の販売員、ついに始動! 最初に手にしたのは、なんと金槌!』
『俺は誰の施しも受けねぇ! 華麗なる金槌さばきで、ふざけた小屋をブッ壊す!』
『伝説クイズの第1問、ジェノサイドダディ様が最初に手にするのは何か? の正解は「金槌」でした! すでに商人の間では、金槌を持ち歩くのがブームになっているようです!』
『崖から落ちても、へこたれない! 伝説をなしえた鋼のボディは、なおも健在!』
最初のうちは、読者たちもそれで喜んでいた。
久しぶりの現場復帰なのだから、失敗もあるだろう。
むしろ『伝説の販売員』と呼ばれた勇者様でも、我々と同じく最初は失敗するものだ。
……と、むしろ親しみがわいたような反応が多く見られた。
誰もが、このウォーミングアップがすめば、伝説はふたたび舞い降りると信じて疑わなかった。
これから伝説の生き証人になれるのだと、誰もが心躍らせながらこぞって新聞を買い求めた。
この話題には、普段新聞を読まない層も呼び寄せた。
ダディを尊敬する商人たちに至っては、記念になるとばかりに全紙を買い集めていたほどだ。
新聞が売れれば当然、報道のほうにも熱が入る。
『伝説の販売員は、暖のとりかたも桁外れ!?』
『全身に油を浴びて火を付けるとは、さすがは勇者様! これは誰にも真似できない!』
『伝説クイズの第4問、ジェノサイドダディ様が寒さをしのいだ方法は何か? の正解は「自分に火をつける」でした! これはさすがに正解者ゼロ! 予想は裏切り、期待は裏切らない男……それがジェノサイドダディ様っ!』
『燃える男のジェノサイドダディ様! 伝説の幕開けにふさわしい偉業!』
しかし、伝説の瞬間はいつまで経ってもやって来ない。
もうとっくに、遊びは終わってもいい頃合いであるというのに……。
ダディは超一流のヒーローになるどころか……。
相変わらず、三流以下の喜劇役者のまま……。
勢いだけで突っ走り、取材している側からも明らかな失敗を繰り返すばかり……!
『ジェノサイダディ様、ガラス瓶のポーションを運んでいるのも忘れて、箱を石で殴打するという痛恨のミス!』
『這いつくばってポーションをすするジェノサイドダディ様! しかし腐っていたようで、このお顔!』
『伝説クイズの第38問、ジェノサイドダディ様は初めて仕入れた商品をどうしたか? の正解は「開けようとして、ぜんぶ石で壊してしまった」でした! さすがのジェノサイドダディ様も、連日のトラブルでお疲れなのかもしれません!』
『激流に流され、助けを求めるジェノサイドダディ様! 実は泳ぎは苦手だった!?』
失敗をフォローするというのにも、限度というものがある。
『最果て支店生活』において、なにかひとつでも成し遂げていれば、その成功をピックアップすればよいのだが……。
ダディはやることなすことすべて失敗していたので、もう庇いようがなくなってしまったのだ。
それは何よりも、記者たちのモチベーションにも影響を与える。
そして彼らも気づくことになる。
『伝説の販売員』が活躍する日々、というよりも……。
ただ声がでかいだけのオヤジが、ただただドジを踏んで、七転八倒しているだけだということに……!。
すると、若き記者たちの取材対象を見る目も、どんどん変わっていく。
間接的にオヤジ狩りをしているような、残酷な論調に……!
『オヤジ、カエルに生まれ変わる! ぴょんぴょん跳ねて、今日もひとり遊び!』
『鳥にからかわれるオヤジ! とうとう脳までカエルに!?』
『爆笑オヤジクイズの第97問! 枝に刺さったオヤジは、このあと何秒生きられたでしょうか!? ヒントは、針に刺さったゴキブリ!』
……当初の栄華は、見る影もなかった。
新聞の一面からはすでに退き、片隅のミニコーナーになっていた。
もはや『伝説の販売員』は、『伝説のピエロ』として……。
四コマ漫画のごとく、人々にひと時の笑いを提供するだけの存在へと、成り下がっていたのだ……!
この事実は、国じゅうの人間すべてが知っていた。
今日も山奥で威勢のいい声を響かせる、ただひとりのオヤジを除いて。
「ジェノサイドロアーっ! 今日こそやるぞっ! 『伝説の販売』を……! 俺の背中、しっかり見てろや、ゴルァァァァァァァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」
次回、今度こそ本当の、最果て支店生活!