59 ドッグ・チェイサー CASE1-4
魔王信奉者たちのボス、葉巻男はいつの間にか2階に移動しており、高みの見物を決め込んでいた。
いくら相手が『魔王信奉者』退治を専門にしている憲兵とはいえ、たったの2人。
軽くなぶり殺しにできるだろうと思っていたのだが……。
しかしすでに半数もの手下をやられ、彼は焦りはじめていた。
「ぐっ……!? くっそぉっ! 相手はたった2匹のイヌだぞっ! さっさと片付けろっ!」
「ゴキブリがいくら集まったところで、イヌを喰い殺せるかよっ……と!」
掴みかかる手下どもをかいくぐり、スパンスパンと快音を響かせるガンハウンド。
その度にひとり、またひとりと沈んでいく。
猟犬の繰り出すパンチはジャブのみであった。
しかし威力とスピード、どちらをとってもアマチュアの喧嘩のそれではない。
それどころか、世界を狙えるプロですら超越している。
まず、ボクシングのパンチというのは正対している相手に放つものだが、ガンハウンドは主に横にいる相手を狙った。
しかも視線で狙う先を悟られないように、帽子を深く被っている。
受ける側からすれば、ノールックの相手からいきなり殴られる形になるのだ。
しかも予備動作はほぼゼロのうえに、目にもとまらぬ速さ。
誰もがいつの間にか鼻をへし折られ、そのまま意識を奪われてしまう。
そう……!
猟犬の前では、瞬きすら命とり……!
下手をすれば、二度と開くことのない瞼になりかねないのだ……!
そして猟犬は、倒した敵の行く末など確認しない。
まるで散歩途中の犬が、落ち葉を踏み砕くような平易さで、次の脚を振り下ろすだけ。
……パリッ! パリッ! パリッ……!
枯れ葉のように次々と、粉々になっていく鼻たち。
その鼻の持ち主たちは、風に煽られたかのように、もんどりうって倒れていく。
これはもはや喧嘩というより、一方的な狩猟……!
「ひっ……! ひいい! なんて強さだ!?」
「せ、背中に回れっ! 後ろからやるんだっ! 帽子のヤツはヒョロいから、一撃与えられれば倒れるはずだっ!」
「む、無理だあっ! あのデカブツがカバーしてやがるっ!」
「ならまずは、あのデカブツを……!」
「あ、あっちは、いくら殴ってもビクともしねぇんだよっ!?」
「ハンマーで殴っても平然としてるって、どういう身体してんだ!? 鉄のゴーレムかよっ!?」
「……動くなっ!!」
濃厚となった敗戦色を吹き飛ばすかのように、高みから喝が降り注ぐ。
階下の者たちが見上げると、そこには……。
……ガシャッ!!
2階の客席から、ぐるりと囲むようにクロスボウを向けてくる、新手たちが……!
「いくら猟犬でも、これだけの矢はよけられねぇだろう!」
彼らを統率しているボスが、火のついた葉巻をワイングラスのように掲げたまま言った。
あれは、『狙え』の合図である。
葉巻が手から離れた時点で、『一斉射撃』となる。
「矢には毒が塗ってあるから、カスっただけでもあの世行きだぜぇ!」
すでに勝利を確信しているのか、美酒のように葉巻を味わい、プハーと煙を吐きだすボス。
「そりゃいいねぇ、っと。ちょうど長生きしたくないと思ってたところなんだ」
ガンハウンドは拳闘の構えを解き、ひと休みするように首をコキコキ鳴らしながら続ける。
「でも仲間も大勢巻き込むことになるけど、いいのかい? っと」
「この毒はなぁ、『悪魔のトランペット』っていう花から抽出したモンだ! 憲兵なら、コイツを受けたらどうなるか、知ってるだろう!?」
「……悪魔が来たりて笛を吹く……っと。そんな幻覚と幻聴で、狂っちまうんだってな」
「その通り! コイツを過剰摂取して死ねば、地獄に行ける……! だからココにいるヤツらは、みな喜んで浴びるだろうよぉ!」
ガンハウンドがあたりを見回すと、手下たちは羨望のまなざしで矢の切っ先を見つめていた。
まるで恵みの雨を運んできてくれる、暗雲が現れたかのように。
「はぁ、そういうわけかい。巻き込まれるのはむしろコッチってワケか。そんなのはまっぴらだね、っと」
猟犬は「それに」と続けながら、トレードマークであるシケモクを咥えなおすと、
「笛を演奏るのは、天使の専売特許なんだよねぇ、っと」
懐から引き抜いた愛銃を、葉巻に向かって突きつけた。
……ジャキィィィィィーーーンッ!!
天からの福音のような、澄んだサウンドが鳴り渡る。
天使は高音を好み、悪魔は低音を好むという。
悪魔の手下である者たちは、駆除機の超音波を耳にした害虫のように後ずさった。
しかしボスだけは、鼻で笑い飛ばす。
「……フン! 天使の魔銃、『エンジェル・ハイロウ』か……! すげぇ威力だってのは聞いてるぜぇ! だが、どんなに威力があったとしても、たったの1発……! 俺は殺れたとしても、次の瞬間、お前も蜂の巣……! ガンハウンドを道連れにできりゃ、悪魔王様もさぞお喜びになるだろうなぁ……!」
「ゴキブリ退治で心中なんてごめんだね、っと。なあベイビー、お前もそうだろ?」
ガンハウンドは彼女の唇に口づけする。
「ちょうど神聖日だから、大サービスといくか……! 奮発して、天国への片道切符をプレゼント、っとぉ……! よい子が毎日お祈りしても貰えねぇ、プレミアム・チケットだ……!」
再び天高く掲げられる笛。
そして……。
そして天使は、舞い降りた……!
……ガォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーンッ!!!!!
鼓膜を突き破るような、激しい咆哮が轟く。
小太陽が爆発したような閃光があふれ、すべての者の視界はまばゆい白で支配された。
……ズザザザザザザザザザザーーーーーーーッ!!
反動で滑る白い影、しかし途中で、
ガシィィィッ!!
大きな白壁によって、受け止められていた。
まだ頼りないが、背中を預けられるほどには成長した、もうひとりの相棒……。
ガンハウンドは白に埋もれた世界の中で、サムズアップをする。
そして恋人と指を絡め合わせるように、グリップを握り直すと、
「さぁて、ここからが本番ですよぉ、っとぉ……!」
まるで剣であるかのように大上段に構え、気合いとともに振り下ろした。
「でりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっとぉぉぉ!!」
……ズドッ……!!
ガァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーンッ!!!!
地下の天井はブチ抜かれ、それどころかガス爆発のように、クラブの天井までもを吹き飛ばす。
止めどない放水のようなマズルフラッシュが、天国への階段のように夜空に伸びていく。
さらにひと降りされると、ほうき星の尾のように暴れ出す。
それが極太の筆となって、白い世界をさらなる純白で塗り替えていく。
屋根のなくなったクラブから、間欠泉のように粉雪が吹き上がる。
はらはらと舞い落ち、あたり一面を薄化粧に染めていた。
……メリー・ホワイト・神聖日……!
清らかな雪に、この街の人々は大いに喜んだ。
しかし、誰もが知らなかった。
これは、かつて魔王信奉者と呼ばれていた者たちの、遺灰であることに。
次回、猟犬編クライマックス!