63 血と金
書斎机の隣にしつらえられた食卓には、高級ホテルさながらの朝食が並べられていた。
きっちりと紡錘状に形を整えられたオムレツと、澄み切った飴色をたたえるスープ。
籠に盛られた艶のあるロールパンと、色とりどりの温野菜サラダ。
どれも焼きたて、できたての湯気をたてており、今まさに食べ頃。
しかし食卓に座っている青年は、それらには目もくれず、鬱屈とした曇り空が覆う窓の外を眺めていた。
『……母さん』
彼のその言葉は、声にはならなかった。
しかし唇だけは、たしかにそう動いていた。
『母さん……』
……。
…………。
………………。
その花壇は、屋敷の裏側の日陰に、倉庫とともにあった。
表にある庭は光にあふれ、広々としているのに。
それでも、そこに座る女性は満足そうだった。
まるで我が子を手がけるように、花たちを愛でている。
しかし少年は、納得がいかなかった。
この隅に追いやれているかのような庭と、彼女に。
『聞いたよ母さん。オヤジが正妻を決めようとしてるんだって?』
『ええ、そうみたいね』
『そうみたいね、って、そんな人ごとみたいに……。俺、いやだよ、あんな野蛮な女どもに家の中を好き勝手されるなんて』
『もう、そんなこと言わないの』
『母さんだって嫌だろ? あんな成金趣味の家の中なんて。金色の壁紙なんて、サイテーだよ』
『しょうがないわ。他のお母様たちが、黄金がお好きなんだもの』
『母さんだって家の中じゃなくて、いつもこの花壇にいるじゃないか。母さんだって母親のひとりなのに、何ひとつ好きにさせてもらえなくて……。こんな庭の片隅で、小さな花壇しか作らせてもらえなくて……』
『それもしょうがないじゃない。他のお母様たちが、花がお嫌いだって言うから』
『もしアイツらのどっちかが正妻になったら、この花壇も潰されるよ』
『そうなったら、この子たちをぜんぶ、公園の花壇に植え替えてあげないとね』
『もう、どうして母さんはそうなのさ。長男である俺の母親なのに、いつもアイツらに遠慮して……』
『だって私は、ナックルのお母様みたいに力はないし、ファングのお母様みたいにおしゃべりも得意じゃないし……正妻になんてなれっこないわ。でもロアー、あなたはジェノサイドダディ様に似て、賢い子になってくれたから、それでじゅうぶんよ』
『これ以上、母さんがいじめられるのを見てるのは嫌なんだよ。だからさ、俺が協力する』
『協力?』
『俺の作戦があれば、母さんは正妻になれる。あとは母さんのやる気だけなんだ』
『私の、やる気……?』
『うん、そうさ。母さんが選手だとすると、俺はセコンドだ。ふたり一緒になってオヤジにアピールして、正妻の座を勝ち取るんだ』
『母さんにはよくわからないけれど、勝負事をするのね。だって今のあなた、お仕事をされてるときのジェノサイドダディ様と同じ目をしてるもの……。そしてあなたもジェノサイドダディ様と同じで、いちど言い出したら聞かないものね』
『ねぇ、いいだろ、母さん。アイツらを見返してやろうよ。そして正妻になって、家の中をもっと上品な感じにして……表の庭も、ぜんぶ花で埋め尽くしてやろうよ』
『うふふ、そうなったら素敵ね。あなたがそこまで言うなら……わかったわ。母さんはなにをすればいいの?』
『やった! じゃあまず、弟たちをこっちの味方につけるんだ。大将をやるにはまず馬からって言うだろ? まずはナックルからやろう。アイツは単純だから、まずは食べ物で釣って……』
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
『は、離せっ! 離してくれ! あの倉庫の中には、母さんが……!』
『ここまで燃えてしまっては、もう手遅れだ! 飛び込んだら、キミまで焼け死ぬぞっ!』
『……あらあらぁ、いったいどうしたんざましょ?』
『ロアーのお母様が倉庫の中に閉じ込もって、そのうえ不審火を出したそうざますよぉ』
『あらぁ、怖いざますわぁ』
『園芸倉庫の中に、あんなにメラメラと燃えるものをしまっておいたんざますねぇ』
『きっと、ロクでもない事に使おうとしたに違いないざますわぁ』
『そうそう、最近妙にジェノサイドダディ様に色目を使っていたようざますから』
『きっと、ジェノサイドダディ様に取り入って、正妻になろうとしていたんざますわぁ』
『あらぁ、雑草生まれのクセして、そんなことを? 身の丈にあわないことをしたから、天罰が下ったんざますねぇ』
『雑草だから、生前はあんなに花を育てていたんざますねぇ』
『あらぁ奥様、まだお亡くなりなったと決まったわけではないざますよぉ。でもまぁ、たとえ生きていたとしても、二度とは見れない姿になっているざましょうねぇ』
『雑草が燃えたところで、悲しむ者などおりませんざますよぉ。それにいくら花に憧れたところで、雑草は花になれないざますよぉ』
『あらあら、その花壇も、いっしょに燃えはじめたざますねぇ』
『オホホ、ちょうどよかったざます。奥様もわたくしも、花は嫌いだったざましょぉ?』
『ええ、ええ。だって花には必ず、虫がいるざましょ?』
『そうそう。お屋敷にまで入り込んで、よからぬことを企む、悪い虫が……!』
『でも花が燃えてしまえば、その虫もいなくなるに違いないざます。うちのナックルちゃまが、間違って食べてしまうこともなくなるから、ひと安心ざますねぇ』
『ああ、それはとっても喜ばしいことざますねぇ。宅のファングちゃまも、きっと喜ぶざますよぉ』
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
『オヤジ、聞いてくれ! あの倉庫は火事のとき、外からつっかえ棒がされて、中から開かなくさせられてたんだ! そこにアイツらが火をつけたんだ!』
『まぁそう騒ぐな、我が息子よ。もうママのオッパイが恋しい年頃じゃねぇだろ』
『なっ……!? なにを言ってるんだ、オヤジ……!? 母さんは殺されたんだぞ!?』
『正妻選びの争いで、ちょっとやり過ぎちまっただけだろう。それに俺は女たちに、何をやってもいいって言ってあったんだ。むしろ相手を殺すくらいじゃなきゃ、この家の正妻は務まらねぇだろうが』
『お……オヤジは……オヤジはもう、母さんを愛してなかったのか……!?』
『そんなことは言ってねぇだろ。でもちょうどいい機会だから、お前に教えといてやろう。子供を産んだあとの女ってのはなぁ、不良債権みたいなもんなんだ。年々価値がマイナスになっていきやがる。だからこうやってたまに、償却してやるといいんだよ』
『くっ……! ううっ……!』
『……俺がいつも、言っているだろう?
人間として生きていくうえで、最も大切にしなきゃならねぇのは、たったのふたつ……。
「血の繋がり」と「金を産み出せるか」だけだって。
なぜならば「血」と「金」は裏切らねぇ。
お前と俺は血が繋がっているし、お前はこれから『ゴージャスマート』で働いて、金を産み出す……。
だから大切にしていかなきゃならねぇんだ。
でも女たちと俺は、血が繋がってねぇ。だからアイツらはいつか裏切る。
息子たちという金の卵を産んではくれたが、それでもうおしまいだ。
あとは、食っちゃ寝……!
食えもしねぇ花なんて育てて、いっぱしに生きてるようなツラをしやがるんだ……!
だから、潰し合わせるくらいがちょうどいいんだよ。
これは店の経営において、店員どもを操るときにも使えるから、よぉく覚えとけ!
……ん?
なんだぁ? お前、泣いてんのか?
女がひとりバーベキューになったくらいで、泣いてんじゃねぇぞ、ゴルァ!
涙はなぁ、金といっしょなんだ。
ここぞという時に支払えば、同情を買える……!
お前は俺みたいな、「伝説の販売員」になりたいんだろう?
だったらなぁ、1¥にもならねぇ涙なんて、流してんじゃねぇ!
お前は力もないし、声量もない……。
だが俺ゆずりの、頭脳と冷静さがある……!
だからいつもクールに決めてやれ!
何があっても動じずに、斜に構えて溜息のひとつもついてやれ!
そうすりゃなぁ、涙の価値もグンと上がるってもんよ!
優秀な販売員は、石ころを売る……!
伝説の販売員は、涙すらダイヤモンドにして売るんだ……!
わかったか、ゴルァァァァァァァァァーーーーーッ!!』
今回は長男の回想でした。
ジェノサイド三兄弟は異母兄弟だったというわけです。