60 ドッグ・チェイサー CASE1-5
「ひっ……ひっ! ひいいいいっ! ま、まさかまさかまさか、まさかっ……!」
男は積雪を喜ぶ犬のように、這いつくばったまま銀世界を駆け散らしていた。
「あの銃のウワサはさんざん聞いていたが、まさか本当に、あんなとんでもねぇ威力があるだなんて……!」
多くの犠牲者を出してきた、地下闘技場。
そして、多くの者が生贄となった地下儀式場。
壁や床は、塗り重ねられた落書きのように血がこびりつき、不吉なアートじみた赤黒いシミとなっていた。
だが今は清められたかのように、どこもかしこも真っ白の雪景色。
そこは男にとっては勝手知ったる場所だったのだが、もはや前も後ろもわからない。
冬山で遭難してしまったかのように、あてもなく闇雲に駆けずり回っていた。
「あ、あれが、ガンハウンド……! あ、あれが……エンジェル・ハイロウ……! と、とんでもねぇ……! とんでもねぇぇぇぇぇっ!!」
行き止まりで白い壁にぶつかる。
あたりを見回すと、七色の光が漏れている風穴に気がついた。
ソースカンが吹っ飛ばしたおかげで、扉が雪に埋もれずにすんでいたのだ。
男はその風穴をかき分け、雪崩とともに廊下に転がり出る。
「あんなとんでもねぇヤツら、相手にできるかっ! に……逃げるんだ……! 逃げて、別のアジトに逃げ込むんだ……!」
目の前にある階段をあがれば、1階のクラブへと着く。
しかしエンジェル・ハイロウの一撃ですでに倒壊しており、瓦礫で塞がっていた。
「こ……こうなりゃ、秘密の地下から……!」
男は階段にかけていた足を、廊下に戻してさらなる壊走をはじめる。
途中、彼自身がオーナールームとして使っている部屋に気づき、慌てて駆け込んだ。
書斎机の裏にある金庫に張り付くと、震える手でダイヤルを回す。
なんとか開けたあと、中に積まれていた札束を手当たり次第にポケットにねじこみはじめた。
「……なんだ、金しか入ってないのね、っと」
緊張感のない声で、何者かが覗き込んでくる。
その直後、
「案内ご苦労さん、っとぉ!」
……ドムッ!!
鋭い蹴り上げが、男の太鼓腹にめりこんだ。
「ぐっはぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーっ!?」
肺を潰されたような悲鳴とともに、きりもみで宙に舞い上がる男。
紙幣を撒き散らしながら倒れ、絨毯の起毛に跡を残しながらゴロゴロと転がった。
「クラブのオーナーってのは儲かるもんなんだねぇ、っと。この絨毯、ウチにある布団よりずっとフカフカだよ、っと」
息を貪っていた男は、ふたつの影が近づいてくのに気づき、呼吸困難になるのもかまわず叫んだ。
「げほっ! がはっ! ぐほっ! ごほっごほっ……! ぐっ……ぐるな……! ぐるなぁぁぁっ!?!?」
立とうとしても、腰が抜けて立てない。
足だけをジタバタさせて、後ずさろうとする。
「おいおい、どうしたんだぁ? 急に走り出したから、運動でもしたいのかと思って、手伝いに来てやったんだが……。いくら健康にいいとはいえ、やり過ぎは毒だぞ、っと」
「しかし、よいのでありますか、ガンハウンド上官? コイツを泳がせておけば、別の魔王信奉者のアジトがわかるであります」
「んにゃ、もうスゴロクは沢山だよ、っと。それにここが間違いなく『ゴール』のはずだからな。てっきり金庫になんかあるかと思ってたんだが……アテがはずれちまったな、っと」
脚が二本だけになった蜘蛛のように、もがいている男に近づくガンハウンド。
ジャケットの内ポケットから取り出した人相書きを、ピッと男に突きつける。
「なぁ、このオッサンのこと、教えちゃくれねぇか、っと」
男は歯をカタカタと震わせながら、顔を左右に振った。
「し、知らねぇ! こんな客、クラブにはいねぇ! こんな顔に大きな傷のある男、いちど見たら忘れるもんか! 本当だ! 信じてくれ!」
「バァーカ、客じゃねぇよ。このオッサンが、お前らのボスなんだろ?」
「ち、違う! 我らの主は、そんな風采のあがらぬ人間風情ではない! 我らの主は……!」
「知ってるよ、っと。ナントカいう悪魔なんだろ?」
「コイツ、しらばっくれる気でありますね。なら自分にお任せくださいであります。雑巾のように絞り上げて……」
「いや、いい。コイツは多分、締め上げても吐かねぇだろ。魔王信奉者どもは催眠術でボスの記憶を隠してるんだ」
「では、どうするでありますか?」
「そりゃ、決まってんだろ……っと」
ガンハウンドは跨ぎ越えるようにして脚を伸ばすと、男のブヨブヨの腹にどっかりと腰を下ろした。
「ぐふっ!?」
「お前さん、やっぱり無理してでも運動したほうがいいな、っと。絨毯より柔らかい腹してんじゃねぇか。まあ、それは置いといて……ここ数ヶ月で、何か怪しいモノはなかったか? っと」
「ぐっ……ふぅぅっ……! 怪しいモノ、だとぉ……!?」
「そうさ。特に、宛名不明の怪しい郵便とか。……うん、ソッチはあるようだな、っと」
男のわずかな変化を、ガンハウンドは猟犬のように嗅ぎつける。
「そ……そんなの、このクラブにはいくらでもあらぁ!」
「そうかい? っと。お前さんの顔は、その中でもさらに特別なのがあるってツラしてるぜ」
青ざめる男の口元に手を伸ばすと、彼のトレードマークである葉巻を引っこ抜いた。
「運動といっしょに、禁煙も始めるこったな。口が寂しいんなら、かわりにコイツはどうだい?」
ガンハウンドの手の中で弾んでいたのは、ゴルフボール大の銀色の球であった。
「そ、それは、エンジェル・ハイロウの弾丸……!?」
「ご名答、っと。見ただけでわかるんだったら、魔王信奉者がコイツを触ったら、どうなるかも知ってるよな、っと」
ガンハウンドがゴルフのティーショットでも始めるように、男の鼻根のあたりに弾丸を乗せた、
……ジュゥゥゥゥゥゥゥーーーーーーーーーッ!!
「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーっ!?!? 熱い熱い熱いっ!?!?」
男は溶けた鉄で『アツアツおでん』をやったかのように、四肢をよじらせ、のたうち回った。
そしてあっという間に囀りはじめる。
「わ、わかった! 言う言う! 先月あたりに、差出人不明の封筒が届いたんだ! その時はなにがなんだかわかんなかったが、今ようやくわかったぜ! あの手紙は、アンタ宛てだったのか! ふ、封筒は、そこにある机の一番上の引き出しに入ってる!」
「そうかい、っと。おいソースカン、一番上以外の引き出しを調べろ」
「え? その男は、一番上だと言っているでありますが……?」
「バァーカ。わざわざ『一番上』だなんて言ってるんだ、罠が仕掛けてあるに決まってんだろ。引き出しの罠でお前をヤッて、気を取られている最中に僕をヤルつもりなんだよ、っと。それにコイツの手、よく見てみろ。コッソリと火かき棒に伸びてるじゃねぇか……っと」
ガンハウンドは脚を使って、男の最後の希望を遠くに蹴り飛ばしてしまった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
猟犬の読みどおり、書斎机の一番下の引き出しに、大きな封筒が入っていた。
中には、
『ここが「ゴール」です。ここまで来られたご褒美として、中のものを差し上げます。今あなたたちに降りかかっている、大きな「災難」を振り払うための切り札になるでしょう』
という手紙が入っていた。
封筒に指を突っ込んで、さらに引っ張りだしてみると……。
現れたのは、なんと……!
一枚の写真と、血まみれのマスクであった……!
……気になりは、しなかっただろうか?
ジェノサイドファングが、ゴルドウルフに骨董品詐欺を持ちかけているときに……猟犬は何をしていたのかを。
猟犬は、野良犬を付け狙っている。
最近連続でおこっている、勇者の失踪および変死の真犯人として。
そんな彼が、野良犬の元に足しげく通う正体不明の骨董商人に、引っかからないわけがない。
きっと商人を尾行し、ジェノサイドファングの正体を暴いていたことだろう。
そしてゴルドウルフの次のターゲットがジェノサイドファングであると、突き止めていただろう。
……ゴルドウルフは、密かに策を講じていた。
猟犬の監視の目をそらすために、『雲の骸』を使って、憲兵局にまたタレコミを送っていたのだ……!
『トルクルム領の火吹き山の跡地。黄金の三角の下に、それは眠る。』
そう……!
監視の目を遠ざけるために、猟犬に『宝探しゲーム』を仕掛けていたのだ……!
ジェノサイドナックルの火事のタレコミをした時と同じ、エンジェル・ハイロウの弾丸の破片を添えれば……。
たとえどんな馬鹿げたタレコミであっても、猟犬は動かざるを得なくなる……!
猟犬は部下を引き連れ、手紙の指示どおりに行動した。
彼らにとっては不本意ではあったが、そこから手紙の主の手がかりが得られると信じていたのだ。
その間、監視する者はいなくなり、野良犬は完全にノーマーク状態。
猟犬は自分のかわりに衛兵を配置していたが、そんな根元が腐っている駒など、籠絡するのは容易であった。
すると必然的に、ジェノサイドファングとのクロサギ合戦を、邪魔する者はいなくなり……!
さらには後にジェノサイドダディが仕掛けてくる、『ガス室作戦』の切り札を、猟犬に与えることも可能になる……!
そう……! そうだったのだ……!
すべては……! すべては、あの……!
すべては、あのオッサンの、手のひらの上でしかなかったのだ……!
……魔王信奉者たちのアジトであったクラブで、戦いを繰り広げた翌朝。
凸凹コンビは二日酔いの身体を引きずって、法廷に出廷した。
そしてジェノサイドダディを相手に『決定的な証拠』を用いて、裁判での勝訴を勝ち取る。
彼らは憲兵局を救った英雄として称えられ、特進を果たした。
次回から、いよいよ長男編のスタートです!