52 影で笑う誰か
皆殺し一家の圧勝で幕を閉じようとしていた法廷。
その最後の最後で突きつけられた、被告側からの新たなる証拠。
それは、この国のゴージャスマートの心臓部、ハールバリー本部前で倒れる、ジェノサイドファングの真写であった。
これは、原告側の主張とは真っ向から対立するものである。
ジェノサイドダディは、我が息子はクレーム騒動の首謀者の濡れ衣を着せられ、それは憲兵局の怠慢であると訴えていた。
しかしこの真写の存在は、そのどちらも否定している。
ジェノサイドファングがクレーム騒動の首謀者、『ライオンマスク』であるという証拠であり……。
しかもこれを入手したという憲兵局は、怠慢どころかしっかりと捜査を行っていたという証明でもある……!
衝撃が戦慄となって、法廷内を疾る。
そして、ジェノサイドダディに襲いかかる……!
この男は……この調勇者は、皆から尊敬されるべき勇者であるにもかかわらず……。
ここまで大胆な嘘を、我が物顔でつき通し……正義を語っていたのかという、異物を見るような視線が……!
それはサバンナの中で、いままで食らってきた草食動物たちに取り囲まれる、百獣の王さながらであった……!
しかしこの程度の決定的証拠で、引き下がる獣王ではない。
彼は屁のような理屈であれば、巨大タンカーが建造できるほどに、ひり出してきたのだから……!
「そ……そんなの、証拠になるかよっ! そんな真写、息子に酒か薬でも飲ませて眠らせて、意識がない時に撮ったんだろう!? 怪我は血糊かなんかで偽装してな! そうすりゃ、怪我はあとに残るわけがねぇんだっ!」
ガンハウンドはまるで眼前でカマされたかのように、手でパタパタと扇いでいた。
「現場を調べてみたんですよ、そしたら地面に血痕が残っていて……っと。あとはその血液と、ジェノサイドファング様の血液を、照合できれば……」
「そ、そんなことさせてたまるかよっ! お前ら憲兵は、息子をこんなにしといて、血まで抜こうってのか!? お前らは息子を見た目どころか、中身までミイラにしなきゃ気が済まねぇのかよっ! 血も涙もねぇから、他人の血をそんなゴミクズみたいな目的で欲しがるんだっ! なぁ、みんな、今の聞いただろう!? こんな酷い目にあわせておいて、コイツらまだそんなことを……!」
憲兵局の非道さをこれでもかと喧伝するも、空気は冷えていた。
ライオンは全方位から向けられる侮蔑の視線を感じ、鏡の箱に閉じ込められたガマのように脂汗を流し始める。
「ぐ……! ううっ! み……みんな騙されるなっ! そ……そうだっ! まだだっ、まだあるぞっ! そっ、その真写には、決定的なモンが欠けてるじゃねぇか……! ライオンのマスクだ! そこに写っている息子は、マスクをかぶってねぇじゃねぇか!」
苦し紛れに放った一言だったが、そういえば……というささやきが、一部でおこる。
獣王は、すかさずその迷いに食らいついた。
「そ、そうだ! マスクがねぇ! マスクが写ってねぇ! ど……どうだっ! そのマスクがなけりゃ、血痕がたとえ一致したとしても意味がねぇ! 息子は通りを歩いてて、馬車にでも轢かれたんだ! そうだ、そうに違いねぇ! わかったぞ! それはきっと憲兵局のヤツらの馬車だったんだ! ヤツらは自分たちの不祥事を、ここでもさらに息子になすりつけようとしてたんだ! みんな! 見たか!? 聞いたか!? これが、これがコイツらのやり方なんだ、ゴルァァァァァァァァァァァァァーーーーーーーッ!!!」
すっかり息を吹き返した、ジェノサイドダディ……!
おびえざわめく、草食動物たち……!
「お、オヤジぃ……俺、ごいづらの馬車に、轢かれてたのか……。悔じい……悔じいよぉぉぉ。正義づらじだ悪いやずらに、ごごまでざれで……。俺はごいづらのぜいで、自分の脚で歩ぐどごろが……メシもまどもに食えなぐなっじまっだんでいうのによぉ……」
ここぞとばかりに、虎の威を借るジェノサイドファング。
さめざめとした泣き声が、静まりかえった法廷の中に降りしきる。
しかしそれは、通り雨のように、ほんのひと時でしかなかった。
「あ、それなら、ここにあるであります」
ソースカンがあっさりと言いながら取り出した、新たなる証拠……。
『ライオンのマスク』によって、ウソ泣きは霧散するっ……!
「「なっ……なにぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」」
ライオンは転倒し、タヌキはベッドから転げ落ちる。
猟犬は仲間たちに一斉攻撃を知らせるかのように、高らかに吠えた。
「このマスクには、血がべったりとついてますよねぇ……!? っと! そして、現場の血痕とも一致してるんですよねぇ……! っと! あとは、その血の『持ち主』を見つけるために……! 憲兵局は、ジェノサイドファング様をここで、起訴させてもらいますよ! ……っとぉ!!」
……ズガァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーンッ!!
ちゃぶ台がひっくり返されたような衝撃が、お茶の間を……いや法廷を席巻する。
彼の言う『茶番』が、一気に吹き飛んだ瞬間であった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
それからの法廷は、荒れに荒れた。
収拾がつかなくなってしまったので、昼食休憩をかねて一時閉廷の措置が取られた。
その頃、時を同じくして……。
ハールバリー小国のゴージャスマートの心臓部である『ハールバリー小国本部』。
いまは裁判所で大暴れしているジェノサイドダディが、普段勤務している『部長室』。
そのすぐ真下に位置する『方面部長室』では、少し遅めの昼食を兼ねた会議、いわゆるランチミーティングが行われていた。
といっても、参加者はふたりだけであるが。
聖女のローブにも負けない白さのテーブルクロスがかけられた、大きな食卓。
白い丸皿に乗せられたクロワッサンや魚介のソテー、そして彩りを添えるサラダにフルーツ。
向かい合って座るふたりの男。
どちらも青年であるが、お互いにしっかりとしたマナーで料理を口に運んでいる。
「うん、おいしい。さすが方面部長様ともなると、いいもの食べてるね。ご相伴にあずかれて、潤っちゃいそうだよ。それに、特ダネまでもらえちゃうなんてさ」
右目を隠すように前髪を伸ばしているロングヘアの青年は、糸のような左目だけで笑った。
彼が手を付けている料理の傍らには、大判の真写がいくつも広げられている。
それは、血まみれで本部の前に倒れている、ジェノサイドファングを写したものだった。
「でもさぁ、ホントにいいの? あの一大クレーム事件の首謀者……噂の『ライオンマスク』が、キミの弟クンだってバラしちゃって……。まぁ、こっちはこの特ダネで潤っちゃうから、別にいいけど」
食卓は、片方の男が一方的にしゃべるばかりであった。
だが、ここで向かいの男はナイフとフォークを置き、ナプキンで口を拭うと、
「ふぅ、構わないさ、デイクロウラー。その真写はもう、そのくらいにしか使い道がないんだ」
ため息まじりにそう答えた。
きっちりとした、七三分けの青年……。
そう、ジェノサイドファミリー随一のインテリジェンス、ジェノサイドロアーである。
デイクロウラーと呼ばれた長髪の青年は、また目だけで笑うと、
「えっ、なになに? それってどういうこと? どういうこと?」
突っ込むように首を伸ばしてきた。
ジェノサイドロアーは諦観とともに、真写に視線を落とす。
「ふぅ……。今朝行われた裁判で、それとほぼ同じ真写が、憲兵局から証拠として出されたんだ」
「ええっ、ほんとに? ってことは……」
「そうだ。クレーム騒動があった日、俺は本部で仕事をしていた。昼過ぎに窓の外に大きなフクロウが来たんだが、追い払おうと思って窓に近づいた。そしたら偶然、本部の前の通りで倒れている弟を見つけたんだ。俺は急いで外に出て、弟を担いで医務室へと運んだ。新聞屋ども押し寄せてくる前にな。だがその前に、いざという時の切り札として、倒れている弟の姿を記録玉で撮っておいたんだが……」
「っていうことは、キミが見つけるより先に、倒れている弟クンの真写を撮ったモノがいるってことだね? そしてそれをやったのは、弟クンを本部の前まで運んできてくれたモノなんじゃないか……キミはそう考えてるんだね?」
いまは隠れているものの、すだれのような前髪の向こうで光る、デイクロウラーの右目。
ジェノサイドロアーはすべてを見透かされているような感覚をおぼえ、今度は感嘆の吐息を吐いた。
「ふぅ、その通り。いつもながら察しがいいな。そしてソイツは、憲兵局の人間ではない……そう思っている」
「だよねぇ、弟クンの真写を撮ったモノが憲兵局のモノなら、それを証拠にすぐ逮捕してるだろうからね」
「いずれにせよ、証拠の真写が出た以上、いくら勇者といえども弟の有罪は免れないだろう。だから法廷を途中で抜け出して、こうしてお前にスクープとしてくれてやったんだ」
「弟クンを売るなんて、乾いてるね。でもボクは潤っちゃうから、別にいいけど。真っ先にボクに声をかけてくれるなんて、やっぱりキミは親友だよ。あ……でも、キミは子供の頃から、タダでなにかをしてくれたコトって、なかったよね」
頬杖をついて、昔を思い出すようにニンマリするとするデイクロウラー。
ジェノサイドロアーは過去には興味がないといった様子で、冷ややかにナプキンで口を拭っている。
「ふぅ、当然だ」
「それも当ててあげようか? 弟クンを本部まで運んできたモノが誰なのか、調べればいいんでしょ?」
「……半分アタリで、半分ハズレだな。弟を運んできたヤツは、放っておいてもいずれ俺の前に現れるだろう。スラムドッグマートが、このハールバリー領に進出してきた時にな」
「スラムドッグマートって、あの……ルタンベスタとトルクルムでは有名な、冒険者の店だよね」
「そうだ。俺はこれから、その店と戦うことになる。その『手助け』を、お前にしてもらいたいんだ」
「ああ、そういうこと。そのスラムドッグマートのモノが、問題のモノだって思ってるんだね。だったら、そんなの……」
デイクロウラーはすべてを理解したような口ぶりで、すだれのような前髪を得意げにかきあげる。
「この『右目』があれば楽勝だよ」
するとそこには……本来あるはずの眼球のかわりに、丸い『記録玉』が輝いているではないか。
か細い左目のかわりに、この世のすべてを映してきたかのように、カッと見開いた『右目』……!
瞬くことのないそれを再びしまうと、彼は隻眼のピースマークのような笑顔を浮かべた。
「だいぶ乾いてるけどね」
次回、次男編のラストとなります。