82 降り立つスラムドッグマート
「ああああんっ! もぉぉぉぉーーーっ! あの脳筋オヤジ! なんでこんな時にだけ、しゃしゃり出てくんのさぁーーーっ!」
筆頭大臣の呼び出しから解放されたポップコーンチェイサーは、王城の執務室でひとり大暴れしていた。
地団駄を踏み、ハンカチを噛みちぎり、机上のものを床にぶちまける。
片付けに来たメイドたちに向かって、置きっぱなしだった野良犬印のチョコレートを叩きつけた。
「そんなのあとでいいから、みんな出てってよ、もぉぉぉぉぉーーーっ! もうっ! もうっ! もうっ! あんのウンチ大臣! 戦うことしか能のない軍人あがりのクセして、このボクチンに指図するだなんて! んもぉぉぉぉぉぉぉーーーーーっ!!」
その脳筋扱いした上司、ロングランから理詰めで問い詰められ、ポップコーンチェイサーは『スラムドッグマート』の営業停止処分を撤回せざるを得なくなっていた。
ゆくゆくはロングランを追い越し、彼を『ごつごつしてて役立たずの椅子大臣』に任命するという野望を抱いていた青年にとっては、耐え難き屈辱である。
しかしいくら気に入らないといっても、今は上司からの命令……従わざるをえない。
「ポップコーンチェイサー殿、スラムドッグマートはお手本のような商店であります。清く正しく商売をしている彼らが、衛兵局の手違いで苦しめられているのであれば、それはすぐに正すべきであります。……よいですかな? ポップコーンチェイサー殿は筆頭大臣を目指しているようでありますが、このままでは『ふにゃふにゃしてて役立たずの椅子大臣』に降格せざるを得なくなるでありますよ?」
などと宣告されてしまっては、なおさら……!
「もおっ! もおっ! もおっ! んもぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーっ!!」
『衛兵局大臣』の執務室の前を通りかかると、その日は1日じゅう部屋の中から、狼に追われた牛のような悲鳴が聞こえてきたという。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
数日ぶりに『ゴージャスマート ハールバリー小国本部』を尋ねたデイクロウラー。
ディナーのメインディッシュである鴨肉のフィレを、ナイフとフォークで次々と切り分けている。
その様子を眺めていた対面のジェノサイドロアーは、嫌なことを思い出したかのように息を吐いた。
「ふぅ、相変わらず肉料理だけは、ぜんぶ切り分けてから食べるんだな」
「子供の頃からこうやって一緒に食事してたから、すっかりボクのクセを覚えちゃったみたいだね。スマートじゃないって言いたいの?」
「それ以前に、マナー違反だろう」
「そうなんだけど、最近気づいたんだよね。ボクって皿に残ったソースをパンに付けて食べるのが好きでしょ? 肉料理だとそれがいつもより美味しく感じたんだよね、なぜだかわかる?」
「ふぅ、切り分けておいた肉から、肉汁が染み出てソースと混ざるからだろう」
「ご名答。それが分かってから、やめられなくなっちゃって。……あ、そうだ、そんなことよりも、スラムドッグマートの営業停止処分が、解除されるかもしれないんだって?」
「耳が早いな。だが『されるかもしれない』ではなくて、『される』だろうな」
「衛兵局のほうで、開業を管理してる課の担当者が何人か処分されたってのを聞いたんだよ。あの大臣さん、責任をぜんぶ部下になすりつけたらしいね」
「ふぅ、そのくらいしぶとくなくては困るがな。しかし、まさか筆頭大臣が動くとは想定外だったよ」
「まさか納税したのがキッカケになるだなんて、思わないよねぇ。でもスラムドッグマートが来ちゃったときのことは、考えてあるんでしょ?」
「ああ。スラムドッグマートが行商を始めてから、ゴージャスマートの商品で売上が下がったものを調べていたんだが……。そのおかげで、ヤツらの次の狙いがわかったよ」
「ふぅん、じゃあいよいよ、本格的にやるってワケだね」
「……そうだ。また、お前の力を貸してくれ」
「いいけど、ひとつお願いがあるかなぁ」
「ふぅ、なんだ?」
「その皿に残ったソース、ちょうだい」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
長きにわたってハールバリー領の『スラムドッグマート』に下されていた営業停止処分。
その解除通知が、ついにゴルドウルフの手元に届いた。
これにはオッサンをはじめ、関係者一同、そして常連客も大喜び。
それどころか、『走るスラムドッグマート』で新たについた客たちも、ハールバリー1号店に集まって祝福してくれた。
しかしそんな中、ひとりだけ自省の念に押しつぶされそうな者がいた。
同店を陰から支えている、あの少女である。
「ひくっ! すみませんっ、おじさま……! わたしのせいで……! ひっく! わたしが至らないばかりに、開店までこんなに時間がかってしまって……ぐすっ!」
鼻に掛かった声音と、肩の震えとともにしゃくりあげる言葉。
かろうじて落涙だけは堪えているものの、水没したような瞳で見上げるプリムラ。
聖少女の悲しみに周囲は心を打たれ、静まりかえる。
しかし水面に映り込んでいたオッサンだけは、彼女のわずかな変化を察していた。
前傾姿勢になり、膝をかくんと曲げようとしたプリムラを先回りするように抱きとめる。
少女はなんと、謝罪のために跪こうとしていたのだ……!
聖女が膝を折って良い相手は、女神と、そして一生をかけて仕えると決めた勇者だけ。
『聖意』と呼ばれる、彼女たちにとっての最大級の意思表示……。
敬意、尊意、謝意……そして無限の好意が込められた行為を、ただのオッサンに捧げようとしていたのだ……!
ゴルドウルフはプリムラをひっしと捕まえる。
大勢の見ている前で、将来のある聖女にそんなことをさせてはならないと思ったからだ。
しかしそれがはからずとも、彼女を胸に抱く結果となってしまった。
「お……おじさま?」
立ちのぼる、みずみずしい肌の匂い。
それは、彼女に憧れる男どもの誰もが知りたくてたまらなくて、しかし決して知ることのできないもの。
異性のなかでは、添い寝をしたことがあるオッサンだけが知っている、秘密の薫香である。
「……プリムラさんは悪くありませんよ。むしろ、よくやってくれました。ありがとうございます」
そして顔を上げた少女の、はらはらと落ちるものを目にしていたのも、彼女を包み込んでいたオッサンだけであった。
「おじさまっ……! おじさまぁ! ……うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーっ!」
厚い胸板に顔を埋め、少女は決壊する。
オッサンはただ黙って、彼女が泣き止むまで、ずっと頭を撫で続けていた。
……姫の涙は、ひとつぶで千の兵士を奮い立たせるという。
この日、プリムラが流した涙は、多くの野良犬たちを鼓舞した。
スラムドッグマート、王都ハールバリーにおいて、進撃開始っ……!
いよいよ、『伝説の販売』が本格的に始動するっ……!!
……始動するっ……!。
…………するっ……!。
………………る……!
と、その前に……。
もうひとつの『伝説』の様子を、見てみようではないか……!
ちなみに聖女は『癒し』の祈りを捧げるときに対象に跪きますが、あれは対象に跪いているわけではなく、女神に対して跪いています。