80 シメるスラムドッグマート
剣術を嗜む人たちの中で、いちばん弱い者は誰だかわかりますか?
始めたばかりの初心者? 力のない女性? 知識の少ない子供?
どれも違います。
いちばん弱い者、それは……。
それは『二つ名』を与えられた者です。
二つ名というのを、強さの証だと思ってはいけません。
その者がどんな武器を得意とし、どんな攻撃をしかけてくるのかを、ひけらかした名札でしかないのです。
剣における一対一の戦いというのは、相手により多くの『情報』を与えた時点で終わりです。
相手はあなたの『情報』を元に、あなたの最大の一撃を誘い、そこに最大の一撃をぶつけてくるでしょう。
それには決して迷いがなく、そして二撃目もありません。
もしあなたが、『二つ名』を持つ相手と剣を交えることになったら、その『二つ名』を避けてはいけません。
むしろ相手の得意分野を誘い、そこから意表を突く攻撃を仕掛けるのです。
『二つ名』を持つ者は、重石を持つ者……。
しかしその重石を恐れてしまっては、さらなる弱者になってしまうことを忘れないでください。
……これは、少女に向けられた『教え』ではない。
大人たち、それもかなりの使い手を対象にした教室に、彼女が紛れ込んだ時のものだ。
いつもと違う教室の机と椅子は、まだ子供である少女にとってはだいぶ高かった。
しかし、いつもと違う授業内容は刺激的で、彼女は瞳をキラキラ、耳はピンピン、しっぽはフリフリ、届かない足はパタパタさせて聞き入っていた。
『野良犬剣法』は講師であるオッサンが過酷な環境を生き抜いてきたノウハウを元に作られたものなので、上級者向けになればなるほど手段を選ばなくなる。
戦う前の相手に騙すことも、不意をついて砂をかけることもいとわない。
なぜならば野良犬にとって、『誇り高く勝つ』ことなど無意味。
這いつくばっても、泥水をすすっても、千人の敵兵たちに囲まれて嘲笑されても、『生き延びる』ことこそが至上だからだ。
そして大人向けの授業ともなると、危険な手法も多分に含まれる。
子供が真似をすると困るので、講師は少女を教室から退出させようとした。
しかし、彼女は他の生徒の誰よりも熱心だったので、その気持ちに折れざるをえなかった。
「仕方ありませんね。でも、黙って授業を受けるのは良くありません。次からはちゃんと出席の挨拶をしてくださいね」
……シャルルンロットの頭の中では、そんな低いトーンの静かな声が響いていた。
つばぜり合いに乗ると見せかけて、走って勢いをつけたうえに、飛びあがって全体重をかけたドロップキックをカマした我らがお嬢様。
ストップモーションのように、ゆっくりと時は流れている。
勝負の決した瞬間を、これでもかと周りに見せつけながら。
お嬢様の流線型のブーツは、さながら世界最速のスポーツカーのよう。
『呪いの像』の顔面は、その車に突っ込まれたコンビニのようにひしゃげていた。
巨木じみていた身体は、すでに風前の灯火。
暴風になぎ倒されるように、
ズズゥゥゥゥゥゥゥゥーーーーーーーーンッ!!
土煙を巻き上げながら、地に伏した。
直後、水を打ったように静まりかえる。
観客はひしめき合うほどにいるというのに、我が目を疑うような結果に、誰もが言葉を失っていた。
番長の顔面はすでに血まみれ。
鼻は折れた枝のようにポッキリと曲がっていた。
「……しゃっ、しゃぁぁぁっ! しゃぁぁぁぁーーーっ! は、鼻がっ、鼻がぁぁぁっ!」
軋んだ呻きとともに身体をよじらせるその様は、悪夢にうなされているかのようであった。
彼の胸に重石のごとく腰掛けるお嬢様は、汗ひとつない額に手を当て、軽やかに前髪をすき上げている。
「こんなに早く寝るだなんて、老けてるのは見た目だけじゃないのね」
「しゃ……しゃあっ! 汚ぇぞ、てめぇっ……!」
「身も心もアンタよりはずっと綺麗よ。今はもちろん、この先もずっとね。老眼鏡したほうがいいんじゃないの?」
「シャークっ! つばぜり合いすると言っておきながら蹴ってくるだなんて、それでも騎士かよ!?」
「は? 何言ってんのアンタ。アタシがいつ、つばぜり合いするなんて言ったかしら?」
「お……! 折れるもんなら折ってみろとか、剣の強さを試したいとか言ってたじゃねぇか!」
「男のクセしてつまんないこと覚えてんのねぇ。じゃあホラ、これでいいでしょ」
お嬢様は手にしていた剣を、手の中でクルリと逆刃に持ち直す。
そして血まみれの顔面めがけて、
……ドスッ!
何のためらいもなく、突き立てたっ……!
絶命する鮫の尾のように、四肢がひときわ大きく、ビクンと跳ねるっ……!
「しゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーっ!?!?」「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーっ!?!?」
これにはやられた本人どころか、沈黙を守っていた観衆たちも一斉に悲鳴をあげた。
しかし剣は番長の顔スレスレ、耳を削ぎ落とすギリギリの場所に刺さっている。
直後、
パキィィィィィィィィィーーーーーーーーーーーンッ!!
甲高く、澄んだ音色がキャンパスじゅうに鳴り渡った。
「やっぱり剣のほうも、持ち主と同じで口ほどにもなかったわね」
あっさりそう言って立ち上がるお嬢様。
彼女は番長の下敷きになっていた、コバンザメのようなソードブレイカーに剣を突きたて、真っ二つにへし折っていたのだ。
ショックのあまり泡を吹き始めている『歩く鮫』に向かって、
「じゃあね、『溺れる鮫』。アタシたちはこのあたりの学校で『行商』してるから、目が覚めたらちゃんと買いにきなさいよね」
最後の言葉をかけたあと、優雅な足取りで仲間たちの元に戻った。
「終わったわよ」
「ご苦労のん」
そこには、いつもと変わらぬ様子で迎えてくれる赤ずきんちゃん。
そしてなぜか、目をグルグル回して気絶しているメガネっ娘も。
「ってグラスパリーン、なんでアンタまで泡吹いてんのよ」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
『走るスラムドッグマート』、もうひとつの成功事例……。
それは、『番長狩り』……!
わんわん騎士団は勇者学校や上級職学校に乗り込んでいき、そこで一番強い生徒と手合わせを行ったのだ。
基本的には教師立ち会いの元だったが、時には殴り込み同然に。
特に勇者学校の教師である導勇者は、喧嘩になっても止めることなどしなかった。
「あんな犬の格好をした変なガキに、うちの生徒が負けるわけがない」と、ニヤニヤしながら何もせずに見ていたのだ。
しかしその予想とは裏腹に、逆にボコられる。
すると生徒を見捨て、青ざめた顔のままどこかへ行ってしまう。
そう……!
勝った場合は「この子は私が指導していた生徒です!」と自分の手柄にできるのだが、負けた場合は問題視される可能性がある……!
勇者が騎士に、それも生徒がやられている場に教師が居合わせていたことがわかったら、その矛先が自分に向きかねない。
そのため誰もが、負けたら知らんぷりをするのだ……!
シャルルンロットは常勝無敗だったので、試合でも喧嘩でも事実上、邪魔をする者はいなかった。
名実ともに高飛車と化したお嬢様の、破竹の勢いは止まらない。
「……そんなことよりも、俺様のハーレムに入ったらどうだ! 特にその眼鏡が気に入ったから、痛めつけるのだけは勘弁してやろう! 『歩く鮫』に苦戦する程度では、俺とは勝負にならんからな! アレは我が四天王でも最弱しゃちぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
「お前が『歩く鯱』を倒した女か! 噂どおりのいい女ではないか! 俺様のハーレムにちょうどいい! 特にそこのふわふわ髪の眼鏡を俺様の妻にするそぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーーーーーーどっ!?!?」
「まさか俺以外の全員を倒すとはな! だがこの四天王最強の『歩く鯨』に勝てると思うなよ! その眼鏡ほぉぇぇるぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
わんわん騎士団のリーダーはほんの数日で、近隣の小学校を統率している番長四人をぶちのめし、担当地域をシメ直したのだ……!
これはあくまで小学生どうしのイザコザなので事件や新聞沙汰などにはならなかったが、子供たちのネットワークで噂は駆け巡った。
すると、どうだろう……!
「あっ! あれが『走るスラムドッグマート』!?」
「このあたりをシメてる女番長のシャルルンロットさんも、あの店の武器を使ってるんだって! っていうかシャルルンロットさんがそう言いながら売ってた!」
「なるほど、シャルルンロットさんは小柄なのにあんなに強いのは、武器のおかげか!」
「すごいんだよ、パパ、あの店の剣! 勇者が持ってるゴージャスマートの剣を、バキーンって折っちゃうくらい強いんだよ! だからボクにも買って!」
小学生の間で、手にするだけで強くなれるという口コミが広まった。
まるで、履くだけで速く走れるようになる靴のように……!
子供たちは街で野良犬印の馬車を見かけると、こぞって追いかける。
そして親にねだったお金で、または自分でコツコツためたお小遣いで、野良犬の武器を買い求めるようになったのだ……!
お嬢様の喧嘩列伝は、長くなりそうだったので省略しました。