71 イレギュラー・ドッグ
今回は長期戦になると、オッサンは言った。
そしてそれは、さらに続くのだが……。
途中オッサンにとって、ひとつだけイレギュラーなことと、そして手痛い出費があった。
『手痛い出費』のほうはすでに明らかになっているので、今回は『イレギュラー』な出来事について触れてみよう。
事の始まりは、オッサンがいつも仕事で使っている事務机のうえに、輪っかが置かれたことから始まった。
最初はひとつだったのだが、それは日に日に増えていき……机の上を埋め尽くすほどになる。
これでは仕事ができないので、オッサンは当然のように片しているのだが……しばらくすると、また元の位置に戻る。
輪っかは黒革に鋲が打たれたものや、白いレース編みで飾られたもの、金細工で騎士の紋章が彫り込まれたもの、様々であった。
しかしどれもどう見ても人間用のチョーカーではなく、犬用の首輪……。
オッサンの秘書であるプリムラは、
「あっ、それではお仕事ができませんよね。お片付けさせていただいても、よろしい……よろ……よろしいですかワン?」
不自然な緊張と語尾で、白いレース編みの首輪だけを机に残そうとする。
しかし真面目な彼女は自分ひとりだけ抜け駆けするのは良くないと思っているのか、他の首輪もきちんと揃えて並べ直していた。
そして期待と恥じらいに満ちた瞳で、ちらっと上目遣い。
クセのないさらさらのロングヘアの頂点には、どう見ても犬のような三角お耳がついたカチューシャ。
流れるような髪にそって視線を落としていくと、腰の横から、ふさふさのシッポが見え隠れ。
このふたつのアクセサリーは、例の大聖女が企画立案した『ワンちゃんなりきりグッズ』である。
装着者の魔力をエネルギーにし、装着者の感情にあわせて動くという。
ようはマジック・アイテムなのだが、こんなに実用性のない魔法のアイテムも珍しい。
壮大な魔力の無駄遣いでしかないが、いまのプリムラのシッポはさらに魔力を浪費している。
遊んでほしい犬のソレのように、せわしなくパタパタと揺れていた。
「きゅ……きゅぅん……」
寂しそうな鳴き真似をしたあと、発火したように顔を真っ赤にしている。
可愛いひとり芝居であったが……オッサンにとっては、もはや奇行でしかない。
「あの……プリムラさん、新聞に書いてあることを、あまり鵜呑みにしないでくださいね。私は店の様子を見てきます」
それだけ言って、部屋を出るオッサン。
すると廊下に、3匹の仔犬がいた。
『ひろってください』と書かれた箱の中で、身を寄せ合っている。
「アタシは別に、拾って欲しいだなんて思ってないワン。まあどうしてもって言うなら、抱っこくらいはさせてあげてもいいワン」
プイとそっぽを向いているツインテール犬。
冷ややかでツンとした言葉とは裏腹に、シッポはバタバタと暴れている。
「ワンワンのん、ワンワンのん」
真顔で吠え続ける、寝ぼけ眼犬。
催眠術を掛けているかのように、ユラユラと妖しく揺れるシッポ、そして語尾がかなりおかしなことになっている。
「わっ、わんわん……お、おなかが空いたワン……拾ってくれると、嬉しいワン。きゅ、きゅーんきゅーん」
耳もシッポもしおれている眼鏡犬。
下手くそな鳴き声をあげた瞬間、同時にお腹もキューンと鳴る。
腹の虫のほうが、よほど名演技であった。
「グラスパリーン先生、空腹なのでしたらマザーのお弁当が事務所にありますから、それをどうぞ」
オッサンは事務的にアドバイスをすると、そそくさと廊下をあとにする。
すると箱にニュッと脚が生え、こそこそと後をついてきた。
オッサンが店に顔を出すと、
「わんわん、わんわーんっ!」
飼い主の帰りを待ちわびている犬のように、後先考えずに飛びかかってくる人影が。
オッサンはその正体を熟知しているので、まともに相手をしたら身体が持たないことも知っている。
かといって受け止めないと、そのまま大の字で地面に激突するので、真っ先に触れるはずの胸だけを器用にかわして彼女を抱きとめた。
「わんわんでうー!」
連携攻撃のように、彼女の背後から赤ちゃん犬が這い出てきて、顔にピタッと張り付く。
今回の件のインフルエンサーである大聖女と、その妹である。
ふたりとも耳をピーンとおっ立て、しっぽをちぎれそうなくらいに振り回している。
マザードッグは人目もはばからずに、オッサンにぐりぐりと頭を押しつけてくると、
「ご主人たま、また売れたワン! ほめてほめてワン!」
いかにも撫でてほしそうに、顔をニュッと突き出してくる。
頭でも顎でも、ワシャワシャの撫でくりまわしでもバッチ来いの表情で。
しかし、いくらおふざけでも大聖女を撫でるわけにはいかない。
「そうですか、すごいですね。でもあまり無理はしないでくださいね」
オッサンは口頭で片付けた。
ジェノサイドファミリーとの抗争では、先手先手に立っているオッサン。
もはやわからないことなどなさそうな彼であるが、こればかりは理解不能だった。
なぜ女性陣は新聞のゴシップ記事を鵜呑みにしているのか。
なぜ急に犬のまねごとなどを始めたのか。
いや、それらはまだいい。
彼女たちはかつて、神聖日の時に鹿の扮装をしていたのだから、コスプレのキッカケが欲しかったのだと考えればまだ納得ができる。
しかし……しかしなぜ……。
それでなぜ、売上が急増するのか……!?
まず最初に、リインカーネーションがワンワンしはじめた。
つぎに、彼女の妹たちや小学生トリオに伝播。
飛蚊のように飛び回る天使や悪魔も、いつのまにかワンワン仕様に。
ついには一輪の花を中心に、花畑が広がるように……。
女性店員たちも真似しはじめて、とうとう最後は男性店員まで……!
『スラムドッグマート』は文字通り、野良犬の店になってしまったのだ……!
店のマニュアルにある店員の服装規定を守っているのであれば、多少のアクセサリーであればゴルドウルフとしても黙認している。
しかしこの犬の付け耳とシッポが客から不評なのであれば、たとえサービス精神から来るものであっても、オーナーの立場としてはやめさせざるを得ない。
しかし、好評……!
しかも、大がつくほどの……!
千里眼のような先見を持つ彼でも、こればかりは予測不可能であった。
さらに、彼の驚きはこれだけでは終わらない。
この一件がキッカケで、『ゴルちゃんと~』シリーズのチケットが、新シーズンに突入することに……。
そして後の同店に、多大なる影響をもたらすことに……。
捨て犬に囲まれたオッサンは、まだ気づいていなかったのだ……!
次回からまた、オッサンのターンに戻ります。