49 次男、ノックアウト…!?
将棋で例えるなら、すべての歩が裏返ったような異常な空間。
明かりがなくてもピカピカまぶしいその只中に、彼はいる。
我が息子が間をおかず、包帯まみれになってしまったことに、父は悲嘆にくれていた。
「お、おお……我が息子よ……! いったい、何があったっていうんだ……!? 俺がたまたま見つけたからよかったものの、危うく焼け死ぬところだったんだぞ……!」
息子は顎を動かすのもやっとの様子だった。張り付いていた唇が剥がれると、ぽふっと煙が吹き出す。
「ず……ずまねぇ、おやじ……」
かろうじて紡がれた言葉は、聞く影もなかった。
若武者の刀のように。切れ味鋭かった声の片鱗はどこにもない。
落ち武者の杖に落ちぶれてしまったかのように、ボロボロであった。
業火のなか絶叫したせいで、肌どころか喉や肺まで焼かれてしまったのだ。
息子はこれまでのいきさつを、しわがれた声で綴った。
野良犬を罠にハメてやろうと、変装をして取引を持ちかけたこと。
順調だったのだが、途中で雲行きが変わってしまったこと。
偽の聖剣を売りつけようとしたところ、逆に野良犬から取引を持ちかけられたこと。
店の経営危機を乗り越えるために借金を頼まれ、野良犬は大聖女の絵画を担保にしたこと。
そして……それに乗ってしまったこと。
「そうか! だったらいいじゃねぇか! そのまま絵を持ち逃げしちまえば、野良犬の店は終わり……でかしたぞ、我が息子よ!」
……この息子にして、この親ありの思考回路である。
「あっ、わかったぞ! 野良犬の野郎、金だけ借りておいて、絵の保管場所を襲って盗み出したんだな!? そのうえ証拠隠滅のために、火を放ったってワケか! あんのド畜生が……!!」
「……い……いや……ううっ……。ぞ、ぞうだ(そうだ)……」
息子は言えなかった。
トルクルム領の骨董倉庫は、すでにカラッポ。
さらに50億¥を用立てするために、ゴージャスマートを担保に入れていること。
そして……『禁断の金』にまで、手を付けてしまったことを……!
「くぅぅぅぅ~~~!! あの野良犬は、俺が面倒見てやってた頃からずる賢かったんだ! アイツは怠け者のクセして、悪知恵ばかり働かせやがるんだ! 俺の『伝説の販売員』の地位も、何度横取りされかけたことか!! もう許せねぇ……! 今度という今度は、絶対に許さねぇぞ、ゴルァァァァァァァァ!!」
怒髪天を衝く父親に、もはや息子は引き返せなくなってしまう。
……思えば幼少の頃からそうであった。
父親から失望されることを恐れ、失敗は必ず誰かになすりつけてきた。
クラスメイトや、教師などの大人たち……そのへんを歩いている野良猫に至るまで。
どんなに苦しい言い訳でも、父親だけは信じ、彼以外を責めたててくれた。
そしてどんな時でも相手を謝罪に追い込み、土下座どころか賠償までさせてくれた。
少年は、まわりからの信用はすべて失ったが、そんなことはどうでもよかった。
父親の気持ちさえ自分に向いていれば、それでよかったのだ。
「お……おや……じ……お……おれ……ぐやじい……ぐやじい……よぉ」
すでに罪悪感は消えている。
常に被害者たれと教えられてきた生存本能が、自然と偽りの涙を作り上げていたのだ。
「ああっ、可哀想な我が息子よ……! お前の無念は、この俺が倍……いや、10倍にして返してやるからな! そのための『暴言の秘伝』はすでにあるっ!! チョコの箱に迷い込んだ宝石くらい、とっておきのヤツがなっ!! しかしコイツは、お前の協力が必要だ!!」
「お……おれ……の……ぎょうりょぐ(協力)?」
「そうだ……! 本当なら腹を下したチーターが便所に駆け込むより早く、あのクソ犬野郎の生皮剥いで、闇市で売っ払いたいところだが……。いまは我慢だ! あの寄生虫野郎が、朝メシを喉に詰まらせるのを祈ってろ! ヤツをやるのは、味方をつけてから……! 象に匹敵するほどの、デケェ味方をな……!!」
そして明かされる、ジェノサイドダディのさらなる秘策。
……それにしても、恐るべきネバー・ギブアップ精神。
恐るべき悪巧みバリエーションの豊富さである。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
すでにトルクルム領のゴージャスマートは、まな板の上の鯉。
それどころか活け作りになっているとも知らず、大海に思いを馳せる鯉であった。
しかしジェノサイド親子は起死回生の一手に出る。
それは、裁判……!
クレーマー軍団と、ホーンマックの街の住民……さらにはマスコミや、ハールバリー小国の憲兵局を相手どり、損害賠償を起こしたのだ……!
ありもしない風説の流布で、ゴージャスマートの評判を貶めたこと。
さらに本来であるならば、憲兵局が捜査をすべき案件であるのに、まともな捜査が行われなかったこと……。
それらの要素がジェノサイドファングを追い詰めてしまったこと。
ついには別荘に火を放って焼身自殺を図るという、最も苦しい方法での自殺未遂をさせてしまったこと……。
以上の内容で、告訴を行ったのだ……!
ジェノサイドダディの狙いはこうだった。
知ってのとおり、彼は『衛兵局』の大臣とは懇意の仲である。
そしてその大臣は、『憲兵局』の大臣と出世争いの真っ最中。
この裁判で勝利し、『憲兵局』の不祥事を作り上げることができれば……。
『衛兵局』大臣の出世は、揺るぎないものとなり……。
ついには『憲兵局』をも掌握できる、筆頭大臣となるのだ……!
『衛兵局』ではなく、『憲兵局』を相手取っていたのは、そういう理由からだった。
そしてこれがキッカケで懇意の大臣が出世したとなれば、大きな貸しを作れ、『憲兵局』まで思いのまま。
罪をもみ消すどころが、逆に捏造することも可能となり……。
『スラムドッグマート』を根絶やしにすることなど、造作もなくなる……!
たとえどんなに野良犬が狡猾だったとしても、保健所にはかなわないのと同じ。
いちど捕まえてしまえば、たとえ大聖女が飼い主として現れたところで無駄である。
檻の向こうでいくら吠えたところで、理由をつけて引き渡さなければよいだけ。
それどころか気分次第で、いつだってガス室に送ることが可能となるのだ。
しかも、しかもである。
この作戦の恐ろしいところは、『今は野良犬には無関係』ということ……!
まさかクレーマーたちを訴えた裁判が、巡り巡って、最後には絶大なる不利益になって降りかかろうとは……。
あのオッサンであっても、予測不能に違いあるまい……!
よしんば因果関係を見抜いていたとしても、そこまで……。
それ以上は、何もできない……!
なぜならば、裁判に巻き込まれていないゴルドウルフは……。
法廷に立てないからだ……!
これすなわち、一切、手出しができないということ……!
たとえ原告側に勝利されるとヤバいとわかっていても、裁判に関われなければ防ぎようがない……!
「……グルルルルルルルルッ! これこそが、究極の『暴言の秘伝』……!! そしてこれこそが、野良犬野郎にとっての最期……!! ヤツが気づいたときにはもう手遅れで、あとは夢見るように死んでいくしかない……!! 名付けて『ガス室作戦』だっ!! ゴルァァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーッ!!! グワッハッハッハッハッハッハッ!!! グワァーーーーーーーーーッハッハッハッハッハッハッハッハァァァァァァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーッ!!!!」
恐るべきしつこさに、オッサンはどうする…!?
だがこればかりは、どうにも…!?