84 オヤジの最果て支店生活 3
オヤジは洗濯槽で回る洗濯物のように、滝壺の中でもまれていた。
水面に顔を出そうと必死にもがいてはいるが、浮いてきたところで強い流れに押し戻されて、再び水底に沈んでいく。
天然の水責めであった。
そして、その様子を滝の傍らで見つめている記者と医療団。
「この滝は流れが強くて滝壺も深いから、いちど落ちたら自力では絶対にあがれないって、麓の住人が言ってたな」
「死んでもずっと水底で揉まれ続けて、死体すら浮いてこないらしいぞ」
彼らは最初はオヤジの安否を気遣っていた。
しかしまるでオモチャのような滑稽な動きと、すがるような必死な表情のギャップに、ふと誰かが漏らす。
「……まるで、死にかけのガマガエルみたいだな」
そこから彼らは笑いをかみ殺すように肩を振るわせ、しかしとうとう我慢できなくなったように、腹を押さえてしゃがみこむほどに爆笑した。
オヤジはさんざん笑われたあと、ようやく助け出される。
青白い肌でぐったりしているところに、医療団は治癒魔法と気付け魔法だけをかけて、立ち去っていった。
その日の夜、オヤジは高熱でうなされた。
腐ったポーションを飲んでしまったことと、冷えきった身体の処置はされなかったため、風邪と腹痛に同時に見舞われてしまったのだ。
オヤジは混濁する意識の中で、蔑むように見下ろしている医療団の声を聞いていた。
「……このオヤジ、死にかけてばっかりじゃね?」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
伝説挑戦の際に持参していた非常食が尽きた。
ルールとしては『すべて自給自足』でなくてはならないので、オヤジは狩りをすることにする。
リュックに入れていた装備は濡れたあと手入れをしていなかったので、ぜんぶボロボロに錆びていた。
仕方なく、拾った棒きれを武器に森へと分け入るオヤジ。
この山にはウサギやリス、シカなどの動物がいる。
普段生活しているだけでも、もちらほらと見かけることがあるので、かなりの数がいるのだろう。
夜明け頃に雨が降っていたせいで、森の中はぬかるみ、あちこち水たまりができている。
水を飲みに来ているのか、いつもよりも動物の姿も多いようだった。
そのため、獲物もすぐに見つかる。
オヤジは入れ食いだとばかりに、
「ゴルァァァァァァァァァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」
蛮声とともに挑みかかっていく。
だが動物たちは、そもそも人間を警戒して近寄ろうとはしない。
そんな遠巻きにいる相手に向かって襲いかかったところで、追いつけるわけがない。
雄叫びだけは勇猛なのに、ぜんぜん捕まらない……。
その姿はさながら、マヌケなライオン……。
いや、自分をライオンだと思い込んでいる、愚鈍なイノシシさながらであった。
オヤジの『デス・ボイス』は、聞くものすべてを震え上がらせるほどの恐ろしさを持っている。
鼓膜を破るような声量と、心臓を押しつぶすような重低音があるのだ。
それをいちどでも耳にしたものは、次からはオヤジが息を吸い込むのを目にしただけで、ビクッと肩をすくめるほどのトラウマを植え付けられる。
取材していた記者たちも、当初は自分に向けられたものではない怒声にすら縮みあがっていた。
しかし……。
ゴルァゴルァと叫びながら、あっちへドスドス、こっちへドタドタ……。
ただいたずらに声とスタミナを浪費し、ひとりで勝手にへばっているオヤジの姿に、かつての威厳はまるでなかった。
記者たちはすっかりトラウマが消え去ったのか、
「あれなら原始人のほうがまだマシなんじゃね?」
と嘲りだす始末。
しかしオヤジはあきらめない。
そしてとうとう、脚を引きずっている鳥を見つけた。
「へへへ……覚悟しろや、ゴルァ! 今夜は鳥の丸焼きだっ、ゴルァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」
裂帛の気合いとともに、鳥めがけてダイブをかます。
しかし、鳥は手負いながらも羽根を羽ばたかせて逃れ、少し離れたところに着地した。
……ずべしゃっ! と大の字に地面に激突してしまうオヤジ。
ぬかるんでいたので、深く埋まってしまった。
しかしオヤジはくじけない。
素早く立ち上がると、身体の泥も拭わずに、
「逃げるんじゃねぇっ! ゴルァァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」
再び怒りのダイブを決行。
しかし鳥はまたしても飛び立ち、岩の上に止まった。
……ばっしゃーん! と泥だまりに突っ込んでしまうオヤジ。
素早く立ち上がろうとしたが、脚をとられてままならない。
氷の上にいるかのように、何度も何度も転んでしまう。
もう鳥は逃げおおせてもおかしくはなかったが、ずっと岩の上にいた。
ようやく立ち上がったオヤジは、再び……!
……ゴォーンッ!
今度は鳥がとまっていた岩に頭をぶつけてしまう。
額を押さえ、声もなく悶絶するオヤジ。
そのコントのような光景を、茂みの中から覗いていた記者たちは、もうみんな気づいていた。
あの鳥は怪我をしたフリをして、巣から外敵を遠ざける……。
『擬傷』をしているだけだということに……!
それなのにオヤジはいまだ気づかず、頭の足りないイノシシのように自爆特攻を繰り返し、ひとりでズタボロになっている。
またひとつ、オヤジの尊厳が剥がれた瞬間だった。
しかし当人は、記者どころか鳥にすらおちょくられていることを知らないまま。
「いい加減、往生せいや、ゴルァァァァァァァァァァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」
そして何度目かのアタックで、ついにやらかしてしまう。
ボディプレスの着地点には倒木があって、そこには剣のように突き出た枝が……!
……ドスゥゥゥゥッ……!!
腹を貫かれ、串刺しになってしまったオヤジ……!
「うぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーっ!?!? いでえいでえいでえっ!? たっ、助けて! 助けてぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
天然の、強制切腹……!
しかし助けはやって来ない。
近くの茂みには記者と医療団が控えているというのに、誰も飛び出そうとはしなかった。
彼らはすでに、オヤジの安否など気遣っていない。
まるで糸の絡まった操り人形のようなみっともない動きと、今にも死にそうなほどに歪んだ表情のギャップを楽しむかのように、ニヤニヤと笑うばかり。
「……ありゃ、はやにえのガマガエルだな!」
誰かがそう揶揄すると、あたりからどっと笑いがおこった。
次回、壊れゆく伝説…!