66 オッサン流の反撃
どこもかしこも白くぼんやりと光っている空間のなかに、オッサンはいた。
そこは初めて来た庶民には目移りするような場所であったが、オッサンは前にいる人物と向き合ったまま。
付き添いの見えない妖精たちは豪華な調度品よりも、カーペットの他とはほんの少しだけ違う毛並みに興味津々。
『綺麗に整えられているようですが、ここだけほんの僅かに不自然ですね』
『クンクン、血のニオイがするよ』
『完全に拭き取ったつもりなのでしょうけど、血液反応はしっかり残っています』
『誰の血かなぁ?』
『以前調べたジェノサイドファングさんに近いですね。あの一家で憲兵局大臣と通じているのはジェノサイドダディさんですので、彼の血で間違いなさそうです』
『ダディはなんで、こんなところで血を出したの?』
『カーペットの繊維にダディの血以外の体液が染みついていました。形状からいって、ここで土下座していたようです。汗の成分からして恐怖よりも憎悪を感じていたようですから、目の前にいる方に、酷くイジメられでもしたのではないでしょうか』
ルクの分析は見事であったが、『目の前にいる方』は知るよしもない。
エナメルホワイトのソファにふんぞり返り、偉そうに脚を組んでいる。
その若者は品定めをするように、オッサンの整えられたオールバックから、磨かれた靴のつま先までもを眺め回し、切り出した。
「えーっと、名前なんていうんだっけ、オッサン?」
「ゴルドウルフ・スラムドッグです」
「ふぅーん、ゴルドウルフさんがあの『スラムドッグマート』のオーナーさんなんだぁ。あの問題の多い、『スラムドッグマート』の」
「私たちはルタンベスタ領でもトルクルム領でも、決まりを守って商売をしてきました。いったいなにが問題だというのですか?」
「そんなことよりもさぁ、ボクチンって、チョコレートが大好きなんだよねぇ、あまーいあまーいチョコレートが。チョコレートってさぁ、独り占めしてぜーんぶ食べるのもいいけど、半分こして食べると、もっとおいしいんだよねぇ」
「……営業許可が欲しければ、ハールバリー領での売上の50%をよこせ……そう言いたいのですね?」
衛兵局大臣である、ポップコーンチェイサー。
彼はある日、開業停止処分が続いている『スラムドッグマート』のオーナーを呼び出した。
その目的は……開業停止処分の解除のかわりに、売上を上納させることであった。
そう、彼はジェノサイドダディに恩を売るだけでなく、自分の私腹をさらに肥やそうとしていたのだ……!
「そんなこと言ってないよぉ、お金を寄越せなんて誰が言ったのぉ? あぁ、怖い怖い。ただボクチンはさぁ、あまーいチョコレートを半分こしよ、って言ってるだけなのにぃ」
この青年……ただのボンボンに見えて、なかなか抜け目がない。
自分の口からは決して、賄賂の要求はしなかった。
あくまで『黄金色のチョコレート』を、はんぶんこ……!
ここでオッサンが返せる答えは、「Yes」しかないように思われた。
でなければ、このハールバリー領での開業許可は、一生かかっても下りることはない。
「No」と言ってしまえば、それだけでジェノサイドロアーとの戦いは、終わり……。
リングに上がる前に、不戦敗となってしまうのからだ……!
ポップコーンチェイサーもそのことを知っているのか、弾けた毛先を弄びながらニンマリしている。
しかしオッサンの口から飛び出したのは、彼が全く予想もしていないことだった。
「……はんぶんこで、いいんですか?」
「は?」
「ぜんぶ、あげますよ」
「は……?」
オッサンの申し出は、まさかの100%……!?
青年は虚を突かれ、あっけに取られてしまう。
「い、いいの? マジで……?」
「はい、私は最初からそのつもりでしたから」
青年の瞳が期待に満ちるのを確認してから、オッサンは上着の内ポケットから何かを取り出した。
「どうぞ、お納めください」
トン、とテーブルに置かれたもの、それは……。
紫色のシルクの布に包まれた、分厚い束……!
「ず……ずいぶん話が早いね! ボクチンが年下だからって、最初は見くびるオッサンが多いんだけどさぁ。こんなに頭の柔らかいオッサンは初めてだよ!」
まさかいきなり現生が出てくるとは……!
青年の期待は、さらに嬉しい驚きへと上り詰める。
「あははっ! いいよいいよ! ゴルドウルフさん、すごくいいっ! これからも仲良くしようね、あはははっ!」
いそいそと包みを解いてみると、金色の光があふれ出す。
もはや絶頂ともいえる喜びを感じている、彼の前に現れたのは……。
「あははっ……! は……は……? 何、コレ」
それは、野良犬のとぼけた顔。
銀紙ならぬ金紙に包まれた、野良犬印の板チョコであった。
「こちらは、いま私の店で試験的に販売しているものです。金紙のやつはミルクチョコレートで、1枚150¥と少しお高いのですが、お近づきの印としてどうぞ。ちなみにスラムドッグスクールの生徒さんには、オヤツとして1日1枚無料で差し上げています。甘いものは脳にいいと言いますからね」
さらに余談になるが、スラムドッグマートは小学生だと月謝は3000¥なので、20日授業を受ければチョコレートだけで元が取れるようになっている。
「は……はぁ……」
すっかり毒気を抜かれ、呆然としているポップコーンチェイサー。
彼がこのあと激怒するのは目に見えていたが、それよりも早くオッサンは、さらに意表を突く発言で機先を制する。
「これが私の答えです。それでも売上が欲しいというのであれば、然るべきところから取ることをお勧めします」
「然るべき、ところ……?」
「そうです。ポップコーンチェイサーさんは若いからご存じないと思いますが、このハールバリーには、せっかく能ある爪を持っているのに、ひた隠しにしているライオンがいるのです」
「能ある爪を隠している、ライオン……?」
怒ることも忘れ、若き権力者はさらなる言葉に耳を傾ける。
すでに彼は、オッサンの話術に取り込まれていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
次の日、『ゴージャスマート ハールバリー本部』は、あの事件以来の喧噪に包まれていた。
本部の前の通りに山積みになった木箱を、報道陣が取り囲んでいる。
その様子を本部長室で、苦々しく見下ろしていたジェノサイドダディ。
背後の扉が勢いよく開いた。
「あれはどういうことなんだ、オヤジ」
明らかに責めている息子の言葉に、父親は鬼の形相で振り返る。
「それは俺が聞きてぇよ、ゴルァァァ!! ポップコーンチェイサーの野郎が、いきなり送りつけてきやがったんだ!!」
「ふぅ、あの在庫の山は、大臣の発注だったのか。大臣は上納金が減っていたのが、よほど嫌になったらしいな」
「そうだ! あのボンクラが、どうやって知恵をつけたのか知らねぇが、みかじめ料みたいなことを始めやがった……! 伝書に書いてあったぜ、『伝説の販売員』なら、全部売りさばけるだろう、って……! あのガキ、俺が『伝説の販売員』だなんて、今まで知らなかったクセして……! チクショウ! どこのどいつが吹き込みやがったんだ!?」
「そんなことよりもオヤジ、あの在庫をどうするつもりなんだ? 中身はぜんぶ『バトルアクス』で、5000本もあるんだぞ。このハールバリー領でバトルアクスなんて、50本……いや、5本売れればいいほうだ」
……ゴージャスマートのハールバリー本部に届けられた、バトルアクス5000本。
それは飲食店などに卸される、おしぼりと同じ……!
売りつけてきた相手が大臣なので、拒否できるはずもない……!
そしてこの品目と仕入数に、覚えはないだろうか。
かつてトルクルム領にあった、『ゴージャスマート 最果て支店』。
そこが初めて仕入れた品物は、バトルアクス、500本……。
もう、おわかりだろう。
そう……!
オッサンは大臣をたきつけて、かつての誤発注をやり返していたのだ……!
それも倍返しどころか、10倍返しにして……!
しかもこれは、ほんの挨拶程度に過ぎない。
なぜならば、オッサンがかつて受けた誤発注は、人里離れた地という点を勘案しても、10倍返し程度では利子にすらならない。
そう……そうなのだ……!
今……今まさに……!
狼の反撃の遠吠えが、王国に響き渡ろうとしていたのだ……!
次回、オッサンのターン!