51 審判戦線
法廷中の視線は、被告席に注がれる。
そこにいた男は、もたれるように椅子の背に寄りかかり、脚を前に投げ出していた。
よれた帽子を日よけのように深く被り、口には稲妻のように折れ曲がったシケモク。
黒いスーツのシワを深くするように腕を組み、脚はシワを伸ばすように大股に開いている。
葬式の席でヤケ酒して、ベンチで泥酔しているような、黒一色の男……。
しかも裁判長から名前を呼ばれているというのに、立ち上がるどころか「んがっ」と、どう聞いてもいびきのような反応。
隣に座っていた大男が、慌てて脇で小突く。
「……が、ガンハウンド上官! ガンハウンド上官! お、起きてください! 我々が反論する番ですよっ!」
「んにゃ……うっせぇなぁ……。こんな茶番、つきあってられっか……っと。お前、かわりにやっとけ……」
法廷で居眠りどころか、裁判を侮辱する発言まで始める始末。
憲兵そして被告らしからぬ態度に、ざわめきがおこった。
ここぞとばかりにジェノサイドダディが乗っかる。
「おいっ! みんな聞いたか今の!? この神聖なる法廷を、茶番だと抜かしやがった! やっぱり憲兵局のヤツらは、心の根っこまで腐ったウドの大木の集まりに違いないぜ! もはや処置なしだっ! やっぱり大臣からクビにして、ウドの森ごと焼き払うべきなんだっ!!」
酔っ払い男の部下であろう大男は、真っ青になって起立した。
彼もまだ酒が残っているのか、赤い頬と混ざり合って変なカクテルのような顔色になっている。
「もっ……申し訳ないであります、裁判長様! がっ、ガンハウンド上……。いっ、いえ! ガンハウンド捜査官は、自分とともに今朝がたまで不眠不休の捜査をしておりまして……! お、お疲れになっているようであります! か、かかっ、かわりに自分、ソースカンめが、はっ、反論をさ、させていただきたく、たてまつりそうろうであります……!」
酒臭い匂いがただよってきて、年老いた裁判長のしかめっ面がさらに深くなった。
「……うぅむ……。かまいませんよ。それではソースカン捜査官、反論をはじめてください」
「はっ、はいっ! ご配慮たまわり、誠に光栄至極に存じますです、裁判長様! で、では、不肖ソースカン、はじめさせていただくでありますっ!」
こんな公の場で発表するのは慣れていないのか、大きな身体が冷蔵庫のようにカチコチになっているソースカン。
「ま……まずはこれを、ご覧あれ、でありますっ!」
プルプル震える手で、ボロボロの封筒から取り出されたのは、一枚の真写。
掲げられたそれは、旅する隠居老人のお供が出した印籠であるかのように、場を静まりかえらせた。
……バァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーンッ!!
そんな効果音が似合うほどの衝撃を、目にした者すべてに走らせた、それは……。
血まみれになって倒れている、ジェノサイドファングの真写であった……!
「こっ、これは、憲兵局の独自の捜査で入手したものでありまして……! ゴージャスマートのハールバリー本部前で倒れている、ジェノサイドファング様が写っているでありますです!」
いままでないと思っていた、『決定的な証拠』……!
ダディは何が出てきても、即座に罵ってやるつもりでいたのだが……それも忘れて口をあんぐりさせていた。
それどころか、さっきまでみなぎっていた勇猛さはどこへやら……声どころか表情もしおれつつある。
しかし、すぐに持ち前の屁理屈を持ち出し、こねはじめた。
「だ……だからなんだってんだ! 仕事場の前の通りで寝てちゃ悪いってのかよ!? そこにいるお前の上司は、神聖なる法廷で寝てるじゃねぇか! ゴルァァァ!!」
「うぐうっ……!? そ、それは……! それはささっ、さきほども、ももっ、申しましました通り、徹夜の捜査で疲れておりまして……!」
痛いところを突かれたとばかりに、しどろもどろになるソースカン。
やりあいは始まったばかりだというのに、もう汗びっしょりであった。
これはジェノサイドダディの得意技のひとつ、『論点のすり替え』である。
真写の追求を、相手の不遜な態度を責めることでかわそうとしていたのだ。
しかしこれが通用するのは、陪審員席か傍聴席にいる素人……。
または裁判経験の少ない、新人までである。
「ああ、そうカリカリしないでくださいよ……っと」
そう……。
いつの間にか立ち上がり、壁のような部下に寄りかかっている男には、通用するはずもない……。
いままで幾多の悪魔と駆け引きを行い、己の魂すらチップにしてきた、その猟犬には……!
「ジェノサイドダディ様。僕はこの真写に写っているジェノサイドファング様が、お休みになっているようには到底見えないんですがねぇ……っと。それともジェノサイド一族の方々は、寝る前のスキンケアとして殺し合いでもしてるんですか? 顔どころか服にまで全身に、血がべったりとついていますが……?」
「血まみれで寝ちゃいけない決まりでもあんのか!? 誰だって、仕事場の前で血まみれになって寝たくなる時くらいあらぁ!!」
むちゃくちゃな理屈であったが、ダディはむしろ声を大にした。
不利になりつつある状況を、声量で跳ね返そうとしていたのだ。
「ああ、わかります、わかります、っと。僕なんてしょっちゅうだ。憲兵局の前で、豚の血にまみれて昼寝したこともありますよ……っと。では、『ジェノサイドファング様は、本部の前で血まみれで寝ていた』ということで、よろしいんで?」
言質を取るような口ぶりに、ひやりとしたものを感じるジェノサイドダディ。
ここはいったん相手の腹を探るため、さらに論点をずらす。
「待てっ! その前にだ! だいいち、それがいつ撮られたものなのか、わかんねぇじゃねぇかっ! その真写が、息子がライオンマスクである根拠だってんなら、撮られた日時はホーンマックでクレーム騒動があった日のはずだ! それをハッキリさせられんのか!?」
そしてガンハウンドにツカツカと寄っていき、丸呑みするような勢いで怒鳴りつけた。
「だが、いいかっ!! 適当なコト抜かしやがったら、下痢が止まんねぇようにしてやっからなっ!! ゴルァァァァァァァァァァァ!!!!」
隣で固まっていたソースカンは、自分に向けられた罵声でもないのに思わずのけぞってしまう。
象のような大男を気圧してしまう、まさに百獣の王の一喝であった。
しかし……彼らよりもずっと小さいであろう猟犬は、まるで蚊の羽音を耳にしたかのように、手で払いのけるのみ。
「ああ、そんなに怒鳴らなくても……ハラが空くだけですよ、っと。いつ撮られたかどうかも、ちゃんと証拠を用意してますんで、っと」
「ああん!? 証拠だとぉ!? どうせ野良犬のションベンみたいな、役にも立たねぇモノを撒き散らすつもりだろう!? お前らのやり方はわかってるんだ!! 嘘をばらまいて、また新聞屋どもに取り上げさせて、善良な市民に信じ込ませるんだろう!! もしこれ以上、ありもしねぇ嘘で俺の息子を苦しめやがったら、隣で突っ立ってるデクといっしょにクビに縄かけて、国じゅうを引っ張り回してやっからな!! ゴルァァァァァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーッ!!!!」
並の人間ならば、とっくにその場から逃げ出していたであろう、恐るべき恫喝の嵐。
軍隊では毎日のように鬼軍曹から罵倒されていたソースカンですら、すっかり震え上がっている。
しかしガンハウンドは、ドッグランを闊歩する猟犬のようにマイペースを崩さない。
ポメラニアンに吠えかかられているかのように、どこ吹く風であった。
「ああ、いいですねぇ。ちょうどこの事件が片付いたら、旅行でもしたいと思ってたところなんですよ、っと。じゃあ、さっさと終わらせちまいましょうか。……この真写の、うしろに写っている、ゴージャスマートのハールバリー本部の建物……。この中を、ちょいと見てくださいな、っと。」
脇で小突かれたソースカンは、掲げていた写真の一部を示す。
太い指がさしていた、小さなそれは……。
本部の建物内のロビーにある、壁一面を使った大時計のオブジェであった。
ゴッドスマイルを模した豪奢な彫像が、偉大なる指導者のように雄大に……。
下々の者に対して、日時をご教示くださっているではないか……!
しかも、あのホーンマックでのクレーム騒動と、同じ日……!
時間も、騒動の数時間後を……!
「うぐっ……! そ、そんなの! 本部の中に入って、ロビーの日付と時計をいじれば、どうとでもできるじゃねぇかっ!」
「おや? それはおかしいですねぇ、っと。ゴッドスマイル様の時計を動かすのは、神への冒涜にあたり重罪となります。だいいち白昼堂々、そんなことをする不届き者がいたら、ロビーにいる警備員が止めに入って大騒ぎになっているはずですが?」
「だったらその警備員が、息子をハメるためにやったんだろう!? ゴッドスマイル様へのご無礼も恐れずに!」
「それも、無理があるんですよねぇ、っと。あのクレーム騒動のあと、ジェノサイドファング様はすぐに、姿をくらませましたから……。もしジェノサイドファング様をハメるのであれば、失踪する前に偽装する必要があるんですよねぇ……っと」
手負いの獲物をじわじわと獲物を追い詰めていくような、ガンハウンドの反論。
それは、ソースカンの怯えすら吹き飛ばしていた。
「なんだとぉ……!?」と殺気のこもったギョロ目を向けてくるダディを、逆に睨み降ろしている。
さながら、ライオンの威圧に屈しない象のように……!
その象に身体を預けたまま、猟犬は続ける。
「なぜならば、クレーム騒動のあった日、この指し示している時間のすぐあとに、新聞記者たちがこの現場に取材のために押し寄せましたから……。そして彼らは今も、ずっと張り付いている……。だから、偽装は不可能なんですよ……っと」
「だったら、その前日にでもやりゃあいいじゃねぇか! 本部の前で息子を襲ってボコボコにしたあと、時計をいじって……!」
「いいえ。クレーム騒動の前に目撃されたジェノサイドファング様は、怪我などしておりませんでしたよ、っと。前日も、その前々日も……それどころか、数年前ですら」
ガンハウンドは指で作ったピストルを、ベッドに横たわるジェノサイドファングに向かって突きつけた。
「真写でも、かなりの怪我だとわかる深手……。これほどの大怪我をしたのであれば、あのように、しばらくの間は包帯まみれになる……。勇者サマがそんな状態になったら、すぐに噂が広まって、新聞の勇者欄に取り上げられないわけがない……。となると、怪我をしたのは失踪直前……クレーム騒動のあった日、ということになりませんかねぇ……? っと」
傍聴席が、陪審員たちが、そして裁判長までもが、おおっ……! とどよめく。
それまで法廷内は、食事が終わったあとのような倦怠感に包まれていた。
しかし、後片付けを残すのみとなったその空間に、待ったがかけられた。
そして、頑固オヤジの一喝のような、強烈な証拠の出現によって……。
ちゃぶ台は、大きく傾いたのだ……!
次回、クライマックス!