44 絵画戦線
ちょうど半分を分けるように、ギャラリーの奥は絵画展示スペースになっていた。
壁や柱に等間隔に掛けられた絵はどれも同じ作家のようで、いわゆる抽象画というものばかり。
用途も価値もわかりやすい武器たちから一転、意味不明の空間に足を踏み入れたジェノサイドファング。
彼はトルクルム領のゴージャスマートのトップだけあって、装備品には詳しかったが、こと美術品となるとさっぱりだったのだ。
まさに明暗を分けるかのような、まったく異なる空間であったのだが、それを悟られるわけにはいかなかった。
なぜならば商売の世界において、『わからない人間』というのは絶好のカモ。
いわば、『裸の王様』……!
バレたら最後、ありもしない価値をふっかけられ、またそれがわからないのは愚かだと付け込まれ、いいようにやられてしまう。
彼は父親からそう教え込まれ、そして『わからない人間』たちを今までカモにしてきたのだ。
ジェノサイドファングはしたり顔で、ひとつひとつの絵に顔を近づけていた。
――クソッ! そばで見たところで、ぜんっぜんわかりゃしねぇ!
コレなんか、絵の具の試し描きなんじゃねぇのか!?
こんな適当に塗りたくっただけのもん、俺の左足でも描けるぞ、ゴルァァァァ!!
心の中で毒づきながらも、品定めをするフリをして隅々に目を泳がせる。
なんとかして価値を割り出せるための情報がないか、懸命に探していた。
すると、意外なことに気づく。
――この落書きが入ってる額縁の木材は、『プラチナメープル』じゃねぇか……!
最高級の武器でもほんの一部にしか使われねぇ、レア木材だぞ……!
この額縁全体がそうだとすると……かなりの価値があるんじゃねぇか……!?
絵が入っていたのは、凝った装飾が施されている木彫りの額縁。
乙女の髪のように流れる美しい木目と、乙女の肌のようなクリーミーホワイト。
彼の見立ての通り、最高級木材である『プラチナメープル』であった。
なかでもギャラリーの最深部、ラスボスのようにドンと飾られた大型の絵画には、金箔つきの額縁……!
絵の価値はさっぱりだったが、「おお……!」と驚嘆の声を漏らすジェノサイドファング。
「はっ……くしょん! ……さすがリオンさん。この絵の価値のほどが、おわかりになりますか……くしょん! くしゅん!」
案内しているオッサンも、嬉しそうにクシャミを連発している。
「ええ、偉大なる作家の逸品がここまで揃っているのも驚きでしたが、まさか幻の大作『ンタユリゴ』まであるとは……!」
調子を合わせる、リオンことジェノサイドファング。
絵の名前を知っていたのは、絵の下にある小さなプレートを盗み見ていたからだ。
――って、何なんだよコレ!?
顔の崩れた化け物の絵かっ!?
こんなの、俺の左足でも描くのを拒絶するぜ!
絵の具をごちゃ混ぜにして飲んで、ケツからひり出したんじゃねぇのか!?
それに何だよ、その意味のわからねぇタイトル!?
ヤクをきめたヤツが、呂律のまわらねぇまま付けたんじゃねぇのか!?
あとタイトルを書くくらいだったら、そのジャンキーの名前を書いとけよっ!
せめて名前がわかりゃ、絵の価値がわかるってのによ!
っていうか、このクソ野良犬……! さっさと作者の名前を吠えやがれ!
なにもったいつけてんだよっ! 気取りやがって……!
早くしねぇと、この絵みてぇに顔をグッチャグチャにしてやんぞ、ゴルァァァ!!
その思いがついに通じたのか、
「くしょん! くしゅん! いかがでしょう? ここにあるマザーのコレ……ックション! である、ハインッ……クション! の絵、20点を担保にックション! 融通していただけませんか? はくしょん! はーくしょんっ!」
オッサンはついに、待ち人の名を口にした。
クシャミが止まらないのか、水飲み鳥のように身体を何度も折りながら。
オッサンは哀れ、死にかけの鳥……。
リオンの目つきが、百獣の王に戻ったかのように鋭くなる。
――『ハイン・ハッター』……!?
知ってるぞ、超有名な抽象画家じゃねぇか……!
貧乏作家だった頃に、家賃がわりに描いた鉛筆画が……。
たしかオークションで1億¥で落札されたって、新聞に出てたぜ……!
ここにあるのはチンケな鉛筆画じゃなくて、油絵……!
もしそれがマジの1点モノなんだったとしたら、計り知れねぇ値段になるぞ……!
すると、彼の目つきを疑いの視線だと勘違いしたのか、オッサンは慌てて取り繕った。
「あっ、あの有名画家の作品が20点もあるのが信じられないんですね。でもこれらはすべて本物です。それを証拠に、鑑定書もあります」
ゴルドウルフはそう言って、絵の隣にある壁に近づいた。
なにやらあちこち押していると、大理石の一部がスライドして金庫が現れる。
いくつもあるダイヤルをいじり倒して開け、一枚の紙を取り出していた。
その書類が絵画の前を通り過ぎると、押されている魔蝋印が鈍く輝く。
目の前にある絵画に対して発行された鑑定書であることを示す証拠だ。
これで、絵と鑑定書は対であることが示された。
しかしそんな『本物アピール』をされたところで、ジェノサイドファングの疑惑は晴れない。
なぜならば鑑定人がその気にさえなれば、虚偽の鑑定書を発行できるからだ。
もちろん、意図してやる者はほぼいない。
虚偽の鑑定書を故意に発行したことがわかれば、鑑定人の資格は剥奪されてしまう。
たとえ故意でなく、誤鑑定だったとしても……。
鑑定人としての地位は著しく下がってしまうのだ。
誤鑑定で下がった等級はなかなか上がらないので、金を積まれたところでやる者はいない。
……ライバル店を潰すという、大きな大義名分を振りかざし……!
断れば家族まで追い込むと脅すような、横暴な勇者からの圧力でもなければ……!
ジェノサイドファングは自分のことは棚に上げて、疑惑の網を張り巡らせていた。
――この薄汚ぇ野良犬は、金儲けのためなら何だってやってきたはず……!
骨董武器を格安で売ってやった恩人を騙して、金を引っ張るくらいは朝飯前……!
野良犬の仲間である鑑定士に頼んで、虚偽の鑑定書を発行させることくらい、息を吐くように平気でやるヤツなんだ……!
しかしオッサンから鑑定書を手渡された途端、その網はあっさりと突き破られてしまった。
――こ、これは……!?
これは、『ハールバリー小国鑑定院』が発行した、鑑定証……!?
……鑑定書にはふたつの種類がある。
国家試験をパスして、鑑定士となった者が発行するもの。
そしてもうひとつは、各国にある『鑑定院』に所属する鑑定士が発行したものである。
『鑑定院』というのは王国に所属する組織のひとつ。
『衛兵局』や『憲兵局』などと同じなのであるが、『院』は『局』より格上とされている。
そこで発行される鑑定書は、誤鑑定はほぼゼロといっていい。
そして虚偽の鑑定は絶対にありえない。
なぜならば、彼らは王城などに納品される美術品などを鑑定しており、これはいわば、国家の沽券に関わることだからである。
たとえば、城の謁見場の待合室に飾る絵画を購入したとしよう。
それは本物であるのが当然で、偽物を飾ったなどとわかれば、いい笑い物となってしまうからだ。
そうなれば鑑定士には極刑が下されるので、彼らは立場のある人間でありながらも、命がけで鑑定する。
逆に言うと、ほんの少しでも疑わしいものには鑑定書を発行しないのだ。
従って……『王国鑑定院から鑑定書が発行された』という事実だけで、その鑑定対象は本物とみなされる。
それほどまでに絶対的な信頼を得ている『王国鑑定院』であるが、彼らが鑑定したものが『本物』とされるのは、もうひとつ理由があった。
鑑定したものが『偽物』であるという事実が判明した場合、鑑定人は処刑されてしまうが……。
王国は総力をあげて、その鑑定対象を『本物』とする工作を行う。
そう……!
もし別のところに『本物』があれば、それを秘密裏に闇に葬り……!
彼らが偽物と判断したものを、力ずくで本物にしてしまうのだ……!
従って、王国鑑定院の発行した鑑定書があるものは、安心して取引される。
なぜらば、美術品をたしなむ金持ちたちが求めているのは、『美の真性』や『作者への敬意』などではなく……。
あくまで『価値の保証』なのだから……!
次回、戦いに決着…!
爆弾を飲み込むのは、果たしてどちらなのか…!?