45 最後に笑う誰か
ジェノサイドファングの心は躍った。
このハールバリー小国の『王国鑑定院』が発行する鑑定書が出てきたからだ。
これで絵画のことなどサッパリわからない彼が、苦労をすることはなくなった。
なにせこの書類さえあれば、たとえ目の前にある絵画たちがぜんぶ偽物だったとしても、本物に格上げされる。
――マジかよっ!?
まさか、王国鑑定院に鑑定させるとは……!
ヤツらを動かすには、莫大な金かコネが必要なはずだぞ……!
いや……隣国ですら知らぬ者がいないという、ホーリードール家の大聖女ともなれば……そのくらいはやってのけるだろう……!
むしろ普通の鑑定書なんぞが出てきたら、逆に疑うべきだったのかもしれねぇ……!
なんにしても、これでニセモノを掴まされる不安はなくなった……!
やはりこの駄犬は、俺のことを信用している……!?
となると……残る不安要素は、ただひとつ……!
彼は喉を鳴らしたくなるのをこらえ、その不安を思い切ってぶつけてみた。
「ここにある絵画はすべて本物のようですね。それであれば担保としては何ら問題ないのですが……あの……持ち主である、マザー・リインカーネーション様のほうは、本当に大丈夫なんでしょうか?」
するとオッサンは、乾いた咳を続けながら答えてくれた。
「けふっけふっ! ……はい、いいんですよ。この家の聖女たちは、店のことに夢中ですから……。この絵たちも……えふんえふん! 店のために役立ててあげたほうが、喜ぶでしょうから……こほんこほん!」
その批判めいたニュアンスに、ジェノサイドファングが抱いていた最後の疑問が氷解する。
――そうか……そういうことだったか……!
この駄犬と、聖女一家……。
表向きは仲がよさそうに見えるが、実際は冷え込んでいたのか……!
ホーリードール一家の聖女は慈悲深いと聞いているが、それもきっと表向きのこと……。
自分たちの価値を上げるために、勇者に媚びを売っているに過ぎねぇ……。
きっと俺のオヤジくらい立派な勇者が声をかければ、ホイホイついていく……。
ヤツらにとっては、いい勇者に拾ってもらうための売名行為でしかねぇんだ……。
だから薄汚ぇ野良犬の店なんかを、積極的に手伝ってやがるんだろうなぁ……!
クレーマー軍団が押し寄せたときに、大聖女は『癒し』と『清浄』を与えていたが……。
それも、おかしいと思ったんだ……!
あんなネズミどもに施してやっても、何の見返りもねぇ……。
でもあの大聖女サマは、大きな見返りがあるってわかってやがったんだ……。
あれだけ騒ぎになれば、明日の新聞に載る、と……!
あんな大勢の前で、あんなわざとらしい善行をすりゃ、馬鹿な新聞屋はこぞって書き立てる……。
それを利用して、『恵まれない者たちにも分け隔てなく接する聖女』アピールをしやがったんだ……!
となれば、この野良犬の気持ち悪ぃ咳を、虫唾の走るクシャミを……。
一緒に暮らしている聖女どもが、ほったらかしにしているのにも納得がいく……!
店でかいがいしく働くフリして、ポイント稼ぎをするのに夢中で……。
こんな駄犬に祈っているヒマなんぞ、ねぇんだろうなぁ!
そしてそれが、コイツの鬱憤として溜まっていって……。
今のこの、大聖女のコレクション売っ払いとして爆発したワケだ……!
『この家の聖女たちは、店のことに夢中』……。
『店のために役立ててあげたほうが、喜ぶ』……。
グルルル……!
野良犬なりの精一杯の皮肉……そしてささやかな仕返しってワケか!
それに担保にするだけであれば、一時的なことなので大聖女サマは気づかない……。
大事な大事なコレクションをそんな目に遭わせてやったと、ほくそ笑むんだろうなぁ……!
……グルル……! グルルルルルルルルッ……!
しかしもしここで、俺……リオンが金を貸してやったとして……。
預かった担保を持ったまま、ドロンしちまったら……。
グルルルッ……! どうなることだろうなぁ……!?
店の不渡りは避けられるが、絵は戻ってないから、いつかは大聖女にバレ……。
そしてそれが、決定的な亀裂になれば……!
野良犬は、店ごとミンチにされちまうかもしれねぇなぁ!
なんたって相手は、マザー・リインカーネーション……!
あの身体を狙ってる勇者は、数え切れねぇほどいる……!
大聖女サマがちょっとでも悲しんでみせれば、あとはほっといても……。
……野良犬狩りが始まるっ……!!
ボロ雑巾のようにズタボロにされ、勇者たちの馬によって街中を引きずり回される死体。
その哀れな末路を想像してしまい、ジェノサイドファングはつい吹き出してしまった。
「……ブフォッ! グフフッ! ブフッ! ゲホンゲホンゲホン!」
慌てて咳をしてごまかす。
オッサンも同じようにむせていたので、気づかれずにすんだ。
「わ、わかりました、ゴルドウルフさんっ! ブフォッ! い、いくらでも融資させていただきましょう! グフフッ! ボフォッ! グフォッ!」
すると一瞬にして、野良犬の顔に血の気が戻った。
現金なもので、風邪もどこかへ吹き飛んでしまったようだ。
「あ……ありがとうございます! リオンさん! 私に素晴らしい骨董を譲ってくださっただけでなく、融資までしてくださるだなんて……! あなたは……あなたは本当にいい人だ!」
リオンの両の手を、ガシッと握りしめるゴルドウルフ。
しかし砂漠のオアシスを見つけたかのような、その喜びの声は急に歯切れが悪くなる。
「でも、あの……。非常に言いにくいのですが、融資してほしい額というのが、非常に高額でして……」
「……ぶふっ! ふふっ……! そ、それはいかほどなのですか?」
「50億¥……なんです……」
こらえるのに必死だった笑いが、音をたててしぼんでいくのをジェノサイドファングは感じていた。
――ご、50億¥だとぉ!?
なんだってそんなバカみてぇな金額を!?
なるほど! 大聖女の絵を担保にしたのは、そんなワケもあるのか!
ここにある骨董武器じゃ足りねぇが、ハインハッターの絵なら50億に見合う価値がある……!
でもだからといって、そんな額の金を借りようだなんて頭おかしいだろ!
コイツ、脳と腸の中身が入れ替わってんじゃねぇーのか!?
白状したら気が楽になったのか、オッサンは滔々と語りはじめた。
負債者によく見られる、タチの悪い特性のひとつである。
「なぜそんなお金が必要かと言いますと、スラムドッグマートは今度、王都であるハールバリー領に進出するんです」
オッサンはついに、出店戦略をもジェノサイドファングに告白しはじめた。
その内訳はなんと、ハールバリー領でもシェアナンバー1を取るために、一気に200店舗を同時オープンするという暴挙であった。
たしかにそのためであれば、50億もの支払いが発生するというのも頷ける。
「ご存じかもしれませんが、ハールバリー領の方面部長は、あの『伝説の販売員』であるジェノサイドダディさんの息子である、ジェノサイドロアーさんが務めています。彼はとても優秀だと評判ですので、並大抵のやり方では返り討ちにあってしまうと思ったのです」
兄の名を出され、頭が瞬間湯沸かし器のように熱くなる弟。
「ルタンベスタ領の方面部長だった、ジェノサイドナックルさんにもかなり苦戦させられましたから、そのお兄さんともなると……。あ、でもその反面、トルクルム領のジェノサイドファングさんは楽勝でした。なにせ彼は少し言い負かされただけで、泣きながら逃げて行きましたから。あの一家の将来は、長男と三男が支えているといってもよいでしょう」
彼は、確かに聞いていた。
……プッチーィィィィーーーンッ!!!!
プリンのように、感情の軸がブチ折れる音を。
「わ……わわ、わかりました。ごごっ、50億、用意しましょう。い……今すぐには無理ですが、数日待っていただければ」
もはや彼にはオッサンの表情を伺う理性など、残ってはいなかった。
「えっ、本当ですか!? ありがとうございます! ではその間に、絵と鑑定書のほうを額から外し、まとめておきますね。あ、お渡しする額縁は別のものになりますが、構いませんよね? ここにある額縁には模造品を入れ、飾ったままにしておこうと思っておりますので」
額も価値があるものだったが、これらの名画に比べれば誤差の範囲である。
しかし、もうそんなことはどうでもよかった。
「わ、わかりました。では私のほうは、これからさっそくお金の準備に入りましょう」
「はい、お願いします。もし返済が1日でも滞るようなことがあったら、担保にした絵で賄っていただいて構いませんので。もちろんそうならないように、お金はちゃんとお返しします」
「はっ、はっはっはっはっはっ。いえいえ。私としてはこれらの絵が手に入るなら、むしろ大歓迎ですよ。心置きなく滞納してくださって結構です。はっはっはっはっはっ」
などと、額に青筋を浮かべ、乾いた笑いを漏らしているうちに交渉は終わった。
そして、それからの数日はあっという間だった。
ジェノサイドファングはトルクルム領じゅうのゴージャスマートから金をかき集め、銀行から借金する。
さらには禁断の金にまで手を付け、なんとか50億¥の耳を揃えた。
そして再びホーリードール家でオッサンと密会し、借用書を交わす。
……世紀の大取引、締結っ……!
ついに……すべてが終わった。
次回、いよいよざまぁ前哨です!