56 ドッグ・チェイサー CASE1-1
そこは、ルタンベスタ領ハルストイの街。
繁華街から少し外れたところにある、一見寂れている風のクラブであった。
知る人ぞ知る場所ではあるのだが、どこの街にでもある普遍的な遊び場でもある。
そこに、ひとりの男が近づいていく。
しかし入口のところで、いかついドアボーイたちに遮られてしまった。
「見ねぇ顔だな。帰ぇんな」
「帰ってママのオッパイでもしゃぶってなよ、オジサン! ギャハハハハハ!」
「そうさせてもらうよ。ママが中で働いてるんでね、っと」
腹を抱えるドアボーイに向かって、男はトランプのジョーカーをピッと突きつける。
すると彼らの笑いは、裸で極寒の地に放り出されたかのように氷結してしまった。
「この招待を持つヤツを追い返したのがバレたら、お前ら使いっ走りなんざ、あっという間に串刺しになっちまうんじゃねぇのか? っと」
「す、すいやせん! まさか招待をお持ちだったとは……!」
「ど、どうぞお入りください! あっ、でもその前に、武器の持ち込みは禁止ですから、身体検査のほうを……!」
「ったく、つまようじ一本持っちゃいねぇよ、っと。それとも何かぁ? 招待を持ってる客を、疑うってのかぁ?」
「う……っ! し、失礼しやした! 身体検査は結構ですので、そのままお入りください!」
「あ、あのぉ……そのかわりと言っては何なんですが……。できたら先ほどの無礼は、どうかご内密にしていただけると……」
大きな身体を縮こませ、ペコペコ頭を下げる彼らに向かって、男は手を挙げた。
「ああ、ママに言いつけたりはしねぇよ。じゃあな、っと」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
店の中は、紫色の薄煙に満たされていた。
虹色の光が、屈曲して壁や天井を這い回っているというサイケデリックな空間。
光は最深部にあるステージから放たれており、その上では肌もあらわな女性が身体をくねらせている。
バックバンドが奏でる暴力的な重低音が、ビリビリと床を震わせ伝わってくる。
ムスクのような香りが、店全体を支配していた。
それが亡者のように身体にまとわりついてくるので、男は顔をしかめた。
空いているテーブルにつくと、ボンテージ姿のウエイトレスが尻をフリフリやって来て、頭蓋骨の形にくり抜かれたショットグラスを置く。
「オジサン、見ない顔だね」
「ああ、ママを探しに来たんだ。っと……あんたが俺のママかい?」
からかうような目つきで、男はグラスを空けた。
ウエイトレスは「ワォ」と顔を明るくして、ボトルから二杯目を注ぐ。
「牛の小便をストレートでヤルなんて、すごいねオジサン。もう一杯飲んでブッ倒れなかったら、今夜のママになってあげてもいいよ」
「そうかい」と答えながら、男は再びグラスを空にする。
「んじゃ、そこの便所でママかどうか確かめさせてくれ、っと。お礼ってわけじゃねぇが、パパのいる『天国』にイカせてやっから」
すると、ウエイトレスは急に不機嫌になった。
カァーッ! と牙を剥くように大口を開けると、
「チッ! テメーみてぇなマザコン相手にするほど、ヒマじゃねぇんだよ! その粗チンをこの瓶に突っ込んで、ひとりでサカってな!」
そのまま中指立てて、どこかへ行ってしまった。
再びひとりになった男は、改めて店の中を見回す。
薄暗い壁には、逆さになった女神のレリーフ。
時折ステージからの光が飛んできて、極彩色に浮かび上がっている。
隣のテーブルには、前の客の飲み残しがあった。
同じような骸骨のグラスに、牛の小便が入った透明な瓶と、茶色い瓶が置かれている。
男は人目につかないように手を伸ばして、茶色い瓶を手に取った。
それを傾けてみると、口から赤い液体がどろりこぼれ、糸を引くほどの濃度で手のひらに落ちる。
指につけて舐めてみると、それは……。
――血か。
男は心の中でつぶやいた。
――逆さ女神。
そして牛の小便と呼ばれる強い酒を、血で割った『地獄の神酒』。
さらに『天国』という言葉を嫌う、ウエイトレス……。
こりゃスリーアウトだね、っと。
ふと、グラスの下に敷いてあったコースターに気づく。
それは壁のレリーフと同じデザインで、水を吸ってしわしわになっていた。
――まだあった。
悪魔の飲み物を入れたグラスを、女神の上に乗せるとは……。
「まさか、掟破りのフォーアウトとはねぇ、っと」
男は帽子を深く被りなおすと、静かに立ち上がった。
店の奥へと歩いていき、カードゲームが行われているテーブルの前で立ち止まる。
チップと女に囲まれた、咥えた葉巻も似合っている貫禄ある男に声をかけた。
「旦那、羽振りがいいねぇ、っと。そのツキ、ちょいと分けちゃくれねぇか」
「なんだ、テメェは?」
落ち窪んだ瞳でギロリと睨み上げてくる葉巻男。
「へへ、弱いものイジメだなんて、旦那にゃ似合わねぇよ、っと」
調子を合わせるように笑いかけながら、葉巻男の対戦相手であった、青い顔の青年を押しのける。
「ここいらでひとつ、ホンモノの勝負なんてどうだい?」
「悪いな、俺は知らねぇヤツと、初対面でホンモノの勝負だなんて抜かすヤツが大嫌いなんだ」
「まぁ、そう言うなって。そんなケツの穴の小せぇことを言ってると、旦那の隣にいる女の子たちも愛想を尽かしちまうよ、っと」
男はよれよれのスーツの前ボタンを外し、大きく懐を開く。
瞬間、葉巻男の顔色が変わるのを、彼は見逃さなかった。
内ポケットに突っ込まれていた札束を引っ張り出すと、テーブルにバサリと放つ。
「コイツをねじ込んで、少しは拡げたらどうだい? っと」
「……いいだろう。ただし勝負は1回きりだ。負けたらソイツを置いて、さっさと出て行け」
「さすが旦那、話がわかるねぇ」
……突如として始まった、全額掛けの大勝負。
噂が噂を呼んで、ショーそっちのけで他の客たちもテーブルのまわりに集まってきた。
お互いに配られた5枚のカードを確認し、チェンジをする。
「んじゃ、ショーダウンといきますか。まずは旦那からどうぞ、っと」
促された葉巻男は、手札をパラリと投げ出した。
「6のスリーカードと、Aのツーペア……フルハウスだ」
「へへっ、悪いね旦那。コッチは……女神サマ、勢揃いっと」
扇をあおぐように向けられた男のカードは、4枚のQに、ハートのK……。
このカードゲームにおける最強の手役である、『ゴッデス・フルハウス』であった。
「んじゃあ、旦那のツキ、もらっていくぜ、っと」
しかし、鼻で笑い返された。
「このクラブにはなぁ、女神なんていねぇ。だから『ゴッデス・フルハウス』はブタ以下の手役になるんだ。なぁ、みんな。このヨソ者に、教えてやんな!」
葉巻男がまわりに向かってそう言うと、嘲笑がおこる。
一方的な通告だったが、男はやれやれと肩をすくめていた。
「ありゃ。こりゃ、一本取られたね。んじゃあ、今日のところはこれで大人しく退散するとしますよ、っと」
「ずいぶん物わかりがいいじゃねぇか。お前のようなヤツは嫌いじゃないぜ。帰る前に一杯おごってやるよ」
「そりゃどうも、旦那。これでもう、お互い知らねぇ仲じゃねぇってわけだ、っと」
運ばれてきたふたつのグラスを、カチンと打ち鳴らして同時にあおる、ふたりの男。
「いい飲みっぷりだ。ますます気に入ったぜ。このまま殺すにゃ、惜しい野郎だ」
「なんだ、バレてたのか。旦那こそ、このままふん縛るには、もったいないお人だねぇ、っと」
「ああ。最後にひとつ、教えといてやるよ。お前さんが札束を取り出したときから、ずっと見えてたんだよ。憲兵の証である銃が、チラチラってな……!」
「……そう、かい……。って、こと、は……。ここが、『ゴール』って、わけ、か……っと……」
……ガタン!
猟犬は、テーブルに倒れ伏した。
感想欄にSSを書いてくださっていた、煽り虫様のお話がまとめられました。
タイトルは、
『駄犬⇒金狼』の世界の片隅で…
https://ncode.syosetu.com/n2405ff/
ぜひご覧ください!